来日全外国人レスラー名鑑 シ(6)
| ジョン・L・サリバン
JOHN L. SULLIVAN ペンシルバニアの砲弾 187センチ、120キロ 1946年米・ペンシルバニア州ピッツバーグ |
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| 44 9(日) ダイヤモンド・S、48 7(新) サマー・ファイト・S | ||
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1966年にビンス・マクマホンにスカウトされてプロレス入り。サンマルチノのコーチを受けて正統派としてWWWF地区の有望株として活躍するが、同じようなタイプのジミー・バリアントと意気投合し、ジョニー・バリアントに改名。初来日の際には妻の急病で途中帰国している。アメリカでの人気は1流だが、実力は3流。正式名はジョン・ローレンス・サリバン。 ジョニー・バリアントの項も見よ。 |
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| ジョン・ウイルソン JOHN WILLSON 1回 英国のターザン 188センチ、102キロ イギリス・ブラッドフォード |
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| 60 7(旧U) 格闘熱帯ロード | |
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渋いランカシャー流のレスラー。英国マットが主戦場で、豹柄の衣装に身を包み「ターザン」の異名をもつ。1984年、ジョイント・プロ主催の「グランプリ・ベルト」なる大会で、スカル・マーフィを下し優勝。旧UWF第1回公式リーグ戦・Bリーグに初来日したが、公式戦1勝3敗に終わった。(解説補足 :黒い一羽鷹氏) |
| ジョン・ガニア JOHN GAGNE 1回 カナダの虎鮫 180センチ、107キロ 米・オレゴン州ポートランド |
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| 50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦 | ||
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新日本プロレスの第2回ワールド・リーグ戦にカナダ代表で来日。豹柄のタイツを身に付けたターザン・スタイルで登場したが、新人レスラーに勝つのがやっとの4流レスラー。公式戦は2勝13敗。同シリーズに来日し、同じく成績不振だったサングレ・フリアーとファザール・シンは猪木の逆鱗に触れ「二度と新日本のマットには上げない!」と通告されたが、このガニアは名前すらあがらなかった。当然再来日していない。成績不振を反省してかシリーズ途中で丸坊主にしている。本名はジーン・フェレ・ガニア。アンドレ・ザ・ジャイアントやバーン・ガニアとは無関係。(カラー写真撮影:HARU1番様) |
| ジョン・グレイ JOHN GRAY 2回 南海の快速艇 180センチ、104キロ オーストラリア |
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| 48 11(全) ジャイアント・S第2弾、51 9(全) ジャイアント・S | |
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オーストラリア出身のレスラーで、マーク・ルーインにコーチを受けてラグビーからプロレス入り。ラリー・オデイと共にオーストラリアで売り出し中の若手だった。日本ではアントン・ヘーシンクに当てられ、引き立て役に甘んじた。ルーイン譲りのスリーパー・ホールドを得意とした。2度来日していることを考えると馬場も彼を認めていたということだろう。 |
| ジョン・コックス
JOHN COX
1回 原爆ヘッド 181センチ、115キロ 1943年イギリス :フライング・ヘッド・ハーツ |
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| 43 5(国) ワールド選抜・S、43 6(国) ビッグ・サマー・S(残留) | |
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16才よりアマレス、ラグビー、サッカー、水泳、体操、その他ほとんどのスポーツを体験し、それ何れにも抜群の成績を残し、スーパーマンと呼ばれた。日本での知名度は全くといっていいほどなかったが、来日してみるとこれが意外な実力者ぶりを発揮。ビッグ・サマー・シリーズの開幕戦にのみ残留し草津の英国西部選手権に挑戦している。原爆ヘッドの異名からも分かるとおり、相手の胸めがけて頭からとびこむフライング・ヘッド・ハーツを得意とした。国際プロレス欧州路線に来日した幻の強豪の一人である。 |
| ジョン・コワルスキー
JOHN KOWALSKI 冷血狼 195センチ、120キロ イギリス・ハンプシャー |
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| 47 9(新) ニュー・ゴールデン・S | |
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国際プロレスにジョニー・コワルスキー名義で来日経験のあるポーランド系英国人。大型のレスラーで活躍が期待されたが、戦績はさっぱり。その後2度と来日することはなかった。 ジョニー・コワルスキーの項も見よ。 |
| ジョン・ダ・シルバ JOHN DA SILVA (マジット・アクラ*)
3回 ニュージーランドの帝王 191センチ、119キロ 1932年ニュージーランド :ニュージーランド・ヘビー |
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| 43 11(国) 第1回IWAワールド・S、49 9(全) ジャイアント・S、51 7 (新) アジア・リーグ戦 * | |
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ニュージーランドのマオリ族出身ということで来日し、実際ニュージーランド・マットの顔役として長年活躍したが、昭和51年に新日本プロレスが開催したアジア・リーグ戦ではなぜかパキスタン代表のマジット・アクラに変身していた。スタイルとしてはヨーロッパ流の地味なレスリングで、玄人好みのレスラーだったといえよう。しかし実力はかなりのもので、NWA世界王者当時のパット・オコーナーや、バディ・ロジャースと対等に渡り合った実績を持つ。 |
| ジョン・デビッドソン
JOHN DEVIDSON
1回 無法兄弟 193センチ、116キロ 1950年米・ニューメキシコ州アルバカーキ : サザン・タッグ、アメリカス・タッグ |
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| 55 7(全) サマー・アクション・S | |
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リックとのデビッドソン兄弟でカナダ、アメリカの各地を荒らしまくったタッグの名手・・・といえばカッコ良く聞こえるがはっきり言って2流半の実力しか備わっておらず、来日の際もアジア・タッグにすら挑戦権を与えられていない。国際プロレスに来日すればそこそこやったタイプだろう。ロスではマスラカスとカネックの因縁の対決に乱入して因縁を付け、翌週にマスカラス&カネックのドリーム・チームとぶつかり惨敗を喫している。サイン |
ジョン・テンタ → 外国人留学生名鑑を見よ
| ジョン・トーリー
JOHN
TOLEY 175センチ、100キロ カスピ海バクー |
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| 47 9(新) ニュー・ゴールデン・S | |
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ジョン・フォーリーの変名だが、アメリカのマットとはほとんど縁がなく正体を隠す必要がないのに、なぜ変名を使ったのかは不明。 詳細はジョン・フォーリーの項参照。 |
| ジョン・ドランゴ
JOHN DURANGO
1回 発電所 190センチ、124キロ 米・ジョージア州 |
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| 47 3(新) 旗揚げオープニング・S | |
| これまたゴッチのブッキングで新日本プロレスに来日したジョージア地区の常連レスラーの変名で、正体は初代ビッグ・バッド・ジョンだが、日本でも知名度のあった「ドリー・ファンク・ジュニアを半殺しにした」長髪にあごひげのビッグ・バッド・ジョンとは別人。アメリカではブルーノ・サンマルチノともフルタイムの引き分け試合を演じるなどの実力者であり、初期の新日本プロレスに来日した隠れた強豪のひとりである。昭和50年全日本プロレスの第2次サマーファイト・シリーズにデロ・カークランの名で来日が決定していたが、直前にキャンセルしている。 | |
| ジョン・トロス
JOHN TOROS
4回 ギリシャの黒鷲 187センチ、113キロ 1931年カナダ・オンタリオ州ハミルトン :フライング・ニードロップ :UNヘビー、アメリカスヘビー、アメリカス・タッグ |
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| 43 5(日) ゴールデン・S、49 1(新) 【特】新春黄金S、49 10(新)【特】闘魂S第2弾、54 3(国) スーパー・ファイト・S | ||
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元々は兄のクリスとのタッグ「ゴールデン・グリークス」で名を馳せたがチーム解散後、ロスで長くタイトル戦線に名を連ねていた。アントニオ猪木がUNを奪取した相手として有名になり復讐のため新日本プロレスに来日。猪木にストレート勝ちしたが、その後の来日では猪木に完敗。最後の来日は国際プロレスで木村の世界王座に挑戦するも全盛期を完全に過ぎており完敗を喫した。セカンド・ロープからのニードロップが得意技。引退後はアメリカUWFのコメンテーターとして活躍した。 |
| ジョン・ハイドマン
JOHN HYDEMAN
1回 喧嘩狂坊主 170センチ、101キロ 米 ・ ニューヨーク州 |
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| 47 4(新) オープニング・S第2弾 | |
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写真を見ても解るようにかなり高齢のロートル・レスラー。全盛期には「アニマル」と呼ばれるほどの狂暴なレスラーだったそうだが、来日した時には日本勢にやられるのが気の毒なほどの老人になっていた。こんなレスラーを呼ばなければならなかった新日本プロレスが5年後にはモハメド・アリを招聘するほどの興業能力を持った企業になった事は驚異的である。 |
| ジョン・ハリス
JOHN HARRIS 1回
イギリスの重戦車 183センチ、114キロ イギリス・ロンドン |
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| 52 8(新) 闘魂S | |
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体一面に彫られた刺青が不気味なレスラーだったが、元海兵隊で刺青はこの時に彫ったものだという。あまり知名度は高くないが、1976年度のウィーン・トーナメントで優勝した事もある実力者。新日本プロレスへはカール・ゴッチの推薦で来日。オーストリア、旧西ドイツを中心に活躍。オットー・ワンツあたりと抗争を展開していた。蝶野が「徹子の部屋」でハリスに現夫人を紹介されたと語っていた。 |
| ジョン・ファー
JOHN FURR
1回 180センチ、102キロ 米・インディアナ州 |
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| 47 6(新) オープニング・S第3弾 | |
| レスラー以前は米軍の空軍落下傘部隊に所属し、40数回という危険きわめる空中遊泳をこなしながら軍におけるレスリングではアマチュアチャンピオンを手に入れるほどで、レスラーの素質は抜群である。プロレスラーの基本たるアマチュアレスリングでチャンピオンの座を締めてプロレスラー5年半という経歴の試合においてもスエード・ハンセン、リップ・ホークなどと戦い勝利をおさめて最近では、ジム・バーナードとの戦いにおいても勝っていることは濃い内容を示している。兄、ジム・クラブマイヤーと主戦場を同じくし柔軟な彼はドロップキックを中心に多彩な技とスピード戦法を見せている。兄とタッグを組めば、世界チャンピオンになれると、米国プロモーターの見方であり、将来の大物と言われているレスラーだ。 (みき書房「新日本プロレスリングパンフレット縮刷版」第1巻より抜粋。資料提供:佐々木英俊氏) | |
| ジョン・フォーリー JOHN FOLEY (ジョン・トーリー
*、マスクド・アタッカー*) 4回
175センチ、100キロ カスピ海バクー |
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| 43 2(国) 日欧決戦、47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S *、52 9(国) スーパー・ファイト・S、53 6 (国) ビッグ・サマー・S * | ||
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イギリスの「ヘビの穴」として有名なビリー・ライレー・ジム出身。同ジムではコーチも兼任していたとあって、レスリング・テクニックには定評があり国際プロでもトレーナーを勤めた。カール・ゴッチにサブミッションを取得するきっかけを作ったのはこのフォーリーとの戦いであるといわれている。引退後はカルガリー地区で売り出し中のダイナマイト・キッドのマネージャーとなり、日本のTVにも姿を見せた。高田伸彦がカナダで対戦したオーソル・フォーリーはジョンの弟である。 | |
| ジョン・ミッチェル
JOHN MICHELLE
1回 190センチ、110キロ イギリス ヨークシャー |
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| 50 5(新) ゴールデン・ファイト・S | |
| 叔父のデニスとの「ミッチェル・ファミリーズ」なるタッグ・チームを組んで活躍したレスラー。来日時はキャリアわずか4年で、中堅クラスと五分の成績を残している。体格も欧州にしては珍しく完全なヘビー級だったため非常に将来が嘱望されていたが、帰国後、活躍したというニュースは伝わってこなかった。 | |
| ジョン・リーズ JOHN LEEDS 1回 | |
| 43 4 (国) 日欧チャンピオン決戦S | |
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グレート東郷と喧嘩別れし、外人招聘ルートの無くなった国際プロレスがイギリスのジョイントプロモーションとの提携でブッキングを開始した2シリーズ目にビル・ロビンソンに次ぐエース格として来日。シリーズ中にはTWWA世界タッグに2度(パートナーはトニー・チャールズ、ビル・ロビンソン)挑戦している。また、ビル・ロビンソンと仲間割れを起こし、欧州ヘビー級選手権に挑戦しているがストレートで敗退している。 |
| ジョン・リベラ
JOHN RIVERA
1回 褐色の核弾頭 180センチ、112キロ 1953年(1947年説もあり)プエルトリコ・サンファン :ドロップキック |
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| 52 2(全) エキサイト・S | |
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ビクラー・リベラの実弟とも従兄弟ともいわれるレスラーで、キャリアは古く1960年代後半からWWF地区の前座、中堅として活躍。1979年12月、MSGで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑み熱戦を展開したが、彼がその2年前に全日本プロレスに来日していた事を記憶していたファンはほとんどいなかった。なかなかのテクニシャンだったが、体が小さすぎた。プロフィールでは182センチだが実際は175センチぐらいだったのではないか?一説にはインベーダー3号の正体といわれている。 |
| シルバー・ハリケーン
SILVER
HULLICANE 180センチ、95キロ 1955年ユーゴスラビア・スーイカ :WWU世界ジュニアヘビー |
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| 57 10(新)【特】 闘魂S | |
| 昭和57年の新日本プロ「闘魂シリーズ」に来日した怪覆面レスラー・・・しかしマニアの方はご存知のように「ユーゴの鷹」ミレ・ツルノの変身。労働ビザがおりずに苦肉の策の覆面だった。第1戦で凱旋帰国の小林邦明のフィッシャーマン・スープレックスの餌食となった。 ミレ・ツルノの項も見よ。 |
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| シルバーノ・サウサ
SILVANO SAUSA 1回
185センチ、135キロ 米・ニュージャージー州 |
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| 51 7(全) サマー・アクション・S | |
| ブルーノ・サンマルチノがジャイアント馬場に頼んで修行のために来日させた選手。来日当時キャリア2年のグリーン・ボーイでまだまだプロレスラーと呼べる段階ではなかったが、135キロと言う巨体で大いに奮闘した。 | |
| ジルベール・ボワニー
GIRBERT
BOIGNY ( ローム・マスク
*、マスクド・グラジエーター*) 3回
191センチ、120キロ 1927年フランス・パリ :ロメロ・スペシャル :フランス・ヘビー |
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| 43 11(国) 第1回IWAワールド・S、47 1 (国) 新春パイオニア・S *、 50 5 (新) ゴールデン・ファイト・S * | ||
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フランス出身の大型悪党レスラーで日本へは昭和43年に一度だけ素顔で来日している。ヨーロッパからカナダにかけて活躍していたようで、ヨーロッパ系のレスラーには珍しくバケツなどの凶器を駆使した反則殺法で、観客の憎悪を煽った。実生活では大学院を卒業したインテリで、外人部隊に所属した経験もある変わり種。宣伝に使われた写真(左)ではかなりのベテランに見えるが、来日時はヒゲを生やしていなかった(写真右)ので非常に若く見えた。アメリカではマックス・モーターを名乗り、ハンス・モーター(ターザン・ゾロ)とのコンビで活躍したこともある。 | |
シン・リーガン → シーン・リーガンの項を見よ
| ジン・アンダーソン GENE ANDERSON 3回
極道 183センチ、115キロ 1935年米・ミネソタ州ミネアポリス :ノースカロライナ・タッグ、太平洋岸タッグ |
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| 45 1(日) 新春チャンピオン・S、47 1(日) 新春チャンピオン・S、48 10(国) ビッグ・ウインター・S | |
| 「極道兄弟」と呼ばれたアンダーソン三兄弟の長男を名乗ったレスラーで、昭和45年の春に日本プロレスに初来日。主にミッド・アトランティック地区で活躍したラフ・ファイター。タッグの名手で昭和45年の来日では弟のオレイ、ボボ・ブラジルとのコンビで2度に渡り猪木、吉村組のアジア・タッグに挑戦しているがいずれも惜敗している。昭和47年の来日では大木のアジアヘビーにも挑戦している。国際プロレスでもオレイとのコンビで暴れまくった。 | |
| ジン・キニスキー
GENE KINISKI
8回 荒法師、戦う機械 193センチ、115キロ 1928年カナダ・アルバータ州エドモントン :シュミット式バックブリーカー、ジャイアント・スウィング :NWA世界ヘビー、AWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー、アジア・タッグ |
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| 39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜S(残留)、42 8(日) 【特】第一次サマー・S、43 11(日) 【特】NWAチャンピオン・S、45 11(日) インター・チャンピオン・S、47 11(日) 【特】インター選手権・S、49 3(全)【特】エキサイト・S、50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル、54 4(全)【特】NWAチャンピオン・S | ||
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アメフトのエドモントン・エスキモーズで活躍していたところをエディ・クインにスカウトされてプロレス入り。大型ラフファイターでNWA世界王者として来日するが、防衛戦は行なわず逆に馬場のインターに挑戦し大いに苦しめた。昭和45年にはに馬場からインター王者を奪い、アメリカにタイトルを持ち帰ったこともある。日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに参加したが、最後の来日では老体をさらしオールド・ファンを嘆かせた。NWAとAWAの両世界タイトルを獲得したレスラーは彼しかいない。ふたりの息子(ケリー、ニック)もレスラーになっているが、父の領域には到底及ばなかった。必殺技はシュミット流バックブリーカー。サイン | |
| ジン・ラーベル GENE LeBELL 2回
青い目の三四郎 185センチ、110キロ 1930年米・カリフォルニア州ロサンゼルス |
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| 39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、48 7(新) サマー・ファイト・S | |
| ロスの興業権を独占していた女帝リー・イートン女子の息子で、ジュリアス・ストロンボーの退陣後にプロモーターとなったマイク・ラーベルの兄。アメリカ・ナショナル・レベルでは名を馳せた柔道家。レスラーとしては3流だったが、実はシューターで、ロスマットのポリスマンをつとめ、わがままなミル・マスカラスをバトルロイヤルで処刑した。日本では何といっても猪木VSアリの世紀の対決のレフェリーを勤めた事が特筆される。現在はアメリカ柔術協会のチェアマンで、スタントマンとしても多くの映画に登場している。(追加情報 :JOE HOOKER SR氏) | |
| ジン・リージョン
GENE
LEGION 1回 187センチ、115キロ 米・ノースカロライナ州 |
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| 62 8(全) 87 サマー・アクション・S 2 | |
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前のシリーズに来日していたコルト・スティールと同じく、ネルソン・ロイヤル・ジムで輪島とライバル関係にあった選手で、まだまだプロとしては半人前であった。 |
| ジン・ルイス GENE LEWIS (
ザ・モンゴリアン*、テキサス・レッド*)4回
静かなる殺人鬼 185センチ、118キロ 生年月日不明 カナダ・モントリオール |
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| 50 7(新) サマー・ファイト・S、58 11 (全) 83世界最強タッグ決定リーグ戦 2*、60 6 (全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ 3*、62 5 (全) 87 スーパー・パワー・S * | |
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デール・ルイスにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時はでールの弟としてコンビを組んでいたが、本名はジン・ペティでルイスとは赤の他人。ルージョー一家が中心となって結成するモントリオールのレスリング・エースで活躍。1975年5月にモントリオール市ホール・サウベ・アリーナの試合に出場した彼を見た遠征中の猪木、坂口が招聘を決めたという。後に2代目テキサス・レッド、ザ・モンゴリアンに変身して来日している。 |
| ジンバ・カーン
ZINVA KAHN 1回
184センチ、115キロ シリア・ダマスカス |
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| 53 8(新) ゴールデン・ファイト・S | |
| シリアのダマスカス生まれ。イギリスではハニーボーイ・ジンバの名で活躍。新日本プロレスの看板レスラーだったタイガー・ジェット・シンがパートナーとして連れてきた弱体レスラーのうちの一人で、ごつい体をした黒人レスラーだったが、実力は予想通りでシンの足を引っ張るのが精一杯であった。 | |