来日全外国人レスラー名鑑 シ(6)

 

ジョン・L・サリバン JOHN L. SULLIVAN 
●ペンシルバニアの砲弾 ●187センチ、120キロ
●1946年11月25日 米・ペンシルバニア州ピッツバーグ出身 ●エルボードロップ
●WWWFタッグ、WWA世界タッグ(インディアナ版)、ジョージア・タッグ、USタッグ(フロリダ版)
44 9(日) ダイヤモンド・S、48 7(新) サマー・ファイト・S
1966年にビンス・マクマホンにスカウトされてプロレス入り。サンマルチノのコーチを受けて正統派としてWWWF地区の有望株として活躍するが、同じようなタイプのジミー・バリアントと意気投合し、ジョニー・バリアントに改名。初来日の際には妻の急病で途中帰国している。アメリカでの人気は1流だが、実力は3流。

ジョニー・バリアントの項も見よ。

 

ジョン・ウイルソン JOHN WILLSON 1回
●英国のターザン ●188センチ、102キロ
●イギリス・ブラッドフォード出身
60 7(旧U) 格闘熱帯ロード
渋いランカシャー流のレスラー。英国マットが主戦場で、豹柄の衣装に身を包み「ターザン」の異名をもつ。1984年、ジョイント・プロ主催の「グランプリ・ベルト」なる大会で、スカル・マーフィを下し優勝。旧UWF第1回公式リーグ戦・Bリーグに初来日したが、公式戦1勝3敗に終わった。(解説補足 :黒い一羽鷹氏)

 

ジョン・ガニア JOHN GAGNE 1回
●カナダの虎鮫 ●180センチ、107キロ
●米・オレゴン州ポートランド出身
50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦
本名はジーン・フェレ・ガニア。アンドレ・ザ・ジャイアントやバーン・ガニアとは無関係。新日本プロレスの「第2回ワールド大リーグ戦」にカナダ代表で来日。豹柄のタイツを身に付けたターザン・スタイルで登場したが、新人レスラーに勝つのがやっとの4流レスラー。公式戦は2勝13敗。同シリーズに来日し、同じく成績不振だったサングレ・フリアーとファザール・シンは猪木の逆鱗に触れ「二度と新日本のマットには上げない!」と通告されたが、このガニアは名前すらあがらなかった。当然再来日していない。成績不振を反省してかシリーズ途中で丸坊主にしている。(カラー写真撮影:HARU1番様)

 

ジョン・グレイ JOHN GRAY 2回
南海の快速艇 ●180センチ、104キロ
●オーストラリア出身
48 11(全) ジャイアント・S第2弾、51 9(全) ジャイアント・S
オーストラリア出身のレスラーで、マーク・ルーインにコーチを受けてラグビーからプロレス入り。ラリー・オデイと共にオーストラリアで売り出し中の若手だった。日本ではアントン・ヘーシンクに当てられ、引き立て役に甘んじた。ルーイン譲りのスリーパー・ホールドを得意とした。2度来日していることを考えると馬場も彼を認めていたということだろう。

 

ジョン・コックス JOHN COX 1回
原爆ヘッド ●181センチ、115キロ
●1943年 イギリス出身 ●フライング・ヘッド・ハーツ
43 5(国) ワールド選抜・S、43 6(国) ビッグ・サマー・S(残留)
16才よりアマレス、ラグビー、サッカー、水泳、体操、その他ほとんどのスポーツを体験し、それ何れにも抜群の成績を残し、スーパーマンと呼ばれた。日本での知名度は全くといっていいほどなかったが、来日してみるとこれが意外な実力者ぶりを発揮。ビッグ・サマー・シリーズの開幕戦にのみ残留し草津の英国西部選手権に挑戦している。原爆ヘッドの異名からも分かるとおり、相手の胸めがけて頭からとびこむフライング・ヘッド・ハーツを得意とした。国際プロレス欧州路線に来日した幻の強豪の一人である。

 

ジョン・コワルスキー JOHN KOWALSKI  
●冷血狼 ●195センチ、120キロ
●イギリス・ハンプシャー出身
47 9(新) ニュー・ゴールデン・S
国際プロレスにジョニー・コワルスキー名義で来日経験のあるポーランド系英国人。大型のレスラーで活躍が期待されたが、戦績はさっぱり。その後2度と来日することはなかった。

ジョニー・コワルスキーの項も見よ。

 

ジョン・ダ・シルバ JOHN DA SILVA (マジット・アクラ*) 3回
●ニュージーランドの帝王 ●191センチ、119キロ
●1934年6月11日出身 ニュージーランド・サウスオークランド出身
●ニュージーランド・ヘビー、英連邦ヘビー(ニュージーランド版)
43 11(国) 第1回IWAワールド・S、49 9(全) ジャイアント・S、51 7 (新) アジア・リーグ戦 *
ニュージーランドのマオリ族出身ということで来日し、実際ニュージーランド・マットの顔役として長年活躍したが、昭和51年に新日本プロレスが開催した「アジア・リーグ戦」ではなぜかパキスタン代表のマジット・アクラに変身していた。スタイルとしてはヨーロッパ流の地味なレスリングで、玄人好みのレスラーだったといえよう。しかし実力はかなりのもので、NWA世界王者当時のパット・オコーナーや、バディ・ロジャースと対等に渡り合った実績を持つ。

 

ジョン・デビッドソン JOHN DEVIDSON 1回
●無法兄弟 ●193センチ、116キロ
●1950年 米・ニューメキシコ州アルバカーキ出身
●NWA世界タッグ(デトロイト版)、アメリカス・タッグ
55 7(全) サマー・アクション・S
リックとのデビッドソン兄弟でカナダ、アメリカの各地を荒らしまくったタッグの名手・・・といえばカッコ良く聞こえるがはっきり言って2流半の実力しか備わっておらず、来日の際もアジア・タッグにすら挑戦権を与えられていない。国際プロレスに来日すればそこそこやったタイプだろう。ロスではマスラカスとカネックの因縁の対決に乱入して因縁を付け、翌週にマスカラス&カネックのドリーム・チームとぶつかり惨敗を喫している。サイン

 

ジョン・テンタ → 外国人留学生名鑑を見よ

 

ジョン・トーリー JOHN TOLEY
●175センチ、100キロ
●カスピ海バクー出身(イギリス・リバプール出身説もあり) 1988年没
47 9(新) ニュー・ゴールデン・S
国際プロレスに参加したことのあるジョン・フォーリーの変名だが、アメリカのマットとはほとんど縁がなく正体を隠す必要がないのに、なぜ変名を使ったのかは不明。

詳細はジョン・フォーリーの項参照。

 

ジョン・ドランゴ JOHN DURANGO 1回
●発電所 ●190センチ、124キロ
●米・ジョージア州出身
47 3(新) 旗揚げオープニング・S
これまたゴッチのブッキングで新日本プロレスに来日したジョージア地区の常連レスラーの変名で、正体はビッグ・バッド・ジョンだったといわれているが、日本でも知名度のあった「ドリー・ファンク・ジュニアを半殺しにした」長髪にあごひげのビッグ・バッド・ジョンとは別人。アメリカではブルーノ・サンマルチノともフルタイムの引き分け試合を演じるなどの実力者であり、初期の新日本プロレスに来日した隠れた強豪のひとりである。昭和50年全日本プロレスの「第2次サマーファイト・シリーズ」にデロ・カークランの名で来日が決定していたが、直前にキャンセルしている。

 

ジョン・トロス JOHN TOLOS 4回
●ギリシャの黒鷲 ●187センチ、113キロ
●1930年9月18日 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 2009年5月28日没 ●フライング・ニードロップ
●インターナショナル・タッグ(トロント版、カルガリー版)、WWWF・USタッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版、バンクーバー版)、UNヘビー、アメリカスヘビー、アメリカス・タッグ、パシフィックコースト・ヘビー(バンクーバー版)、ハワイ・ヘビー
43 5(日) ゴールデン・S、49 1(新) 【特】新春黄金S、49 10(新)【特】闘魂S第2弾、54 3(国) スーパー・ファイト・S
元々は兄のクリスとのタッグ「ゴールデン・グリークス」で名を馳せたがチーム解散後、ロスで長くタイトル戦線に名を連ねていた。アントニオ猪木がUNを奪取した相手として有名になり、復讐のため新日本プロレスに来日。猪木にストレート勝ちしたが、その後の来日では猪木に完敗。最後の来日は国際プロレスで木村の世界王座に挑戦するも全盛期を完全に過ぎており完敗を喫した。セカンド・ロープからのニードロップが得意技。引退後はアメリカUWFのコメンテーターとして活躍した。2009年5月28日、肝臓病の悪化が原因でロスの病院で逝去。

 

ジョン・ハイドマン JOHN HYDEMAN 1回
●喧嘩狂坊主 ●170センチ、101キロ
●米 ・ ニューヨーク州出身
47 4(新) オープニング・S第2弾
写真を見ても解るようにかなり高齢のロートル・レスラー。全盛期には「アニマル」と呼ばれるほどの狂暴なレスラーだったそうだが、来日した時には日本勢にやられるのが気の毒なほどの老人になっていた。こんな無名のロートルレスラーを呼ばなければならなかった新日本プロレスが5年後にはモハメド・アリを招聘するほどの興業能力を持った企業になった事は驚異的である。

 

ジョン・ハリス JOHN HARRIS 1回
●イギリスの重戦車 ●183センチ、114キロ
●イギリス・ロンドン出身
52 8(新) 闘魂S
体一面に彫られた刺青が不気味なレスラーだったが、元海兵隊で刺青はこの時に彫ったものだという。あまり知名度は高くないが、1976年度のウィーン・トーナメントで優勝した事もある実力者。新日本プロレスへはカール・ゴッチの推薦で来日。オーストリア、旧西ドイツを中心に活躍。オットー・ワンツあたりと抗争を展開していた。蝶野と親しかったらしく、蝶野は「徹子の部屋」に出演した際にハリスに現夫人を紹介されたと語っていた。

 

ジョン・ファー JOHN FURR 1回
1●80センチ、102キロ ●米・インディアナ州出身
47 6(新) オープニング・S第3弾

レスラー以前は米軍の空軍落下傘部隊に所属し、40数回という危険きわめる空中遊泳をこなしながら軍におけるレスリングではアマチュアチャンピオンを手に入れるほどで、レスラーの素質は抜群である。プロレスラーの基本たるアマチュアレスリングでチャンピオンの座を締めてプロレスラー5年半という経歴の試合においてもスエード・ハンセン、リップ・ホークなどと戦い勝利をおさめて最近では、ジム・バーナードとの戦いにおいても勝っていることは濃い内容を示している。兄、ジム・クラブマイヤーと主戦場を同じくし柔軟な彼はドロップキックを中心に多彩な技とスピード戦法を見せている。兄とタッグを組めば、世界チャンピオンになれると、米国プロモーターの見方であり、将来の大物と言われているレスラーだ。 (みき書房「新日本プロレスリングパンフレット縮刷版」第1巻より抜粋。資料提供:佐々木英俊氏)

 

ジョン・フォーリー JOHN FOLEY (ジョン・トーリー *、マスクド・アタッカー) 4回
●175センチ、100キロ
●カスピ海バクー出身(イギリス・リバプール出身説もあり) 1988年没
43 2(国) 日欧決戦、47 9 (新) ニュー・ゴールデン・S *、52 9(国) スーパー・ファイト・S、53 6 (国) ビッグ・サマー・S
イギリスの「ヘビの穴」として有名なビリー・ライレー・ジム出身。同ジムではコーチも兼任していたとあって、レスリング・テクニックには定評があり国際プロレスでもトレーナーを勤めた。カール・ゴッチにサブミッションを取得するきっかけを作ったのはこのフォーリーとの戦いであるといわれている。引退後はカルガリー地区で売り出し中のダイナマイト・キッドのマネージャーとなり、日本のTVにも姿を見せた。高田伸彦がカナダで対戦したオーソル・フォーリーはジョンの弟である。

 

ジョン・ミッチェル JOHN MICHELLE 1回
●190センチ、110キロ ●イギリス ヨークシャー出身
50 5(新) ゴールデン・ファイト・S
叔父のデニスとの「ミッチェル・ファミリーズ」なるタッグ・チームを組んで活躍したレスラー。来日時はキャリアわずか4年で、中堅クラスと五分の成績を残している。体格も欧州にしては珍しく完全なヘビー級だったため非常に将来が嘱望されていたが、帰国後、活躍したというニュースは伝わってこなかった。

 

ジョン・リーズ JOHN LEES 1回
●ミスター・ユニバース ●185センチ、110キロ
●全英TV
43 4 (国) 日欧チャンピオン決戦S
ボディビル出身のマッチョ・レスラー。グレート東郷と喧嘩別れし、外人招聘ルートの無くなった国際プロレスがイギリスのジョイントプロモーションとの提携でブッキングを開始した2シリーズ目にビル・ロビンソンに次ぐエース格として来日。シリーズ中にはTWWA世界タッグに2度(パートナーはトニー・チャールズ、ビル・ロビンソン)挑戦している。また、ビル・ロビンソンと仲間割れを起こし、欧州ヘビー級選手権に挑戦しているがストレートで敗退している。

 

ジョン・リベラ(ジ・インベーダー3号) JOHN RIVERA 2回
●褐色の核弾頭 ●180センチ、112キロ
●1953年(1947年説もあり)プエルトリコ・サンファン ●ドロップキック
●WWC世界タッグ、WWC世界ジュニアヘビー、UWA世界ジュニアライトヘビー
52 2(全) エキサイト・S、61 8(全) 86サマーアクション・SU*
ビクラー・リベラの実弟とも従兄弟ともいわれるレスラーで、キャリアは古く1960年代後半からWWF地区の前座、中堅として活躍。1979年12月、MSGで藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑み熱戦を展開したが、彼がその2年前に全日本プロレスに来日していた事を記憶していたファンはほとんどいなかった。なかなかのテクニシャンだったが、体が小さすぎた。プロフィールでは182センチだが実際は175センチぐらいだったのではないか? プエルトリコではインベーダー3号として人気を博した。

 

シルバー・ハリケーン SILVER HULLICANE
●180センチ、95キロ
●1955年 ユーゴスラビア・スーイカ出身
●WWU世界ジュニアヘビー
57 10(新)【特】 闘魂S
昭和57年の新日本プロレス「闘魂シリーズ」に来日した怪覆面レスラー・・・しかしマニアの方はご存知のように「ユーゴの鷹」ミレ・ツルノの変身。労働ビザがおりずに苦肉の策の覆面だった。第1戦で凱旋帰国の小林邦明のフィッシャーマン・スープレックスの餌食となった。

ミレ・ツルノの項も見よ。

 

シルバーノ・サウサ SILVANO SAUSA 1回
●185センチ、135キロ ●米・ニュージャージー州
51 7(全) サマー・アクション・S
ブルーノ・サンマルチノがジャイアント馬場に頼んで修行のために来日させた選手。来日当時キャリア2年のグリーン・ボーイでまだまだプロレスラーと呼べる段階ではなかったが、135キロと言う巨体で大いに奮闘した。

 

ジルベール・ボワニー GILBERT VOIENY ローム・マスク *、マスクド・グラジエーター) 3回
●191センチ、120キロ
●1928年11月26日 フランス・パリ出身 2003年12月15日没 ●ロメロ・スペシャル
●フランス・ヘビー
43 11(国) 第1回IWAワールド・S、47 1 (国) 新春パイオニア・S *、 50 5 (新) ゴールデン・ファイト・S

フランス出身の大型悪党レスラーで、日本へは3回来日したが、素顔で来日したのは、昭和43年の一度だけ。ヨーロッパからカナダにかけて活躍していたようで、ヨーロッパ系のレスラーには珍しくバケツなどの凶器を駆使した反則殺法で、観客の憎悪を煽った。実生活では大学院を卒業したインテリで、外人部隊に所属した経験もある変わり種。宣伝に使われた写真(左)ではかなりのベテランに見えるが、来日時はヒゲを生やしていなかった(写真右)ので非常に若く見えた。アメリカではマックス・モーターを名乗り、ハンス・モーター(ターザン・ゾロ)とのコンビで活躍したこともある。

公式サイトはこちら http://www.voiney.eu/

 

シン・リーガン → シーン・リーガンの項を見よ

 

ジン・アンダーソン GENE ANDERSON 3回
●極道 ●183センチ、115キロ
●1935年(1933年説、1939年説もあり) 米・ミネソタ州ミネアポリス出身 1991年10月31日没 ●アトミックボムスアウェイ
●ジョージア・タッグ、NWA世界タッグ(ジョージア版・ミッドアトランティック版)、ミッドアトランティック・タッグ、ジョージアTV
45 1(日) 新春チャンピオン・S、47 1(日) 新春チャンピオン・S、48 10(国) ビッグ・ウインター・S
本名はユージン・アンダーソン。「極道兄弟」と呼ばれたアンダーソン三兄弟の長男を名乗ったレスラーで、昭和45年の春に日本プロレスに初来日。主にミッド・アトランティック地区で活躍したラフ・ファイター。タッグの名手で昭和45年の来日では弟のオレイ、ボボ・ブラジルとのコンビで2度に渡り猪木、吉村組のアジア・タッグに挑戦しているがいずれも惜敗している。昭和47年の来日では大木のアジアヘビーにも挑戦している。国際プロレスでもオレイとのコンビで暴れまくった。

 

ジン・キニスキー GENE KINISKI 8回
●荒法師、戦う機械 ●193センチ、115キロ
●1928年11月23日 カナダ・アルバータ州エドモントン出身 ●シュミット式バックブリーカー、ジャイアント・スウィング
●NWA世界ヘビー、AWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版、日本プロレス版)、アジア・タッグ(日本プロレス版)、NWA世界タッグ(シスコ版)、ハワイ・ヘビー、北米ヘビー(ハワイ版)、大英帝国ヘビー(バンクーバー版、トロント版)、ミスーリ・ヘビー、パシフィックコースト・ヘビー(バンクーバー版)
39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜S(残留)、42 8(日) 【特】第一次サマー・S、43 11(日) 【特】NWAチャンピオン・S、45 11(日) インター・チャンピオン・S、47 11(日) 【特】インター選手権・S、49 3(全)【特】エキサイト・S、50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル、54 4(全)【特】NWAチャンピオン・S
本名はユージン・ニコラス・キニスキー。アメフトのエドモントン・エスキモーズで活躍していたところをエディ・クインにスカウトされてプロレス入り。大型ラフファイターでNWA世界王者として来日するが、防衛戦は行なわず逆に馬場のインターに挑戦し大いに苦しめた。昭和45年にはに馬場からインター王者を奪い、アメリカにタイトルを持ち帰ったこともある。日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに参加したが、最後の来日では老体をさらしオールド・ファンを嘆かせた。NWAとAWAの両世界タイトルを獲得したレスラーは彼しかいない。ふたりの息子(ケリー、ニック)もレスラーになっているが、父の領域には到底及ばなかった。2010年4月14日永眠。サイン

 

ジン・ラベール GENE LeBELL 2回
●青い目の三四郎 ●185センチ、110キロ
●1932年10月9日 米・カリフォルニア州ロサンゼルス出身
●WWA世界ジュニアヘビー(ロス版)、ハワイ・ヘビー、北米ヘビー(アマリロ版)、WWA世界タッグ(インディアナ版)、オハイオ・タッグ
39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、48 7(新) サマー・ファイト・S
ロスの興業権を独占していた女帝リー・イートン女子の息子で、ジュリアス・ストロンボーの退陣後にプロモーターとなったマイク・ラベールの弟。アメリカ・ナショナル・レベルでは名を馳せた柔道家であった。マスクマンのザ・ハングマンとして、2号とのコンビで活躍した時期もある。レスラーとしては一流とはいえなかったが、実はシューターで、ロスマットのポリスマンをつとめ、わがままなミル・マスカラスをバトルロイヤルで制裁した。日本では何といっても猪木VSアリの世紀の対決のレフェリーを勤めた事が特筆される。現在はアメリカ柔術協会のチェアマンで、スタントマンとしても多くの映画に登場している。(追加情報 :JOE HOOKER SR氏)(写真右撮影:花園えびす様)

公式サイトはこちら http://www.genelebell.com/

 

ジーン・リージョン GENE LEGION 1回
●187センチ、115キロ ●米・ノースカロライナ州出身
62 8(全) 87 サマー・アクション・S 2
同年の「サマー・アクション・シリーズ」に来日していたコルト・スティールと同じく、ネルソン・ロイヤル・ジムで輪島とライバル関係にあった選手で、まだまだプロとしては半人前であった。

 

ジン・ルイス GENE LEWIS ( ザ・モンゴリアン*、テキサス・レッド)4回
●静かなる殺人鬼 ●185センチ、118キロ
生年月日不明 カナダ・ケベック州モントリオール出身(テネシー州出身説もあり)
●セントラルステーツTV
50 7(新) サマー・ファイト・S、58 11 (全) 83世界最強タッグ決定リーグ戦 2*、60 6 (全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ 3、62 5 (全) 87 スーパー・パワー・S
本名はジーン・ペティ。デール・ルイスにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時はデールの弟としてコンビを組んでいたが、ルイスとは赤の他人。ルージョー一家が中心となって結成するモントリオールのレスリング・エースで活躍。1975年5月にモントリオール市ホール・サウベ・アリーナの試合に出場した彼を見た遠征中の猪木、坂口が招聘を決めたという。後に2代目テキサス・レッド、ザ・モンゴリアン、ヒルビリー・カズン・ルークなどに変身して来日している。

 

ジンバ・カーン ZIMBA KAHN 1回
●184センチ、115キロ ●シリア・ダマスカス出身
53 8(新) ゴールデン・ファイト・S
イギリスやカナダではハニーボーイ・ジンバの名で活躍。新日本プロレスの看板レスラーだったタイガー・ジェット・シンがパートナーとして連れてきた弱体レスラーのうちの一人で、ごつい体をした黒人レスラーだったが、実力は予想通りでシンの足を引っ張るのが精一杯であった。