来日全外国人レスラー名鑑 シ(5)

 

ジョセフ・モルナー JOZSIF MOLNER 1回
ハンガリーの餓狼 178センチ、108キロ
48 3(新) ビッグ・ファイト・S
一緒に来日したアーバート・ウェーバーとのコンビで活躍したハンガリー出身のラフ・ファイター。ヨーロッパが主戦場だったため日本では完全な無名であったが、このシリーズからNETが日本プロプレスに替え新日本プロレスの放映を始めたため、一度だけテレビマッチに出場している。(結果は木戸修に負け。)来日前の紹介ではヨーショ・モルナーと表記されていた。

 

ジョニー・アンダーソン JOHNNY ANDERSON 1回
30 12(旧全)日米対抗厚生大臣賞争奪試合
キングストン・ケリーらと来日。ニックネームは狂った恐竜。ポール・アンダーソンの義弟と称していたが真偽は不明。なかなかの実力の持ち主だった。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

ジョニー・イーグルス JOHNNY EAGLES (ジョニー・イーグル*) 2回
イギリスの暴れ鷲 186センチ、110キロ イギリス・マンチェスター :ドロップキック :パシフィックノースウェスト・ヘビー
43 4(国) 日欧チャンピオン決戦S、49 7(新) サマー・ファイト・S*
イギリスではミドル級のトップ・ランカーで、テリー・ジョウェットとのホワイト・イーグルスで活躍した。正統派のファイト・スタイルとは裏腹に、胸に大きな鷲の刺青を入れており、不気味なムードを持っていた。1970年代にロビンソンに刺激されて渡米。レロイ・マクガークに認められ、世界ジュニア・ヘビー級選手権のトップ・コンテンダーとなるが王座を獲得する事はなかった。新日本プロレスに来日した際はすっかりアメリカン・スタイルを吸収したラフ・ファイターに変貌を遂げていた。

 

ジョニー・ウェーバー JOHNNY WABER 1回
南部の若虎 185センチ、118キロ 1930年米・ミズーリ州セントルイス :コブラツイスト :太平洋岸ヘビー、ミッドアトタンティック・タッグ
49 8(全) サマー・アクション・S第2弾

フロリダを中心とした南部地区でジョージ・ベイカーとのコンビで活躍したレスラーで、長らく幻の強豪といわれた。アメリカン・フットボールの出身で殺人タックルが武器。しかし来日は遅く、全盛期はすぎていた。フロリダやジョージアではトップ・クラスだったようだが、他地区ではそれほどの活躍はしていなかった様である。

 

ジョニー・ウォーカー JOHNNY WALKER 1回
ゴム男 185センチ、108キロ 1928年 米 ・ノースカロライナ州チャールストン(ハワイ説もあり) :ジョージア・ヘビー、北米ヘビー(MSWA版)
44 11(日) NWAシリーズ

「ラバーマン」のニックネーム通りに関節を自由に外したり戻したり出来るという特異体質を持つ。テネシーではトージョー山本あたりとボクシング・マッチを行なうなど、2流の扱いを受けたが、ジョージア地区に転戦しマスクを付けてミスター・レスリング2号を名乗ってからは、モースト・ポピュラー・レーティングスの常連になる人気を獲得し、本家のミスター・レスリングを人気の面で完全に上回ってしまった。カーター大統領の母親が彼(レスリング2号当時)の大ファンで、ホワイトハウスに招待される栄誉に浴したが、セキュリティの関係上マスクを取るのが条件だったことから、これを辞退したというマスクマンの鏡のようなエピソードをもつ。

未来日外国人レスラー名鑑のザ・グラップラー、ミスター・レスリング2号の項も見よ。

 

ジョニー・エース JOHNNY ACE 2回
暴走狼 195センチ、115キロ 1965年 米 ・ペンシルバニア州フィラデルフィア :エース・クラッシャー :フロリダ州へビー(ICWA版)
63 8(全) 88 サマー・アクション・S 2、63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦

デビュー当時はシープ・ハーターズのマネージャーとして活躍していたが、当時一世を風靡したロード・ウォリアーズのアニマルの弟ということで全日本プロがレスラーとして招聘した。馬場好みの大型レスラーで長く脇役として全日本プロレスマットの常連外人として活躍したが、トップ外人の座を勝ち得た。今や彼を「アニマルの弟」としてみるファンは少ないのではないだろうか。本名はジョン・ラリナイダス。

 

ジョニー・キンケイド JOHNNY KINKEID 1回
ジャマイカの魔豹 190センチ、115キロ 1946年ジャマイカ・キングストン :ドロップキック :ヨーロッパ・ヘビー(エンタープライズ派)
49 7(新) サマー・ファイト・S
ジャマイカ出身の黒人レスラーで少年時代にイギリスに移住。同じく黒人のジョニー・クォンゴに弟子入りしてプロレス入り。クォンゴとのブラック・スターズというコンビで活躍していた。日本へはカール・ゴッチの推薦で来日。アメリカでは試合をしたことがなかったため来日前は無名だったが、その実力者振りで注目を集め、急遽、猪木とのシングル戦が組まれたほど。来日中はトム・ジョーンズとのコンビで活躍し将来を嘱望された。帰国後はイギリスのエンタープライズ派のヨーロッパ選手権を獲得した。

 

ジョニー・クイン JOHNNY QUINN
荒熊 195センチ、137キロ 1941年カナダ・バンクーバー :エルボードロップ :IWA世界タッグ、北米ヘビー(バンクーバー版)、太平洋岸ヘビー、世界ヘビー(イギリスジョイントプロ版)
45 9(日) 第1回NWAタッグリーグ戦
主にカナダのバンクーバーを主戦場としていたが、ケンタッキー・ブッチャーを名乗りMSGに登場し、ブルーノ・サンマルチノに善戦したことで名を知らしめた。初来日のNWAタッグ・リーグではニック・ボックウィンクルとのコンビで決勝戦に進出、猪木、星野組と名勝負を繰り広げた。後にビッグ・ジョン・クインに改名。

ビッグ・ジョン・クインの項も見よ。

 

ジョニー・ケイス JOHNNY KACE 2回
180センチ、109キロ 1925年米・アイダホ州
40 7(日) サマー・S、46 7(国) ビッグ・サマー・S
相当キャリアの長いラフ・ファイターで初代ニコリ・ボルコフのパートナーとしてデビュー。昭和40年に来日した後はAWA地区に転出し、中堅ラフ・ファイターとして活躍するが、ベビー・フェイスに転向してからはバーン・ガニアのパートナーも務めた。国際プロレスへはAWAのルートでの来日である。

 

ジョニー・コスタス JOHNNY KOSTAS 1回
180センチ、108キロ 1931年ギリシャ・プロバンセ
40 11(日)インター選手権S、40 12(日)ウインター・S(残留)
本名はイオアシス・コンスタンチノ・コストリアス。昭和33年の力道山のブラジル遠征の際に唯一引き分けに持ち込んだが、昭和35年の再戦では26秒でKOされている。アメリカではジム・ロンドスの再来と呼ばれ、1955年にはルー・テーズに挑戦してこれまた引き分けている。イギリスでも活躍し、ビル・ロビンソンに敗れるまでは、大英帝国ヘビー級選手権者として君臨していた強豪。(情報提供:JOE HOOKER SR氏)

 

ジョニー・コワルスキー JOHNNY KOWALSKI  (ジョン・コワルスキー*) 2回
冷血狼 195センチ、120キロ イギリス・ハンプシャー
45 7(国) ビッグ・サマー・S、47 9(新) ニュー・ゴールデン・S*
イギリスで活躍したレスラーで「欧州の狼男」と呼ばれたラフ・ファイター。ニックネームの通り気性が荒く、アマレス時代には試合中に乱闘騒ぎを起こすという問題児で、高校を卒業してすぐにプロレス入り。かなりの喧嘩狂であったというが、高校教師を目指していたとも言われているので、ケンカ狂というのはマスコミが考えたストーリーかもしれない。シャチ横内とのコンビでヨーロッパのタッグ戦線を荒らしまわった事もある。ラフ・ファイトだけでなく正統派ファイトも出来たようだ。サイン

 

ジョニー・サウス JOHNNY SOUTH 1回
イギリス・マンチェスター
60 2(旧U) パンクラチオン・ロード
英国マンチェスター出身で、レイ・スチール(新日本プロレスに来日した英国版)、マーチン・ジョーンズらのライバルだったというが、来日時はミスター空中あたりと五分のレベルだった。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

ジョニー・スター JOHNNY STAR 1回
南部の星 181センチ、100キロ 1933年米・テネシー州  :ドロップキック :南部タッグ、南部地区ジュニア・ヘビー
50 8(全) 第2次サマー・アクション・S

テネシー、アラバマ一体では知名度の高い地元の英雄であるトミー・ギルバートの変名で、エディ・ギルバートの父親。トミー・ギルバートとして知名度があったのに、なぜかデビュー当時のリングネームで来日した。体は小さいがダイナミックなファイトでファンを唸らせ、なかなかの評判だったようだ。南部地区ジュニア・ヘビー級王者にもなった実績を持つ。

 

ジョニー・スミス JOHNNY SMITH 1回
爆弾小僧2世 180センチ、112キロ 1965年イギリス・ウォーワーイングストン :英連邦ミッド・ヘビー、アジアタッグ、世界タッグ
62 6(新) ビッグ・サマー・ファイト・S
カナダのカルガリー地区で活躍したイギリス人レスラーで、デイビーボーイ・スミスの親戚。1982年にイギリスでデビューし、1985年にカルガリー地区に転戦。素質はあるもののもう一つ吹っ切れたファイトが出来ず、全日本プロレスに移籍後も長く脇役に甘んじたが、1998年にはアジア・タッグを獲得、全日本プロレス分裂後は世界タッグ選手権も獲得している。

 

ジョニー・バリアント JOHNNY VALIANT ( ジョン・L・サリバン *)4回
ペンシルバニアの砲弾 187センチ、120キロ 1946年米・ペンシルバニア州ピッツバーグ :エルボードロップ :WWWFタッグ、WWA世界タッグ
44 9(日) ダイヤモンド・S、48 7(新) サマー・ファイト・S、51 5(全) NWAチャンピオン・S*、55 2(全) エキサイト・S*
WWWF地区で次期世界王者候補と期待されていたジョン・L・サリバンの変身。改名後は、ショーマンシップたっぷりのヒールに転向し、ジミー・バリアントとのコンビで、WWWFタッグを獲得するなど、一躍トップスターとなる。ジョニーとのコンビではWWWF、WWAのタッグをそれぞれ獲得したが、昭和51年に全日本プロレスに来日し馬場、鶴田のインタータッグに挑戦した時にはあっさりストレートで軍門に下り、2週間後には極道コンビのアジアタッグに挑戦してまたもや奪取に失敗した。1シリーズでインターとアジアのタッグタイトルに挑戦したチームはバリアント兄弟だけ。フリーバーズの1970年代版というのがぴったりな見てくれだけのショッパいタッグチームであった。

 

ジョニー・バレンタイン JOHNNY VALENTINE 6回
金髪のジェット機・妖鬼 190センチ、115キロ 1929年米・ワシントン州レキシントン :エルボードロップ :世界タッグ(NY地区)、UNヘビー、USヘビー、インターナショナル・タッグ
41 10(東) ビッグ・マッチ・S、42 1(国) パイオニア・S、45 11(日) インター・チャンピオン・S、47 5(日)【特】第一次ゴールデン・S、48 2(日) ダイナミック・S、48 9(新) 【特】闘魂S
スタニスラウス・ズビスコにスカウトされてプロレス入り。ニューヨークでボブ・エリスとのハンサム・コンビで人気を博し、全米を股にかけて活躍した大レスラー。東京プロレスに初来日、以後国際、日本、新日本と4団体に参加した。特に東京プロレスでの猪木との激闘は伝説になっている。また、坂口とも因縁は深く日本プロレス、新日プロレスと股にかけて熱戦を繰り広げた。新日本プロレスに参加した最初の現役超一流レスラーと言っても良かろう。1975年に飛行機事故で下半身不随となり、現役を引退。グレッグ・バレンタインは実子だが、ジョニーは引退するまでその関係を否定していた。黒人レスラーとも積極的にタッグを組んだことでも知られる。試合中に見せる表情は鬼気迫るものがあった。2001年心臓発作のため死亡。サイン

 

ジョニー・バレンド JOHNNY BAREND 2回
伊達男 178センチ、115キロ 1924年米・カリフォルニア州サンフランシスコ :ニードロップ :ハワイ・ヘビー、世界タッグ(太平洋岸版)、インターナショナル・タッグ、USタッグ(共にNY板)
33 9(日) 秋の国際戦、39 6(日) 【特】サマー・S
1950年代後半から1960年代前半にかけて後のグラン・ウィザードであるミスター・クリーンをマネージャーに、マグニフィセント・モーリスとの「伊達男コンビ」でニューヨーク地区のタッグ・タイトルを独占した強豪。ピンクのマントにサングラス、ステッキ、ベレー帽というスタイルで人気を博した。昭和33年の初来日時は同行したスカイ・ハイ・リーと仲間割れを起こし、何と力道山とタッグを組んでリー、ドン・レオ・ジョナサン組と対戦している。日本側についた外人レスラーの第一号である。2度目の来日はモーリスと揃っての来日だったが全盛期の面影はなかった。

 

ジョニー・パワーズ JOHNNY POWERS 12回
死神 190センチ、120キロ 1940年カナダ・ロイドミンスター :パワーズ・ロック :NWF世界ヘビー、NWF北米ヘビー、カナダ・ヘビー
41 10(東) ビッグ・マッチ・S、48 9(新) 【特】闘魂S、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS、49 7(新)【特】サマー・ファイト・S、50 8(新)【特】闘魂S、 51 2(新) 【特】ビッグ・ファイト・S、52 3(新) 第4回ワールド・リーグ戦、 54 1(新) 新春黄金・S、54 10(新)【特】闘魂S、55 3(国) 3・31四大タイトルマッチ、55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦
死神のニックネームでおなじみのカナダ出身のラフ・ファイター。東京プロレス時代からの猪木のライバルで8の字固め(パワーズ・ロック)だけでトップをとったレスラー。試合運びも単調で陰湿なイメージのあるレスラーだった。NWAに干され悪徳プロモーター ペドロ・マルチネスと組んでNWFを設立。同団体の世界、北米王座を独占したが、猪木と坂口に根こそぎ奪い取られたのは哀れであった。晩年はラッシャー木村のIWA世界選手権に挑戦し追い込んだが、国際プロレスに定着すればもう一花あったかもしれない。

 

ジョニー・マンテル JOHHNY MANTEL 6回
黒トカゲ 185センチ、108キロ 1945年米 ・カリフォルニア州
53 8(新) ゴールデン・ファイト・S、54 2(新) ビッグ・ファイト・S、55 6(新) サマー・ファイト・S、59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバル3、61 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 86、61 7(新) バーニングスピリット・イン・サマー
NWA世界ジュニア王者のケン・マンテルの弟。兄と同じく小柄だったため大成はしなかった。ロスでマスクを被りインベーダーを名乗って坂口と対戦しているが惨敗。他にもマスクを被ってザ・フッドを名乗りロス地区で活躍している。一度だけ参加した全日本プロレスではマイティ井上の世界ジュニア王者に挑戦のチャンスを与えられているが、すぐに新日本プロレスに出戻っている。それほどの実績を残したレスラーでもないに関わらず来日回数は多い。本名はジョン・ルスク。

 

ジョニー・ロッシー JOHNNY ROSSI 1回
スピード戦車 180センチ、111キロ 1952年米・テネシー州ナッシュビル
53 8(新) ゴールデン・ファイト・S、54 8(新) ブラディ・ファイト・S

テネシーで活躍したレン・ロシイの息子。来日前のプロフィルでは196センチと紹介されていたが、実際は180センチ前後の小兵であった。試合振りも非常にショッパく、昭和53年ゴング誌の「二度と来てほしくない外人レスラー」の一位にランクされている。父親も日本ではさっぱりだったが、カエルの子はカエルだった。

 

ジョニー・ロッズ JOHNNY RODS 2回
鬼神 1942年185センチ、112キロ プエルト・リコ :ICW世界ヘビー
49 5(全) MSG・シリーズ、53 1(全) 新春ジャイアント・S

鬼神のニックネームで活躍したWWFでは欠かせない中堅レスラー。プエルトリコ出身だがアラビア系の血が入っているそうでデビュー当時はアラビア人ギミックのジャバ・ルークとして中西部で活躍。ジャンボ鶴田がMSGに出場した際の相手も勤め、初来日の開幕戦では鶴田と30分時間切れの引き分けに持ち込んでいる実力者。小型のラフ・ファイターだがレスリング・テクニックには定評があった。ロサンゼルスではジャバ・ルークに戻って活躍し、ロス名物のバトルロイヤルで優勝経験もある。カルロス・ホセ・エストラーダは実弟。本名はジョニー・ロドリゲス。

 

ジョニー・ロンドス JOHNNY LONDOS ( チャールズ・ベレッツ *) 8回
ベルギーの黄金の男 182センチ、110キロ 1934年ベルギー・ブリュッセル :サイドスープレックス : ヨーロッパ・ヘビー
47 1 (国) 新春パイオニア・S* 、4711(新) ニュー・ダイヤモンド・S、49 2(新) ビッグ・ファイト・S、50 2(新) ビッグ・ファイト・S、54 4 (国) ビッグ・チャレンジ・S*、55 8(新) ブラディ・ファイト・S、57 10(新) 闘魂S、60 1(旧U) サンライズ・ウイークス
初期の新日本プロレスの常連選手だが、初来日は国際プロレス。カール・ゴッチのお気に入りで、ゴッチのお墨付きで新日本プロレスへは昭和47年にエース格としてシリーズに参加した事もあるが、チャールズ・ベレッツとして国際プロレスに参加したときは前座扱いだった。実力は相当のもので猪木の欧州遠征の際は、ゴッチの指令でボディガード役を務めた。晩年にはUWFにも参加している息の長い選手だった。

 

ジョニー K−9 JOHNNY K-9 1回 
185センチ、112キロ 1964年ルーマニア :WWA世界ヘビー
63 1(新) 88 新春黄金・S
カナダでビクター・ロゼッターニにスカウトされてプロレス入り。バズ・ソイヤーのパートナーとして、同じスキンヘッドのスタイルで初来日した。K−9とは軍用犬の部隊のことだそうで、実際に犬のポーズを取るギミックだったと記憶している。(情報提供:黒い一羽鷹氏)