来日全外国人レスラー名鑑 シ(2)

 

ジェロニモ・クアネイド JERONIMO KUANEID 1回
30 12(旧国) プロレス国際大試合
日本に初めてやってきたインディアン・レスラー。完全なショーマン・レスラーで、肩書きは凄かったが羽飾りも粗末でいわゆるセミプロ程度の実力しかなかった。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

シエン・カラス CIEN CARAS 1回
100の顔をもつ男 182センチ、99キロ 1949年メキシコ・ハリスコ州サンアンタニア :メキシカンストレッチ :NWA世界ライトヘビー、アメリカス・タッグ
51 10(新) 闘魂S第2弾
デビュー当時はミル・カラスを名乗り、ミル・マスカラスの弟かとも言われたが、全くの誤報。メキシカンにしては大型のマスクマンで期待を集めて来日するが期待はずれに終わる。百の顔を持つ男と呼ばれたが実力もマスカラスの10分の1だったようだ。帰国後はナショナル・ヘビー級王者を獲得してトップ・スターとなり、1987年にはMS1からNWA世界ライト・ヘビー級選手権を獲得する迄に成長した。マスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミルは弟に当たる。現在は素顔で活躍中。得意技はメキシカンストレッチ。本名はカルメロ・レジェス。

 

シカ・アノアイ → サモアンズ1号、2号をみよ

 

ジジ・ザ・グリーク GIGI THE GREEK 1回
人間空母二世 180センチ、180キロ 1948年ギリシャ :フライングソーセージ
51 5(国) ビッグ・チャレンジ・S

ギリシャ出身の巨漢レスラーで、180センチ、180キロというドラエもんのような巨漢。ヘイスタック・カルホーンの亜流ギミックだが、このグリークはアマレスの経験もありレスリングも出来、スピードもかなりのものだった。カナダにかなぜかこの手のお化けレスラーが多かったようだ。

 

シスコ・グリマルド CISCO GRIMALDO 1回
火の男 183センチ、102キロ 1943年メキシコ・ソノラ州ヘルモシロ :メキシカンストレッチ
48 7(新) サマー・ファイト・S
メキシコの大ボスサルバトーレ・ルッタロス・ジュニアにスカウトされてデビューしメキシコで活躍した後、アメリカに進出。主にジョージア、フロリダ等の南部地区で活躍していたメキシコ系のベテラン。メキシカンにしては長身で地味なレスリングを見せた。日本へはテレビ中継がついて間もない新日本プロレスに一度だけやってきて、藤波辰巳の記念すべきTVデビューの相手を勤めている。

 

ジノ・バグノン GINO BAGNON 1回
26 10国連軍 朝鮮国連軍慰問プロレス大会
ブランズ一行に遅れて来日した。「電光男」とニックネームがつけられ、小型だがスピーディな選手だった。練習中に力道山や遠藤幸吉にドロップキックを伝授した。ボビー・ブランズに次ぐ実力者だった。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

ジノ・ブリット GINO BURITO 1回
暴れ獅子 185センチ、107キロ 1937年カナダ(フランス出身説もあり) :足4の字固め :WWWFタッグ、インターナショナル・タッグ(モントリオール版)
43 7(日) 第一次サマー・S
主にカナダで活躍していたフランス系のレスラーで、日本では特別参加したブルーノ・サンマルチノに気に入られ、帰国後も可愛がられた。カナダではかなりのビッグ・ネームで、NWA世界選手権にも何度となく挑戦している。晩年にWWFが新設したインターナショナル選手権を藤波辰巳と争い日本のファンを驚かせたが、完全に全盛を過ぎており、藤波の相手ではなかった。1970年代にはルイス・セルダンの名前でアントニオ・プグリシーとのコンビでWWWFタッグ選手権を保持したこともある。本名はルイス・アセコラ。

 

ジノ・ヘルナンデス GINO HERNANDEZ 2回
閃光狼 185センチ、108キロ 1957年米・テキサス州ヒューストン :ドロップキック :USヘビー(デトロイト版)、アメリカン・ヘビー、NWAインタージュニアヘビー
53 4(全) エキサイト・S、56 8(全) スーパー・アイドル・S
日本で客死したルイス・ヘルナンデスの実子。19歳で父親の遺志を継ぎプロレス入り、すぐにデトロイト地区でUSチャンプとなり、天才出現と騒がれた。昭和53年に全日本プロレスに初来日。昭和56年の再来日ではマスカラス兄弟を相手にイキのいいところを見せた。帰国後はサンアントニオ地区でタリー・ブランチャードとのタッグで活躍、チャボ・ゲレロからNWAインター・ジュニア王者も獲得、昭和61年にはクリス・アダムスとのダイナミック・デュオで新日本プロレスへの参加が決定していたが、来日直前に28歳の若さで謎の急死。他殺説、麻薬中毒説、内臓疾患説が上がったが真相はいまだ不明。  サイン

 

ジノ・マレラ GINO MARERA
人間台風 195センチ、139キロ 米・アラバマ州バーミンガム
38 4(日) 第5回ワールドリーグ戦、38 5(日)世界選手権シリーズ(残留)

ゴリラ・モンスーンの前身で、ワールドリーグ戦では若手とはいいながら好成績を収めた。日本帰りは出世するのジンクス通り、帰国後WWA(ロサンゼルス)で大スターとなる。

詳細はゴリラ・モンスーンの項参照。

 

シバ・アフィ SIVA AFI 1回
南国の平原児 183センチ、105キロ 1953年4月28日西サモア諸島 : ニュージーランド・ヘビー、ハワイ・タッグ
60 8(新) チャレンジ・スピリット85
1974年にニュージーランドでデビュー。ニュージーランドのタイトルを総ナメにした後にハワイに転戦し、崩壊寸前のハワイ・マットでメインを張った。1985年に新日本プロレス勢が参加したホノルルでのビッグマッチでも、メーンでリック・フレアーに挑戦している。その後スヌーカ離脱後のWWFで、後釜として「スーパーフライ」を名乗ったようだが、すぐに姿を消した。(情報提供:黒い一羽鷹、JOEHOOKER SRの両氏)

 

ジプシー・ジョー GYPSY JOE (パンチョ・ロザリオ*) 2回
吸血鷹
180センチ、108キロ 1936年メキシコ
45 7 (国) ビッグ・サマー・S*、47 6(国) ビッグ・サマー・S
パンチョ・バルデスのリングネームでも活躍したレスラーで、メキシコではピューマ狩りの名人だったと自称している。骨折する度に鯨の髭で補強し、2センチの板を叩き割るという肘が武器。二代目のジプシー・ジョーと同じく反則攻撃を得意としたが、二代目ほど徹底したものではなかったらしい。胸に大きな鷲の入れ墨があり、怪奇ムードを盛り上げていた。

 

ジプシー・ジョー GYPSY JOE 20回
放浪の殺し屋 176センチ、110キロ 1933年スペイン・バスク? :ダイビング・ニードロップ :GWA世界ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー
50 9(国) ビッグ・ゴールデン・S、51 10(国) 勇猛シリーズ、52 2(国) 第6回IWA・ワールド・S、52 6(国)【特】ビッグ・チャレンジ・S、53 4(国) スーパー・ファイト・S、54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、54 11(国) デビリッシュ・ファイト・S、55 1(国) 新春パイオニア・S、55 6(国) ビッグ・サマー・S、56 6(国) ダイナマイト・S、56 7(国) ビッグ・サマー・S、56 8(全) スーパー・アイドル・S、57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 10(全) ジャイアント・S、58 1(全) 新春ジャイアント・S、58 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 7(全) グランド・チャンピオン・カー二バル3、59 1(全) 新春ジャイアント・S、59 5(全) グランド・チャンピオン・カーニバル2、60 1(全) 85激突!オールスター・ウォーズ、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ
究極のB級レスラー。「放浪の殺し屋」と呼ばれたタフネスが売りのラフ・ファイター。国際プロレスにぴったりの外人だった。体はジュニアクラスだったが、金網のてっぺんからのニードロップで相手の肋骨を折るなどその暴れっぷりは凄まじかった。いすで叩かれてもケロリとしているというタフネスぶりは想い出深い。国際崩壊後は全日本プロレスに転出したが、馬場とのシングル・マッチでデッドリー・ドライブであっさり負けた時にはがっかりした。スペイン出身と言われていたが、実際はプエルトリコ出身だったようだ。本名はヒルベルト・メレンデス。 サイン

 

ジミー・ジャック・ファンク JIMMY JACK FUNK
南部の暴れ馬 189センチ、112キロ 1960年1月28日米・オレゴン州
63 5(全) 88 スーパー・パワー・S
ジェシー・バーがWWF入りに際し変身したカウボーイ・キャラクター。ジミー・ハートをマネージャーに付けて活躍したが、結局このローンレンジャーのギミックで活躍したのは一年足らずで、WWFを離脱し、素顔のジェシー・バーに戻っている。

ジェシー・バーの項も見よ。

 

ジミー・ジョーンズ JIMMY JONES 1回
183センチ、96キロ 経歴詳細不明
52 9(国) スーパー・ファイト・S
ダニー・ホッジのコーチを受けてプロレスラーとなった男で、ジョージアやアラバマ地区で活躍していたようだ。体つきはブヨブヨしたおおよそレスラーと呼ぶにふさわしくないものであった。キャリア不足で日本勢に軽くあしらわれた。

 

ジミー・スヌーカ JIMMY SNUKA (グレート・スヌーカ *)16回
スーパーフライ 183センチ、105キロ 1945年5月18日フィジー :ダイビング・ヘッドバット :テキサス・ヘビー、USヘビー(オレゴン版)、世界タッグ(大西洋岸版)
46 9 (日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦*、49 11 (全) NWAチャンピオン・S *、56 5(全) スーパー・パワー・S、56 10(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 10(全)【特】ジャイアント・S、60 5(新)【特】 lWGP&WWFチャンピオン・S、60 6(新) 【特】バーニング・スピリット・イン・サマー、60 11(新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 5(新) 【特】86 IWGPチャンピオン・S、61 11(新) 86 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、63 3(全)【特】 88 チャンピオン・カーニバル、63 8(全) 88 サマー・アクション・S2、63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦

フィジー出身で、ディーン・ホーにスカウトされてプロレス入り。ラニー・ケオロハのリングネームでデビュー。その後インディアン・スタイルのグレート・スヌーカに変身し1969年に初来日を果たす。帰国後、原住民スタイルになりオレゴン地区でダッチ・サベージとのコンビで売り出し、長く同地区のUSヘビー、タッグの両タイトル戦線に絡んだ。その後、ミッド・アトランティック地区に転戦し、リッキー・スティムボートとの抗争で日本でも注目を浴びるようになり、ザ・シークのパートナーとして来日。日本でもリッキーとの名勝負を展開した。後にブルーザー・ブロディとコンビ結成、全日本、新日本の両団体で猛威を振るった。WWFに移籍して一時期日本マットから遠ざかった。1967〜1969年の3年連続でボディビルのミスター・ハワイになったこともある。必殺技はダイビング・ボディプレス。 サイン

 

ジミー・ダラ JEMMY DULA 1回
黒いミサイル弾 185センチ、113キロ 1936年フランス :ヘッドバット
45 3(国) 第2回IWAワールド・S
プロレスラーになる前はプロボクサーとして鳴らし、ヨーロッパ・ライト・ヘビー級王座にも就いている。そのなごりかプロレス転向後も試合ではマウスピースを着用していた。ヨーロッパで活躍したレスラーだった為、来日時もほとんど無名だったが、かなりのテクニシャン振りを見せリーグ戦ではビル・ロビンソンの対抗馬と評された。

 

ジミー・バーグ → ジ・アサシンズAを見よ

 

ジミー・バリアント JIMMY VALIANT 3回
金髪の流血魔 192センチ、115キロ 1942年米・イリノイ州シカゴ :エルボードロップ :WWWFタッグ、WWA世界タッグ(シカゴ版)
47 6(日) 第2次ゴールデン・S、47 7(日)第1次サマー・ビッグ・シリーズ(残留)51 5(全) NWAチャンピオン・S、60 1(全) 【特】85激突!オールスター・ウォーズ
「ニューヨークの新星」と呼ばれ大いに期待されて初来日を果たすが、中堅どころにも手が出ないショッパイレスラーだった。後に同じようなタイプのジョン・L・サリバンと意気投合しバリアント兄弟としてWWF、WWAを股にかけて人気爆発、全日本プロレスに来日しインター・タッグに挑戦するがここでもストレート負けを喫している。タッグ解消後は「ブギウギ・マン」としてテネシーあたりで長くカルト的な人気を集めた。アメリカでは爆発的な人気をもつが日本では全く駄目だったという典型的なレスラー。本名ジェームス・ベイレン。サイン

 

ジム・ウィルソン JIM WILSON 1回
192センチ、117キロ 米・ジョージア州アトランタ :タックル
47 8(日) 第2次サマー・ビッグ・S
ジョージア州の大プロモーター、ポール・ジョーンズのドル箱レスラー。高校時代からフットボールとアマレスリングをやり、大学フットボール界の実力校ジョージア大学在学中の1964年には全米オールスターズのタックルに選出され、同時に「フットボールの名誉殿堂」入りしている。卒業後ロサンゼルス・ラムズ入りし、プロレスリングと両刀使いをしたあと1968年からプロレスリング一筋に進んでいる。ブロンコ・ナグルスキー、レオ・ノメリーニの再来と騒がれている。1975年にはIWAの旗揚げに参加している。(参考資料:サマービッグ・シリーズ・パンフ。資料提供D・L・じょな様)

 

ジム・オズボーン JIM OSBORNE ( ミスター・X *) 3回
殺人パンチャー 181センチ、105キロ 1933年米 ・オクラホマ州タルサ :殺人パンチ :NWA世界ジュニアヘビー
44 2(日) ダイナミック・S、45 2(日) ダイナミック・S、45 2 (日)アイアンクロー・S(残留)、48 1 (日) 新春チャンピオン・S*
ボクサー出身のレスラーでワンパンチ・オズボーンと呼ばれた無頼漢。非常に短気な性格でファイト振りも非常に荒く、ゴング誌のランキングで不人気レスラーの上位に名を連ねた。素顔での来日時は2回ともシングル・タイトル挑戦のチャンスは与えられず癇癪を起こしたが、覆面のミスター・Xとして来日してようやく坂口のUN選手権に挑戦の晴れ舞台を与えられた。ミスター・XとしてはNWA世界ジュニア・ヘビー級選手権も獲得している。3度目の来日から帰国後、サーキット中の車中で発作を起こし死亡したと伝えたれたが、これは誤報であった。

 

ジム・ガービン JIM GARVIN 2回
野獣男爵 180センチ、110キロ 1957年カナダ・アルバータ州 : AWA世界タッグ
55 10(新) 闘魂S、59 8(全) スーパー・パワー・S
カナダの出身でスチュ・ハートにスカウトされてプロレス入り。テリーとロニーのガービン兄弟の末弟という触れ込みでデビュー。実際はテリーの息子であったといわれている。当初はフロリダ地区でバディ・ロジャースをマネージャーに正統派として活躍する。初来日のあとダラスに転戦、プレシャス、サンシャインといった女性マネージャーを付けて人気を得る。AWAではスティーブ・リーガルとのコンビでロード・ウォリアーズから世界タッグを奪取する活躍を見せ、再びダラスに戻りテリー・ゴディの抜けたフリー・バーズに参加しトップ・スターとなった。本名ジェームス・ウィリアムス。

 

ジム・グラブマイヤー JIM GRABMIRE 3回
ヘビ男 198センチ、110キロ 1934年米・ケンタッキー州ルイビル :南東部ヘビー
41 3(日) 第8回ワールドリーグ戦、47 6(新) オープニング・S第3弾、49 2(新) ビッグ・ファイト・S
学生時代からアマレスに打ち込み、卒業後にオハイオのプロモーター アル・ハフトにスカウトされてプロレス入り。「ヘビ男」の異名を取り198センチ、110キロという巨漢だったが、これといった技もない木偶の坊だった様だ。初来日は昭和41年の第8回ワールド・リーグ戦だからかなりのベテランであった。本業のプロレスよりもクラッシック・カーのコレクターとしてのほうが有名。父親のフレッド・グラブマイヤーは戦前の名レスラーだったらしい。昭和47年に一緒に来日したジョン・ファーは実弟だが、アメリカでは兄弟であることを隠していたようで、シングルで対戦した記録が残っている。

 

ジム・ゴールデン JIM GOLDEN 1回
アラバマの金獅子 195センチ、106キロ 1950年米・アラバマ州モンゴメリー(ジョージア州サバンナ説もあり): アラバマ州ヘビー、WCW世界タッグ
46 11(日) 【特】ワールド・チャンピオン・S
アラバマのプロモーターであったビル・ゴールデンの息子。アメフト時代はマイアミ・ドルフィンズに在籍したがチームメイトに暴行を働き解雇され、フロリダでプロレス・デビュー。ヒロ・マツダとはライバル関係にあった。その後テネシーに転戦、フレッド・バスとのコンビで暴れた。その後はサンフランシスコ地区で活躍。1994年にバンクハウス・バックの名でWCWと契約。ディック・スレーターとのコンビでWCW世界タッグを獲得し最後の一花を咲かせた。

 

ジム・サベージ JIM SAVAGE 1回
59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル
詳細不明だが、欧州系レスラーであることは間違いなかろう。初来日ではミスター空中に1勝1敗、マッハ隼人(初代)に2敗という成績であり、当然2度と呼ばれることはなかった。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

ジム・スター JIM STARR ( ジ・インターンズ2号 *) 2回
ハングマン 178センチ、115キロ 1938年米・テキサス州 :エルボードロップ :中西部タッグ、ロッキーマウンテン・ヘビー、中米ヘビー
50 3(国) ダイナマイト・S*、56 1(国) 新春パイオニア・S
ルイジアナやカンサスあたりで活躍したラフ・ファイターで全国的な知名度はない典型的なローカル・レスラーであった。社運を賭けたテーズ杯争奪戦に、この様なローカル・レスラーを招聘せざるを得なかった当時の国際プロレスの苦しい台所事情は察するにあまりある白覆面を被ってインターンズ2号としても活躍した。昭和50年に国際プロレスに来日したインターンズ2号はジェリー・クリスティーの偽者というのが定説だったが、その後の調査でジム・スター本人であることが判明。決め手はゴリラのような胸毛である。サイン

 

ジム・ソーレンセン JIN SORENSEN 1回
34 9(日) プロレス秋の国際試合
詳細不明。情報募集中。

 

ジム・ダルトン JIM DULTON 1回
強盗兄弟 179センチ、109キロ 米・ルイジアナ州ニューオリーンズ :南部タッグ(テキサス版、テネシー版)
46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦、53 6(国) ビッグ・サマー・S
ジャックとのダルトン兄弟で活躍したレスラーで、来日前にテキサスでブル・カーリーと「ペンキ塗りデスマッチ」という奇妙な試合をした事が紹介されていた為に、マニアの間では知名度は高かったが、日本にやってきたのは、このダルトン兄弟とは別のいわば3代目(この辺の詳細については「未来日外国人レスラー名鑑」のフランク・ダルトンの項を見よ)。主に南部地区で活躍した。リーグ戦では土壇場で馬場、吉村組の足を引っ張ったのが唯一の仕事。昭和53年にはランディ・ダルトン(ランディ・コーレイ)とのコンビで来日予定だったが、ランディが負傷したため単独で来日している。

 

ジム・ディラン JIM DILLON 7回
金髪の冷血鬼 193センチ、122キロ  1943年カナダ・ノーバスコシア :インターナショナル・タッグ(ノバスコシア版)
49 1(全) 新春NWA・S、50 1(全) 新春ジャイアント・S、52 4(全) 第5回チャンピオン・力ー二バル、52 11(全) 全軍対抗戦、56 1(全) 新春ジャイアントS、58 2(全) エキサイト・S、59 10(全) ジャイアント・S
アメリカではJ・J・ディランとしてマネージャーとして活躍していた男で、グレート小鹿をカンフー・リーに、桜田をケンドー・ナガサキに変身させ売り出した実績を持つが、彼の最大のヒットはザ・シークとアブドーラ・ザ・ブッチャーの最凶コンビであろう。この様な手腕を買われてビンズ・マクマホン・ジュニアの右腕としてWWFの幹部となった。レスラーとしては三流の実力であった。(左写真提供:HARU一番様)

 

ジム・ドゥガン → ハクソー・ジム・ドゥガンを見よ

 

ジム・ドランゴ JIM DURANGO
189センチ、112キロ 1936年米・ジョージア州クーガークリーク
47 3(新) 旗揚げオープニング・S
カール・ゴッチのブッキングで新日本プロレスの旗揚げオープニングシリーズに「弟」のジョー・ドランゴと共にエースとして来日した選手だが、正体はジョージア地区で活躍していたボブ・アームストロングであった。

詳細はボブ・アームストロングの項参照。

 

ジム・ナイドハート JIM NEIDHART 1回
未完の大器 183センチ、125キロ 1956年米・ロードアイランド州ニューポート :パワースラム :WWF世界タッグ、USタッグ(フロリダ版)
57 4(新)【特】 ビッグ・ファイト・S、58 1(新)【特】新春黄金・S、59 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾
プロレス転向前はプロ・フットボーラーとして鳴らし、名門のダラス・カウボーイズやオークランド・レイダースに在籍した実績を持つ。カルガリーでプロレス・デビュー。来日後はフロリダに遠征しクラッシャー・クルスチェフとのコンビでUSタッグを獲得。1985年にジミー・ハートをマネージャーにカルガリー時代の僚友ブレッド・ハートとハート・ファウンデーションを結成して大ブレイク。これまたカルガリー時代の僚友ダイナマイト・キッド、デイビーボーイ・スミス組からWWF世界タッグを獲得する。以後WWFでは貴重な中堅として活躍した。

 

ジム・ハジー JIM HUSSEY 1回
英国の虎 177センチ、108キロ 1932年イギリス :ドロップキック :英国北部ヘビー
43 9(国) ダイナマイト・S
英国北部選手権者としてエース扱いで来日だったが、全くの期待外れ。ドロップキックと得意とし、ゼブラ・キッドを3メートルふっとばし失神させた事もあるとうそぶいていた。ローラーボール・マーク・ロコ(初代ブラック・タイガー)の親父。来日の翌年1969年に死亡。ゴング増刊マスク・コレクションには昭和50年国際プロレスのダイナマイト・シリーズに来日したインターンズ2号の正体だと紹介されているがこれは誤り。(情報提供 : JOE HOOKER SR 氏)

 

ジム・ブランゼル JIM BRUNZELL ( ボブ・ブランゼル *)4回
ミズーリの隼 186センチ、115キロ 1949年8月13日米・ミズーリ州カンサスシティ  :ドロップキック :中西部タッグ、AWA世界タッグ
49 3 (国) チャレンジ・S*、 55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 5(全) 【特】エキサイト・S、59 3(全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバル1
プロレス転向前はハイジャンプのオリンピック代表になりかけた事もあるスポーツマンで、バーン・ガニアのレスリング教室に入学し1973年にデビュー。デビュー間もない昭和49年にボブ・ブランゼルのリングネームだ早くも初来日を果たしている。帰国後はミズーリ地区でマイク・ジョージとのコンビで売り出すが、1970年代後半にAWAに定着しグレッグ・ガニアとのハイ・フライヤーズでAWA世界タッグ王座となり、素晴らしいドロップキックでファンを魅了した。AWAが衰退し始めるとグレッグとのコンビを解消しWWFに転出、ブライアン・ブレアーとキラー・ビーズを結成しタッグ戦線を沸かせた。

 

ジム・ライト JIM WRIGHT 2回
アリゾナの殺人鬼 193センチ、129キロ 1917年米・アリゾナ州  :パンチ攻撃 :中西部タッグ、AWA世界タッグ
34 11(日)【特】プロレス秋の国際試合、36 4(日) 第3回ワールドリーグ戦、36 6(日)プロレス夏の選抜戦(残留)
「アリゾナの殺人鬼」といわれたラフ・ファイターで、昭和34年の初来日では力道山の保持するインターナショナル選手権に連続挑戦、特に大阪でのタイトルマッチでは反則勝ちを含んでいたとはいえ、無敵の快進撃を誇っていた力道山に土を付けた。昭和36年の第3回ワールド・リーグ戦では初来日時に比べやや精彩を欠いたが、アイク・アーキンスとのコンビで力道山、豊登組の保持するアジアタッグに挑戦して引き分けている。(情報提供 : JOE HOOKER SR 氏)