来日全外国人レスラー名鑑 ス(1)

 

スイート・ウイリアムス SWEET WILLIAMS (ルーク・ウイリアムス *) 4回
●恐怖のつむじ風 ●183センチ、110キロ
●1947年1月8日 ニュージーランド・ウェリントン出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、パシフィックノースウエスト・タッグ、WWC世界タッグ、NWA南部タッグ
49 9(国) スーパー・ワイド・S、 51 7(国) ビッグ・サマー・S、54 5(全) スーパー・パワー・S、62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 90 *
本名ブライアン・ウィッケンズ。ボブ・ミラー(ニック・カーター、ブッチ・ミラー)とのコンビで、キウィズ、シープ・ハーターズなどで活躍したレスラーで、ジョン・ダ・シルバーにスカウトされてラグビー選手からプロレスラーに転向。デビューからしばらくはシングル・プレイヤーとして活躍したが、1973年にカナダでミラーと出合い意気投合し、その後は引退までコンビを解消する事はなかった。キウィズではカナダで活躍、シープハーターズではWWFで大人気となる。タッグは上手かったが、シングル・プレーヤーとしてはパートナーのミラーと比べると一枚落ちた。

 

スイート・ダディ・シキ SWEET DADDY SIKI  2回
●黒い伊達男 ●180センチ、110キロ
●1938年6月16日 米・テキサス州モンゴメリー出身(ジャマイカ出身説もあり) ●ドロップキック
●イースタンステーツ・ヘビー、オハイオ・タッグ、テキサス・ヘビー、インターナショナル・タッグ(トロント版)、北米ヘビー(カルガリー版、プエルトリコ版)、ハワイ・ヘビー
40 4(日) 第7回ワールドリーグ戦、40 5(日) ゴールデン・S(残留)、59 10(旧U)ストロング・ウイークス

本名はレジナルド・シキ。ジャマイカ出身のレスラーで、華麗なドロップキックを売り物にMSGの桧舞台を始め全米各地で活躍したショーマン派レスラー。試合前に手鏡を持ち、クシで髪をセットするというおかまギミックで売った。歌手としても有名で、何枚かレコードも発売している。ワールドリーグ戦では4勝1敗の好成績を残している。このショーマン派の典型的な男がUWFに、しかも19年ぶりに56歳の高齢で来日したのだから驚く。カントリー歌手としても活動しており、アルバムを3枚残している。

 

スイート・ダディ・バンクス SWEET DADDY BANKS 1回
●黒い伊達男2世 ●183センチ、105キロ
●1947年 米・ジョージア州出身
52 11(国) ダイナマイト・S
いったいこのレスラーを覚えている人は何人いるのだろうか? スイート・ダディ・シキにあこがれてプロレスラーになったというレスラーだが、アメリカでの実績はほとんど聞かない。この時期から国際プロレスに来るレスラーのクオリティーが極端に下がっていった。

 

スイート・ブラウン・シュガー SWEET BROWN SUGAR 1回
●黒い怪鳥 ●180センチ、100キロ
●1956年 米・テキサス州ヒューストン出身 ●ドロップキック
●フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、テキサス・タッグ
57 1(全) 【特】新春ジャイアント・S

藤波と好勝負を展開したスキップ・ヤングの変身。フロリダ地区の突如出現し、華麗な空中殺法で南部のファンを魅了した。来日時は全日本プロ正月恒例のバトルロイヤルで決勝まで残ったが、人気上昇中の天竜に押さえられ優勝を逃した。新日本プロレスに残留していればタイガーマスクの好敵手になったであろう。1982年にアメリカス・ヘビー級を獲得しているスイート・ブラウン・シュガーは別人(ルイス・マリスカルの変名)。

スキップ・ヤングの項も見よ。

 

スウェード・ハンセン SWEDE HANSEN 3回
●スクラップ屋 ●188センチ、126キロ
●1934年 米・バージニア州ノーフォーク出身 2002年2月3日没 ●シュミット式バックブリーカー
●アトランティックコースト・タッグ、南部タッグ、NWA世界タッグ(テネシー版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)
42 5(日) アイアン・クロー・S、42 5(日)ゴールデン・S(残留)、52 8(全) 第2弾サマー・アクション・S、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦

本名はロバート・フォード・ハンソン。1960年代にリップ・ホークとの「泥棒コンビ」で活躍したタッグの名手で、来日時も猪木、吉村組のアジア・タッグに挑戦して大いに苦しめた。あまりにも荒っぽいので練習相手がおらず、車をスクラップになるまで叩き潰して腕力を付けたと言う。しかし、筆者の世代にはMSGタッグ・リーグにアンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーとして参加した時のロートル・レスラーとしての印象しか残っていない。ディック・マードックとアドリアン・アドニスに場外でパイルドライバーをくらい、担架で運ばれる姿はまことに痛々しかった。

 

スーパー・アサシン SUPER ASSASIN
●暗殺者 ●188センチ、135キロ
●1944年 ジョージア州アトランタ出身
51 7(国) ビッグ・サマー・S

大型の覆面レスラーで、上田馬之助が負傷返上したIWA世界選手権を巡って王座決定戦でラッシャー木村と金網デスマッチで激突したが、見事に返り討ちにあった。正体は後に新日本プロレスに3度来日しているロジャー・スミス。

ロジャー・スミスの項も見よ。

 

スーパー・デストロイヤー SUPER DESTROYER (ジ・アステロイド*、スーパー・デストロイヤー1号 ) 3回
超破壊仮面 ●190センチ、125キロ
●1952年5月14日 米・ミネソタ州ダルース出身(フロリダ州セントピータースバーグ出身説もあり) ●雪崩式ブレンバスター

●フロリダ・タッグ、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、ナショナル・タッグ(ジョージア版)、WWWFタッグ(エリック・ランバージャックとして)、アメリカン・タッグ
55 10 (全) ジャイアント・S *、57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦 2、59 2 (全) エキサイト・S

スコット・アーウィンが変身したスーパー・デストロイヤーで、本家のジャーディンにも引けを取らない巨漢であった。サー・オリバー・フンパーディンクをマネージャーに南部地区を中心に活躍。フロリダでのビッグマッチではアンドレ・ザ・ジャイアントと激突し、反則負けの大暴れを見せた。このリングネームでは世界最強タッグに参加したが上田馬之助がパートナーだった為、星勘定は悪かった。スコット・アーウィンはWWFでエリック・ランバージャックとしてWWWFタッグ王者になったレスラーだが、結局、素顔で来日する事なく1987年に脳腫瘍のため病死してしまった。

 

スーパー・デストロイヤー SUPER DESTROYER
超破壊仮面 193センチ、125キロ
1940年 カナダ・ニューブランズウィック州モンクトン出身 2006年12月16日没 ブレーンクロー
●カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、アメリカン・ヘビー、テキサス・ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、北米ヘビー(プエルトリコ版)、ジョージア・ヘビー、フロリダ・ヘビー、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)
51 8(全)【特】ブラックパワー・S、52 4(全) 第5回チャンピオン・力ー二バル、55 2(新) ビッグ・ファイト・S

ドン・ジャーディン(サニー・クーパー)が正体の「本家」スーパー・デストロイヤー。このキャラクターではデストロイヤーの覆面10番勝負の最終戦の対戦者として初来日しているが、覆面をはがされ素顔をさらしている。正体が割れた後も2度来日しているが、昭和55年の最後の来日では完全に峠を越しており、往年の迫力はなくなっていた。その巨体にもかかわらずトップロープを歩くバランス感覚は驚異的。

ドン・ジャーディンの項も見よ。

 

スーパー・デストロイヤー SUPER DESTROYER 
超破壊仮面 195センチ、128キロ
●1942年7月21日 カナダ・ケベック州出身 カナディアン・バックブリーカー
●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ
50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦

こちらは昭和50年の新日本プロレス「第2回ワールド・リーグ戦」に覆面代表で来日したネイル・グアイが正体のカナダ版スーパー・デストロイヤー。リーグ戦では10勝4敗1引き分けと予想以上の活躍をしたが、シリーズ後の韓国遠征での大木とのインター選手権試合で覆面をはがされた。後にタワーリング・インフェルノ、ハングマンとしても何度か来日している。マスクのデザインはエスペクトロとそっくり。

ザ・ハングマンの項も見よ。

 

スーパー・デストロイヤー1号&2号 SUPER DESTROYER #1&2
1号(スコット・アーウィン)=190センチ、125キロ 1952年5月14日 米・ミネソタ州ダルース出身
2号(ビル・アーウィン)=188センチ、113キロ 1954年9月17日 米・ミネソタ州ダルース出身
●アメリカン・タッグ、ナショナル・タッグ(ジョージア版)
59 2(全) エキサイト・S

スコット・アーウィン(1号)とビル・アーウィン(2号)のアーウィン兄弟が変身したもので、来日当時はダラスで活躍していた。このアーウィン兄弟はアメリカでは素顔で活躍していた。石川、阿修羅組が保持していたアジア・タッグに挑戦したものの敗れている。スコットの死後は、ゲーリー・ヤングが加入しチームは継続された。

1号=スーパー・デストロイヤー、2号=ビル・アーウィンの項も見よ。

 

スーパー・ホーク SUPER HAWK 1回
覆面鷹 188センチ、113キロ
カナダ・アルバータ州カルガリー出身 ドロップキック
49 5(新) ゴールデン・ファイト・S

正体はボディビル上がりのマヌエル・クインタナという選手。カナダやオレゴン地区を主戦場にしていたレスラーで、ミル・マスカラス張りのアクロバット・レスリングを展開し、予想以上の活躍で、メイン・エベントにもしばしば登場している。来日前はスリッパー・ホーク(籠を抜けた鷹の意味)として紹介されていた。主戦場はバンクーバーやオレゴンといった太平洋岸北部。

 

スーパー・マシン SUPER MACHINE
●大
巨人マシーン ●223センチ、230キロ
●1946年5月19日フランス・カンタブリア出身
1993年1月27日没 ●18文キック、ヒッププッシュ
●WWF世界ヘビー、IWA世界タッグ
60 8(新) チャレンジ・スピリット85

アンドレ・ア・ジャイアントが変身したジャイアント・マシーンとともに登場したのが、マスクド・スーパースターが変身したスーパー・マシーンであった。あまりにもふざけ過ぎたギミックではあったが、両者共に実力者ゆえ滅法強かった。しかしこの様なギミックは永続きするはずもなく、わずか1シリーズで解散している。

 

スーパー・マックス SUPER MAX 1回
●195センチ、134キロ ●出身地不明
61 8(新) チャレンジ・スピリット 86

シリーズ開幕前のポスターにはチープなペイントをした写真が掲載されていたが、猪木の「ペイントレスラーは邪道だ!」という鶴の一声でアイスホッケーのマスクをつけての登場と相成った3流タッグ・コンビの片割れで、オリジナルの2号があまりにもしょっぱいので急遽参戦したのが、このスーパー・マックスだった。「マッド・マックス」という映画のタイトルは日本独自のタイトル(原題は「ロード・ウォーリアーズ」)なので、レスラー不足に悩んだ新日本プロレスが捏造した「強豪」コンビという事になろう。

 

スーパー・マリオマン SUPER MARIOMAN
●195センチ、155キロ
●1951年12月3日 米・ジョージア州アトランタ 1994年5月23日没
61 10(新) 闘魂・S

レイ・キャンディが変身したキャラクターで、当時人気上昇中のTVゲーム「スーパー・マリオ・ブラザーズ」にあやかったもの。しかし一度はインター・タッグのベルトを腰に巻いたレイ・キャンディがここまで落ちぶれるとは情けない。

レイ・キャンディの項も見よ。

 

スーパー・メディコ SUPER MEDICO
●188センチ、98キロ
●1946年 プエルトリコ・ポンス出身
●WWWFジュニアヘビー、プエルトリカン・ヘビー、WWC世界タッグ
61 8(全) 86 サマーアクション・S2

正体はニューヨークで活躍したプエルト・リコ出身のカルロス・ホセ・エストラーダ。

詳細はカルロス・ホセ・エストラーダの項参照。

 

スーパースター・ビリー・グラハム SUPERSTAR BILLY GRAHAM 5回
鉄腕 195センチ、130キロ
1943年9月10日 米・アリゾナ州フェニックス カナディアン・バックブリーカー、ベアハッグ
NWA世界タッグ(シスコ版)、ハワイ・ヘビー、IWA世界ヘビー(国際プロレス版)、フロリダ・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、WWWFヘビー、CWA世界ヘビー
49 9(国) スーパー・ワイド・S、 51 8(新)【特】闘魂S、53 2(新)【特】新春黄金S、54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、57 1(新)【特】新春黄金・S

本名はエルドリッジ・ウエイン・コールマン。ブルーノ・サンマルチノに引導を渡した事で一流と評されるようになったが、どう考えても力だけの木偶の坊。みばえだけはいいが、試合内容はさっぱりの男。ただアメリカでの人気は高く、1970年代を代表するレスラーに数えて良いだろう。傲慢な気障男スタイルで不人気のトップにランクされていたが、実生活では謙虚で試合の批評を素直に聞くタイプだったと言うから解らない。晩年はテネシーのCWAで世界王者になっている。最後の来日では丸坊主に髭を蓄えたカンフー・スタイルに変身しており、全盛期の印象は全く無かった。スー・インディアンとの混血という説もある。

オフィシャルサイトはこちら http://www.superstarbillygraham.com/

 

スカイ・ハイ・リー SKY HI LEE 2回
テキサスの摩天楼 210センチ、125キロ
1920年 米・ワイオミング州出身
●カナディアン・ヘビー(カルガリー版)
33 9(日) 秋の国際戦、43 6(国) ビッグ・サマー・S

本名はロバート・リーディー。210センチという大男で、これぞ昭和プロレスならではの怪奇派レスラー。デビュー当時はカウボーイ・スタイルのベビーフェイスだったが、酒に溺れ私生活がすさんで行くと共にリング上でもヒールとなり、体にナイフを刺したり、グラスを食べるなどのパフォーマンスでマスコミやファンの目を引くようになる。アルコール中毒が悪化しヨーロッパに流れるが、このときに国際プロに来日。幽霊のような姿を日本のファンの前に曝した。晩年は酒場の用心棒となる。

 

スカル・マーフィ SKULL MURPHY 3回
海坊主 186センチ、113キロ
1931年12月7日 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 1970年3月23日没 ニードロップ
南部ヘビー(ジョージア版)、WWWF・USタッグ、IWA世界ヘビー、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、アジア・タッグ(日本プロレス版)
37 7(日) 夏のプロレス国際試合、43 7(日) 第一次サマー・S、44 5(日) ゴールデン・S

本名はジョン・ジョセフ・マーフィ。少年時代にかかったしょう紅熱が原因で、全身の毛が抜け落ちそのコンプレックスで他人を怨むようになり、リングで対戦相手を次々と血祭りに挙げる・・・というギミックで暴れまくった凶暴レスラー。昭和37年の来日では力道山の右腕を骨折させている。レスラー転向前は弁護士をしていたというインテリだが、私生活でも情緒不安定で狂暴な面を見せる事も多々あったという。ブルート・バーナードとの狂人コンビは全米を恐怖に陥れた。1970年に死亡、ピストル自殺とも、薬物の過剰摂取が原因とも言われている。

 

スカンドル・アクバ SKANDOR AKBAR 2回
アラブの黒鷲 178センチ、120キロ
1934年9月29日 テキサス州ウィチタフォールズ出身 キャメルクラッチ
アラブ・ヘビー、オーストラリア・ヘビー、ジョージア・タッグ
45 1(日) 新春チャンピオン・S、48 6(国) ビッグ・サマー・S

本名はジミー・セイド・ウェービー。ザ・シークに代表されるアラビアン・ギミックのレスラーのひとりで、178センチ、120キロというあんこ型のレスラー。試合内容はラフ一辺倒で、殴る蹴るの攻撃で相手をグロッキーにさせておいてスウィング・ベアハッグで仕留めるというのがパターンだった。中西部地区ではなぜかセクシーなレスラーということで女性に人気があり、晩年もマネージャーとして活躍した。スカンドル・アクバとはアラビア語でアレキサンダー大王を意味する。2010年8月19日永眠。

 

スキップ・ヤング SKIP YOUNG (スイート・ブラウン・シュガー *) 2回
黒い怪鳥 180センチ、100キロ
●1956年 米・テキサス州ヒューストン出身 ●ドロップキック
●フロリダ・タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、テキサス・タッグ
55 1(新) 新春黄金S、57 1(全) 【特】新春ジャイアント・S*

フリッツ・フォン・エリックにスカウトされてプロレス入り。1978年度のNWAの新人王に選ばれ脚光を浴び、1979年にロスで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦し、その素晴らしいドロップキックとクリーンなファイトぶりで山本小鉄を唸らせたが、昭和55年の新春黄金シリーズに初来日した時には膝を負傷しており、実力をフルに発揮できないまま帰国した。後にマスクを被ってスウィート・ブラウン・シュガーに変身、全日本プロレスに参加している。サイン

 

ザ・スコーピオンズ 1号&2号 LES SCORPIONS #1&2
紅さそり軍団
1号(チン・リー)= 180センチ、105キロ 出身地不明
●2号(ジェリー・クリスティー)= 187.5センチ、107キロ 1947年米・カリフォルニア州ビッグサー
51 4(国) ダイナマイト・S

カナダからやってきた覆面コンビでスコーピオンであるにもかかわらず、マスクのデザインもクモだし、クモの糸のようなネットを相手にかぶせて袋叩きにするというせこい攻撃を得意とした。コスチュームの縫い取りを見ても分かるとおり、本来はスコーピオンズではなく、スパイダーメンであった。井上、草津組のIWA世界タッグに挑戦するも見事にストレート負けを喫している。正体は1号がチン・リー、2号がジェリー・クリスティーだから弱いのもうなずける。

チン・リー、ジェリー・クリスティーの項も見よ。

 

ザ・スコーピオンズ 1号&2号 LOS SCORPIONS #1&2 1回
さそり軍
1号 180センチ、105キロ メキシコ出身 2号 182センチ、103キロ メキシコ出身
アメリカス・タッグ
53 2(国) ビッグ・チャレンジ・S

こちらはメキシコ版スコーピオンズ。ロスでアメリカス・タッグを獲得するなどの実績をもっての来日だったが、いかんせん小兵のため期待されたような活躍は出来ず、IWA世界タッグにも挑戦したものの草津、浜口組に完敗している。正体は1号がベニー・ロメロ、2号はロスでも活躍したことのあるラウル・レイエス。(左写真撮影:HARU一番氏)

 

スコッティ・ウイリアムス SCOTTY WILLIAMS 1回
59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル
負けの連続だったが、良いものは持っていた。再来日の期待がかかり、アメリカ、欧州で名前が上がると思われたが、その後とんと姿を消している。(ゴング格闘技2月号増刊より)

 

スコット・アーウィン → スーパー・デストロイヤー 1号、アステロイドをみよ

 

スコット・ケーシー SCOTT CASEY 3回
●テキサス・トルネード ●185センチ、115キロ
●1947年3月19日 米・テキサス州ダラス出身(アマリロ出身説もあり)
●ウェスタン・ヘビー、テキサス・ヘビー、NWA世界タッグ(セントラルステーツ版)
50 5(全) ブラック・パワー・S、51 7(全) サマー・アクション・S、59 4(旧U)UWFオープニング・S

テキサス出身のカウボーイで、ドリー・ファンク・シニアにスカウトされてプロレス入り。キラー・カール・クラップとウエスタン・ヘビー級選手権をめぐる抗争で売り出し、後にWWFに転戦するが、それ以上の活躍は出来ぬままフェード・アウトしてしまった。息子のリック・ケーシーもレスラーになっている。

 

スコット・フェリス SCOTT FERRIS 1回
●185センチ、100キロ ●1956年米・テネシー州
59 8(新) ブラディ・ファイト・S
カナダのカルガリー地区を主戦場としていた若手選手で、オレゴン、ワシントンなどのPNW地区でもアル・マドリル、ブライアン・アディダスと抗争を展開していた。新日本プロレスへはダイナマイト・キッドの推薦で来日。

 

スコット・ホール SCOTT HALL 6回
●野生の狼 ●198センチ、130キロ
●1958年10月20日 米 ・フロリダ州タンパ出身
●AWA世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、カリビアン・ヘビー、WCW世界タッグ、WWCユニバーサル・ヘビー
62 5(新) 87 lWGPチャンピオン・S、62 8(新) 戦国合戦シリーズ、62 11(新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、 63 4(新) スーパー・ファイト・S、63 8(新) 88 戦国S、63 11(新) 88 ジャパンカップ・S

プロレス入り前はフロリダの動物園でワニとの格闘ショウを行なっていたという変わり種。バリー・ウィンダムにコーチを受けてデビュー。コヨーテのリングネームでイーグル(ダニー・スパイビー)とのアメリカン・スターシップなるコンビで活躍。コンビ解消後AWAに転戦しカート・ヘニングとのコンビで世界タッグ王者となる。日本ではジャパンカップ・タッグリーグ戦で坂口とコンビを組むなど期待されたが、スターにはなれなかった。しかしWWFで髭をそり髪を黒く染めてメキシコのチンピラ・ギミックのレザー・ラモンに変身してからはトップスターになった。

 

スコット・マギー SCOTT McGHEE 3回
●英国の貴公子 ●185センチ、110キロ
●1957年 イギリス・ブラッドフォード ●ジャーマンスープレックス
●フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、USジュニアヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ
57 5(新) 第2次サマー・ファイト・S、59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル、60 8(旧U)格闘プロスペクト

本名はガーフィールド・ポーツ。日本にも何度か来日しているジェフ・ポーツの息子でヨーロッパでデビューし、1980年に渡米しゴッチ道場に入門、フロリダ・ヘビー級王者になり注目を集める。昭和57年のサマー・ファイト・シリーズ第1弾にゴッチの推薦で来日、負傷欠場していた猪木の復帰戦の相手を勤め、いきなり猪木を急角度のスープレックスで投げ捨てて観客を驚かした。有望株として期待されたが、大成はしなかった。1988年に心不全に見舞われ再起不能に。現在は看護士として働いているという。

 

スコルピオン SCORPION
●赤さそり ●170センチ、103キロ
●1948年 メキシコ ・サンルイスポトシ出身
●UWA世界ヘビー、WWA世界ヘビー(メキシコ版)
61 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 86
エル・スコルピオの変名、エル・スコルピオの項参照。

 

スタイガー兄弟 → カール・フォン・スタイガー、スルトフォンスタイガーを見よ

 

スタン・ザ・ムース STAN THE MOOSE
カナダの暴れ鹿 193センチ、125キロ
●1935年7月6日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 ●パイルドライバー
●ウエスタンステーツ・ヘビー、オーストラアジアン・ヘビー、カナディアン・ヘビー(バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
44 7(国) ビッグ・サマー・S
後にドクター・デス、ジ・アベンジャーとして活躍したムース・モロウスキーの前身。この時はあまりインパクトを残すことが出来なかったが、ドクター・デスに変身してからブレイクする。

ムース・モロウスキーの項参照。

 

スタン・スタージャック STAN STASIAK (クラッシャー・スタージャック *) 5回
●狼男 ●193センチ、122キロ
●1937年4月13日 カナダ・ケベック州アービタ出身  ●ハートパンチ
●インターナショナル・タッグ(トロント版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、北米ヘビー(カルガリー版)、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)、テキサス・ヘビー、NWF北米ヘビー、ブラスナックル・ヘビー(アマリロ版)、WWWFヘビー
41 12(東) チャンピオン・S、44 3(国) 【特】 ワールド選抜・S、48 2(全) ジャイアント・S結集戦*、49 4(新) 第1回ワールド・リーグ戦、54 2(新) ビッグ・ファイト・S

本名はジョージ・スティピッチ。アントニオ猪木のアメリカ修行時代のライバル。東京プロレスに初来日し、猪木のUS選手権に挑戦し、派手なラフファイトを披露している。全日本プロレスに参加後、1973年ニューヨークでペドロ・モラレスからWWWF王座奪取。新日本プロレスの第1回ワールド・リーグ戦にアメリカ代表として来日。予選は4勝2敗2引き分けで通過するが、決勝リーグでは2勝4敗1引き分けと大きく期待を裏切った。この後も来日しているが、中堅クラスにも負けるほど実力は低下していた。1997年に肝臓ガンのため逝去。(写真撮影:花園えびす様)

 

スタン・ハンセン STAN HANSEN 48回
●不沈艦 ●192センチ、135キロ
●1949年8月29日 米 ・テキサス州ナックシティ出身 ●ウエスタンラリアート
●UAタッグ(オクラホマ版)、北米ヘビー(オクラホマ版)、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、NWFヘビー、PWFヘビー、インターナショナル・タッグ(全日本プロレス版)、AWA世界ヘビー、三冠ヘビー
50 9(全) ジャイアント・S、52 1(新) 新春黄金・S、52 8(新) 闘魂S、54 4(新) 第2回MSG・シリーズ、55 1(新) 新春黄金S、55 2(新)【特】 ビッグ・ファイト・S、55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、55 8(新) ブラディ・ファイト・S、55 9(新)9・31ファン感謝スーパーファイト(残留)、55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 4(新) 【特】WWFビッグ・ファイト・S第2弾、56 5(新) 第4回MSG・シリーズ、56 6(新) 6・25スーパーファイト、56 8(新) ブラディ・ファイト・S、56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 5(全) エキサイト・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、 58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 8(全) スーパー・パワー・S、58 9(全)【特】 ジャイアント・S、58 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV、59 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、 60 3(全) 85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、60 8(全) 【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86、 61 7(全) 86 サマーアクションS、61 8(全)【特】 86 サマーアクション・SU、 61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S、 61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、 62 7(全) 87 サマー・アクション・S、 62 8(全) 87 サマー・アクション・S U、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、 63 2(全)【特】 88 エキサイト・S、63 3(全)【特】 88 チャンピオン・カーニバル、 63 7(全) 88 サマー・アクション・S、63 8(全) 88 サマー・アクション・S U、 63 10(全) 【特】88 ジャイアント・S、 63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦

本名はジョン・スタンレー・ハンセン。昭和50年に全日本プロレスの「ジャイアント・シリーズ」に初来日。この時は新人の域を出なかったが、帰国後MSGに乗り込み、ボディスラムの失敗とは言えサンマルチノの首を折ったことで一躍スターになる。しかし、試合が荒すぎるため各地のプロモーターから干された所を上田馬之助の紹介で新日本プロレスに登場。とどまるところを知らない突進ファイトで猪木を苦しめ、新日本プロレスの昭和50年代を代表する看板外人レスラーとなった。必殺技のウエスタンラリアートは現在最もポピュラーなプロレス技となっている。その後は全日本プロレスにUターンし、来日も軽く100回を越えている。日本で最も成功した外人レスラーといえよう。 サイン

 

スタン・プラスキー STAN PULASKY マッド・ラシアン*)4回
●183センチ、110キロ
●1929年6月12日 米・ネブラスカ州ストームスバーグ出身 ●ニードロップ
●南部タッグ(トライステート版、ジョージア版)、パシフィックノースウエスト・ヘビー、カリフォルニア・ヘビー、ジョージア・タッグ、ミッドウエスト・ヘビー、北米ヘビー(マリタイム版)
40 12(日) ウィンター・S、42 9 (日) ダイヤモンド・S *、48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル*、48 11(全) ジャイアント・S第2弾
本名はエリック・ポメロイ。ポーランド出身といわれていたが、実際はネブラスカ州出身のアメリカ人。スタン・プラスキー、マッド・ラシアン、ザ・ラシアンなどのリングネームを使い分けたレスラーで、AWA圏を主戦場とし、マスクを被ってザ・デストロイヤー、短期間だがスタン・バションを名乗りバション兄弟の3男として活躍したこともある。

マッド・ラシアンの項も見よ。

 

スタン・フレイザー → ザ・コンビクトを見よ 

 

スタンリー・レーン STANLEY LANE 1回
●新野生児 ●185センチ、105キロ
●1953年 米・サウスカロライナ州 ●ソバット
●フロリダ・タッグ、AWA南部タッグ、サザン・タッグ(テネシー版)、USジュニアヘビー(ジョージア版)、CWA世界タッグ
56 7(新) サマー・ファイト・S
本名はブレック・スタンフィールド・レーン。1978年にリック・フレアーの口利きでプロレスラーとなり当初はスタン・フレアーと名乗った。フロリダ、ジョージアなどで活躍し、1981年にはヒロ・マツダのブッキングで早くも初来日。前評判はそれほどでもなかったが、藤波のWWFジュニア選手権に2度に渡って挑戦するという大抜擢を受けた。1983年にスティーブ・カーンとファビュラス・ワンズなるコンビを組み、テネシー地区のタッグを獲得。カーンとのコンビ解消後はボビー・イートンとのミッドナイト・エキスプレスを結成している。

 

スタンレー・コワルスキー STANLEY KOWALSKI
ぶっ壊し屋 190センチ、125キロ
1933年 米・ミネソタ州出身 バックブリーカー
AWA世界タッグ
33 11(日) プロレス国際大試合
後にクラッシャー・コワルスキー、ビッグKとして来日している選手。ビッグK時代はマネージャーとしてAWA修行中のストロング小林の世話をした親日家。

詳細はビッグKの項を見よ。

 

スタンレー・リソワスキー STANLEY RISOWSKI 1回
193センチ、114キロ
1933年4月4日 カナダ・オンタリオ州チャタム出身 (米・イリノイ州出身説もあり)
NWA世界タッグ(シカゴ・インディアナ版、ジョージア版)、オハイオ・タッグ、AWA世界タッグ、WWAインターナショナルTVタッグ(ロス版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
35 4(日) 第2回ワールドリーグ戦
本名はスタン・ホレック。フットボール出身のポーランド系アメリカ人。1950年代後半にクラッシャー・リソワスキーとのリソワスキー・ブラザーズとしてコンビを組んで暴れ、NWA世界タッグを獲得した。日本へは単独で来日。来日後(前か?)にクラッシャーとのチームは解散。スタン・ネルソンを名乗り1962年にアート・ネルソンとのコンビでAWA世界タッグを獲得、シングル転向後は本名のスタン・ホレックの名義で活躍した。