来日全外国人レスラー名鑑 セ、ソ

 

セーラー・アート・トーマス SAILOR ART THOMAS 1回
●怪力水夫 ●193センチ、121キロ
●1932年1月30日 米・ウィスコンシン州マジソン(テネシー出身説、アリゾナ出身説もあり) 2003年3月20日没 ●ベアハッグ
●テキサス・ヘビー、インターナショナル・タッグ(トロント版)、WWA世界ヘビー(インディアナ版)
42 2(日) MSGシリーズ
リングネームからも解るように水夫からレスラーに転向した変わり種。黒人特有のバネとヘッドバットを武器とした。日本へは一度だけ来日しているが、この時同行していたブルーノ・サンマルチノの人種差別的な言動に怒り、サンマルチノとの特別シングル・マッチを要求するが、無残にもリング上でリンチまがいの攻撃を受けた。五大湖地区では根強い人気を誇っていた。

 

セーラー・ホワイト SAILOR WHITE 3回
●喧嘩屋 ●183センチ、135キロ
●1949年 カナダ・ニューファウンドランド州セントジョンズ出身 2005年8月26日没 ●ニードロップ
●マリタイム・ヘビー、WWFタッグ、インターナショナル・タッグ(モントリオール版)
49 3(国) チャレンジ・S、 49 4(全) 第2回チャンピオン・カー二バル(残留)、49 5(国) ダイナマイト・S(残留 )、51 1(国) 新春パイオニア・S、53 1(国) 新春パイオニア・S
本名はエドワード・ジョン・ホワイト。こちらもリングネームから解るように船乗りからレスラーに転向した。体中に刺青がある奇怪なスタイルでカナダを中心に過激な凶器攻撃とラフ・ファイトで暴れていた。昭和49年の初来日時に国際プロレスに友情参戦した馬場の目に留まり、そのまま残留して第2回チャンピオン・カーニバルに参加、しかしギャラを全て使い果たしてしまい、その後も帰国せずに国際プロレスの新シリーズに参加するという珍記録の持ち主。来日するたびに体重が増加し最後には達磨のような体系になっていた。後にニューヨークでキング・ムーンドッグに変身しWWFタッグ王者になっている。(右写真撮影:HARU一番様)

 

ゼブラ・キッド ZEBRA KID ( ジョージ・ボラス*) 2回
●シマウマ小僧 ●183センチ、135キロ
●1923年9月19日 米・オハイオ州コロンバス 1977年1月没 ●ボディプレス
●ハワイ・ヘビー、ブラスナックル・ヘビー(テキサス版)
31 7(日)プロレス国際大試合*、36 11(日) プロレス秋の国際試合
後に多くのコピーを生んだゼブラ・キッドの初代は、この力道山のインター選手権に挑戦したジョージ・ボラスであった。ボラスはアマレスの学生王者になったが、家庭の事情で金が必要となり、学生の身分を隠すためにマスクを被ってプロのリングに上がったという。日本では力道山にマスクを破られ正体をさらしている。ハワイやロスといった太平洋岸のマーケットで活躍したレスラーで、最後はヨーロッパに主戦場を求めた。1965年にピストル自殺説が流れたが、これは誤報。1977年に死亡している。

 

ゼブラ・キッド ZEBRA KID 1回
●シマウマ小僧 ●180センチ、115キロ
●1932年8月23日 カナダ・オンタリオ州ウインザー出身 1989年12月28日没
●北米ヘビー(カルガリー版)、SCWウエスタンステーツ・ヘビー
51 4(国) ダイナマイト・S
オリジナルのゼブラ・キッドが来日した15年後に国際プロレスが招聘した(日本では)二代目のゼブラ・キッド。予想通り初代ゼブラ・キッドの名声を傷付けるような試合しか出来なかった。覆面をはがして正体を暴露されたが、中身は誰もリングネームを知らないパディ・ライアン(アール・パトリック・フリーマン)なる無名レスラーだった。日本に遠征する際し、初めてゼブラキッドを名乗ったようで、それ以前はバド・フリードマン、エース・フリードマンと名乗っていたようである。

 

セルヒヨ・エル・エルモソ SERGIO EL HERMOSO 3回
●男色の天使 ●173センチ、94キロ
●1946年 メキシコ・モンタレー出身 ●メキシカンストレッチ
●メキシコ州タッグ
55 2(新) ビッグ・ファイト・S、58 10(新) 闘魂S、 64 1(新) 89 新春黄金S
本名はセルヒヨ・サラビア。エル・ベジョ・グレコとのおかまコンビで日本でも「マニアックな」人気を獲得したルチャドール。タッグチームとして3回来日しているが、昭和58年の来日時は来日直後に内臓疾患で入院してしまい、一試合もせぬままパートナーのグレコを残して帰国している。日本に登場した露骨なオカマギミックのレスラーは彼らが初めてではないか?

 

セレソ・ソテーロ CELSO SOTELO 1回
●178センチ、102キロ ●スペイン出身 ●スペイン・ヘビー
47 6(国) ビッグ・サマー・S
スペイン出身のレスラーで、レスラーになる前は闘牛師をしていたという。日本では無名だったが、ホセ・アローヨを破ってスペイン・ヘビー級選手権を獲得している。長髪がトレードマークのなかなかのテクニシャンだったが、中堅以上のレスラーには軽く料理されていた。日本ではジョー・アデールとのスペインコンビで人気を博す。田中忠治とはスペインでライバル関係にあったようで、日本でも両者は好ファイトを展開した。

 

ソニー・キング SONNY KING 2
●186センチ、125キロ
●1945年 米・ルイジアナ州ニューオリーンズ ●ヘッドバット
●WWWFタッグ、ガルフコースト・タッグ、アラバマ・ヘビー、AWA南部タッグ
45 2(日) ダイナミック・S、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)、52 8(新) 闘魂S
本名はローレンス・ジョンソン。ベアキャット・キングのリングネームでも活躍した黒人レスラーで、まずWWWF地区で売り出しチーフ・ジェイ・ストロンボーと組み、黒人としてWWWF初のタイトル・ホルダーとなった。1970年代後半にはマネージャーに転向して、フロリダやテネシー地区でキング軍団を結成し、アーニー・ラッド、オックス・ベイカーなどのレスラーを使ってダスティ・ローデスをリーダーとするベビーフェイス軍団と抗争を展開した。リングネームの「ソニー・キング」はボクシング王者のソニー・リストンを称えたものだとか。

 

ソラール SOLAR 1回
●太陽仮面 ●172センチ、82キロ
●1955年5月25日 メキシコ・ハリスコ州サコアルト・デ・トレース出身 ●ロメロ・スペシャル
●UWA世界ウェルター、UWA世界ミドル、UWA世界ジュニア・ライト・ヘビー
56 8(新)【特】 ブラディ・ファイト・S
最終的にはUWAの世界タイトルの3階級制覇を成し遂げるが、来日した時は線が細く弱々しい印象が強かった。田園コロシアムでタイガーマスクと対戦し、肩を脱臼するアクシデントにみまわれた。後に梶原一騎原作の「スーパースター列伝」では、このアクシデントはタイガーの正体をマスコミに喋ったソラールへのタイガーマスクの制裁である・・・と言う事になっていたが、これは梶原先生の創作であろう。2002年に来日した際には鈴木みのるとバーリトゥード・ルールで対戦し反則負けを喫している。サイン

 

ソルダ・ゴーリキ SOLDAT GORIKY (ラパパポスキー*) 2回
●ロシアの狂人 ●183センチ、110キロ
●1928年 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身
●南部タッグ、パシフィックノースウエスト・タッグ
40 1(日) 【特】新春国際試合、48 2 (国) ビッグ・チャレンジ・S *
本名はウォルター・アレン。デビュー当時は、ジョン・スミスを名乗りアル・スミスとのスミス・ブラザーズとして活躍。ハゲ頭に髭というロシア人ギミックの草分け的存在。ゴーリキとしての初来日時は同じロシア人のイワン・カメロフとのコンビで豊登、馬場組のアジア・タッグに2度挑戦しているが、いずれもストレート負けを喫している。その風貌はマッドドッグ・バションそっくりで、昭和48年国際プロレスの「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」にはラパパポスキーとなのり、バションと揃って来日。タッグを組んだ時には見分けがつかないほど良く似ていた。