来日全外国人レスラー名鑑 ス(1)
| スイート・ウイリアムス
SWEET WILLIAMS
(ルーク・ウイリアムス *) 4回 恐怖のつむじ風 183センチ、110キロ 1947年ニュージーランド・ウェリントン :インターナショナル・タッグ(カルガリー版) |
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| 49 9(国) スーパー・ワイド・S、 51 7(国) ビッグ・サマー・S、54 5(全) スーパー・パワー・S、62 2 (新) スプリング・フレアーアップ 90 * | ||
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ボブ・ミラー(ニック・カーター、ブッチ・ミラー)とのコンビで、キウィズ、シープ・ハーターズなどで活躍したレスラーで、ジョン・ダ・シルバーにスカウトされてラグビー選手からプロレスラーに転向。デビューからしばらくはシングル・プレイヤーとして活躍したが、1973年にカナダでミラーと出合い意気投合し、その後は引退までコンビを解消する事はなかった。キウィズではカナダで活躍、シープハーターズではWWFで大人気となる。タッグは上手かったが、シングル・プレーヤーとしてはパートナーのミラーと比べると一枚落ちた。本名ブライアン・ウィッケンズ。 |
| スイート・ダディ・シキ SWEET DADDY SIKI 2回 黒い伊達男 180センチ、110キロ 1938年米・フロリダ州(ジャマイカ説もあり) :ドロップキック :テキサス・ヘビー、ハワイ・ヘビー |
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| 40 4(日) 第7回ワールドリーグ戦、40 5(日) ゴールデン・S(残留)、59 10(旧U)ストロング・ウイークス | ||
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ジャマイカ出身のレスラーで、華麗なドロップキックを売り物にMSGの桧舞台を始め全米各地で活躍したショーマン派レスラー。試合前に手鏡を持ち、クシで髪をセットするというおかまギミックで売った。歌手としても有名で、何枚かレコードも発売している。ワールドリーグ戦では4勝1敗の好成績を残している。このショーマン派の典型的な男がUWFに、しかも19年ぶりに56歳の高齢で来日したのだから驚く。 |
| スイート・ダディ・バンクス
SWEET DADDY BANKS
1回 黒い伊達男2世 183センチ、105キロ 米・ジョージア |
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| 52 11(国) ダイナマイト・S | |
| いったいこのレスラーを覚えている人は何人いるのだろうか?スイート・ダディ・シキにあこがれてプロレスラーになったというセミプロ・レスラー。このころから国際プロレスに来るレスラーのクオリティーが極端に下がっていった。 | |
| スイート・ブラウン・シュガー SWEET BROWN SUGAR 1回
黒い怪鳥 180センチ、100キロ 1956年米・テキサス州ヒューストン :ドロップキック |
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| 57 1(全) 【特】新春ジャイアント・S | |
藤波と好勝負を展開したスキップ・ヤングの変身。フロリダ地区の突如出現し、華麗な空中殺法で南部のファンを魅了した。来日時は全日本プロ正月恒例のバトルロイヤルで決勝まで残ったが、人気上昇中の天竜に押さえられ優勝を逃した。新日本プロレスに残留していればタイガーマスクの好敵手になったであろう。 スキップ・ヤングの項も見よ。 |
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| スウェード・ハンセン
SWEDE HANSEN
3回 スクラップ屋 188センチ、126キロ 1934年米・バージニア州ノーフォーク :シュミット式バックブリーカー :南部タッグ、NWA世界タッグ(テネシー版) |
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| 42 5(日) アイアン・クロー・S、42 5(日)ゴールデン・S(残留)、52 8(全) 第2弾サマー・アクション・S、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦 | |||
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1960年代にリップ・ホークとの「泥棒コンビ」で活躍したタッグの名手で、来日時も猪木、吉村組のアジア・タッグに挑戦して大いに苦しめた。あまりにも荒っぽいので練習相手がおらず、車をスクラップになるまで叩き潰して腕力を付けたと言う。しかし、筆者の世代にはMSGタッグ・リーグにアンドレ・ザ・ジャイアントのパートナーとして参加した時のロートル・レスラーとしての印象しか残っていない。ディック・マードックとアドリアン・アドニスに場外でパイルドライバーをくらい、担架で運ばれる姿はまことに痛々しかった。本名はロバート・フォード・ハンソン。 |
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| スーパー・アサシン
SUPER ASSASIN 暗殺者 188センチ、135キロ 1944年ジョージア州アトランタ |
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| 51 7(国) ビッグ・サマー・S | |
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大型の覆面レスラーで、上田馬之助が負傷返上したIWA世界選手権を巡って王座決定戦でラッシャー木村と金網デスマッチで激突したが、見事に返り討ちにあった。正体は後に新日本プロレスに3度来日しているロジャー・スミス。 ロジャー・スミスの項も見よ。 |
| スーパー・デストロイヤー SUPER DESTROYER
( ジ・アステロイド*、スーパー・デストロイヤー1号
*)
3回 超破壊仮面 190センチ、125キロ 1950年米・フロリダ州セントピータースバーグ :雪崩式ブレンバスター :WWWFタッグ(エリック・ランバージャックとして)、アメリカン・タッグ(スコット・アーウィンとして) |
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| 55 10 (全) ジャイアント・S *、57 11 (全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦 2、59 2 (全) エキサイト・S * | |
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スコット・アーウィンが変身したスーパー・デストロイヤーで、本家のジャーディンにも引けを取らない巨漢であった。サー・オリバー・フンパーディンクをマネージャーに南部地区を中心に活躍。フロリダでのビッグマッチではアンドレ・ザ・ジャイアントと激突し、反則負けの大暴れを見せた。このリングネームでは世界最強タッグに参加したが上田馬之助がパートナーだった為、星勘定は悪かった。スコット・アーウィンはWWFでエリック・ランバージャックとしてWWWFタッグ王者になったレスラーだが、結局、素顔で来日する事なく1987年に脳腫瘍のため病死してしまった。 |
| スーパー・デストロイヤー
SUPER DESTROYER 超破壊仮面 193センチ、125キロ 1940年カナダ・ケベック州モントリオール :ブレーンクロー :アメリカン・ヘビー |
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| 51 8(全)【特】ブラックパワー・S、52 4(全) 第5回チャンピオン・力ー二バル、55 2(新) ビッグ・ファイト・S | |||
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ドン・ジャーディン(サニー・クーパー)が正体の「本家」スーパー・デストロイヤー。このキャラクターではデストロイヤーの覆面10番勝負の最終戦の対戦者として初来日しているが、覆面をはがされ素顔をさらしている。正体が割れた後も2度来日しているが、昭和55年の最後の来日では完全に峠を越しており、往年の迫力はなくなっていた。その巨体にもかかわらずトップロープを歩くバランス感覚は驚異的。得意技はブレーンクロー。 ドン・ジャーディンの項も見よ。 |
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| スーパー・デストロイヤー
SUPER DESTROYER 超破壊仮面 195センチ、128キロ フランス・ブルゴーニュ :カナディアン・バックブリーカー |
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| 50 4(新) 第2回ワールド・リーグ戦 | |
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こちらは昭和50年新日本プロレスの「第2回ワールド・リーグ戦」に覆面代表で来日したネイル・グアイが正体のカナダ版スーパー・デストロイヤー。リーグ戦では10勝4敗1引き分けと予想以上の活躍をしたが、シリーズ後の韓国遠征での大木とのインター選手権試合で覆面をはがされた。後にタワーリング・インフェルノ、ハングマンとしても何度か来日している。マスクのデザインはエスペクトロとそっくり。 ザ・ハングマンの項も見よ。 |
| スーパー・デストロイヤー1号&2号
SUPER DESTROYER #1&2 1号 190センチ、125キロ 1950年米・フロリダ州セントピータースバーグ、2号 188センチ、113キロ 1952年米・ジョージア州アトランタ |
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| 59 2(全) エキサイト・S | |
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スコット・アーウィン(1号)とビル・アーウィン(2号)のアーウィン兄弟が変身したもので、来日当時はダラスで活躍していた。このアーウィン兄弟はアメリカでは素顔で活躍していた。石川、阿修羅組が保持していたアジア・タッグに挑戦したものの敗れている。 ジ・アステロイド、ビル・アーウィンの項も見よ。 |
| スーパー・ホーク
SUPER HAWK
1回 覆面鷹 188センチ、113キロ カナダ・カルガリー :ドロップキック |
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| 49 5(新) ゴールデン・ファイト・S | |
昭和49年 新日本プロレスの「ゴールデン・ファイト・シリーズ」に参加した覆面レスラーで、正体はボディビル上がりのマヌエル・クインタナという選手。カナダやオレゴン地区を主戦場にしていたレスラーで、ミル・マスカラス張りのアクロバット・レスリングを展開し、予想以上の活躍で、メイン・エベントにもしばしば登場している。来日前はスリッパー・ホーク(籠を抜けた鷹の意味)として紹介されていた。主戦場はバンクーバーやオレゴンといった太平洋岸北部。 |
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| スーパー・マシン SUPER MACHINE 大巨人マシーン 223センチ、220キロ フランス・ブルノーブル |
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| 60 8(新) チャレンジ・スピリット85 | |
アンドレが変身したジャイアント・マシーンとともに登場したのが、マスクド・スーパースターが変身したスーパー・マシーンであった。あまりにもふざけ過ぎたギミックではあったが、両者共に実力者ゆえ滅法強かった。しかしこの様なギミックは永続きするはずもなく、わずか1シリーズで解散している。 |
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| スーパー・マックス
SUPER MAX 1回 195センチ、134キロ 出身地不明 |
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| 61 8(新) チャレンジ・スピリット 86 | |
シリーズ開幕前のポスターにはチープなペイントをした写真が掲載されていたが、猪木の「ペイントレスラーは邪道だ!」という鶴の一声でアイスホッケーのマスクをつけての登場と相成った3流タッグ・コンビの片割れで、オリジナルの2号があまりにもしょっぱいので急遽参戦したのがこのスーパー・マックスだった。「マッド・マックス」という映画のタイトルは日本独自のタイトル(原題は「ロード・ウォーリアーズ」)なので、レスラー不足に悩んだ新日本プロレスが捏造した「強豪」コンビという事になろう。 |
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| スーパー・マリオマン
SUPER
MARIOMAN 195センチ、155キロ 1951年米・ジョージア州アトランタ |
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| 61 10(新) 闘魂・S | |
レイ・キャンディが変身したキャラクターで、当時人気上昇中のTVゲーム「スーパー・マリオ・ブラザーズ」にあやかったもの。しかし一度はインター・タッグのベルトを腰に巻いたレイ・キャンディがここまで落ちぶれるとは情けない。 レイ・キャンディの項も見よ。 |
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| スーパー・メディコ
SUPER
MEDICO 188センチ、98キロ 1946年プエルトリコ・ポンス : WWWFジュニアヘビー |
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| 61 8(全) 86 サマーアクション・S2 | |
プエルト・リコ出身で、ニューヨークで活躍したカルロス・ホセ・エストラーダが正体のマスクマン。 詳細はカルロス・ホセ・エストラーダの項参照。 |
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| スーパースター・ビリー・グラハム SUPERSTAR BILLY GRAHAM
5回 鉄腕 195センチ、130キロ 1945年米・アリゾナ州フェニックス :カナディアン・バックブリーカー : WWWFヘビー、IWA世界ヘビー、CWA世界ヘビー |
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| 49 9(国) スーパー・ワイド・S、 51 8(新)【特】闘魂S、53 2(新)【特】新春黄金S、54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、57 1(新)【特】新春黄金・S | ||
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ブルーノ・サンマルチノに引導を渡した事で一流と評されるようになったが、どう考えても力だけの木偶の坊。みばえだけはいいが、試合内容はさっぱりの男。ただアメリカでの人気は高く、1970年代を代表するレスラーに数えて良いだろう。傲慢な気障男スタイルで不人気のトップにランクされていたが、実生活では謙虚で試合の批評を素直に聞くタイプだったと言うから解らない。晩年はテネシーのCWAで世界王者になっている。最後の来日では丸坊主に髭を蓄えたカンフー・スタイルに変身しており、全盛期の印象は全く無かった。スー・インディアンとの混血という説もある。本名はジェームス・フォクナー。得意技はベアハッグ。 |
| スカイ・ハイ・リー
SKY HIGH LEE 2回 テキサスの摩天楼 210センチ、125キロ 1920年米・ワイオミング州 |
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| 33 9(日) 秋の国際戦、43 6(国) ビッグ・サマー・S | |
210センチという大男で、これぞ昭和プロレスならではの怪奇派レスラー。デビュー当時はカウボーイ・スタイルのベビーフェイスだったが、酒に溺れ私生活がすさんで行くと共にリング上でもヒールとなり、体にナイフを刺したり、グラスを食べるなどのパフォーマンスでマスコミやファンの目を引くようになる。アルコール中毒が悪化しヨーロッパに流れるが、このときに国際プロに来日。幽霊のような姿を日本のファンの前に曝した。晩年は酒場の用心棒となる。 |
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| スカル・マーフィ
SKULL MURPHY 3回 海坊主 186センチ、113キロ 1931年アイルランド・コーク :ニードロップ :インターナショナル・タッグ(NY地区) |
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| 37 7(日) 夏のプロレス国際試合、43 7(日) 第一次サマー・S、44 5(日) ゴールデン・S | |
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少年時代にかかったしょう紅熱が原因で、全身の毛が抜け落ちそのコンプレックスで他人を怨むようになり、リングで対戦相手を次々と血祭りに挙げる・・・というギミックで暴れまくった凶暴レスラー。昭和37年の来日では力道山の右腕を骨折させている。レスラー転向前は弁護士をしていたというインテリだが、私生活でも情緒不安定で狂暴な面を見せる事も多々あったという。ブルート・バーナードとの狂人コンビは全米を恐怖に陥れた。1970年にピストル自殺をとげている。本名はジョン・マーフィ。 |
| スカンドル・アクバ
SKANDOR AKBAR
2回 アラブの黒鷲 178センチ、120キロ 1934年レバノン・ベイルート :キャメルクラッチ :アラブ・ヘビー、オーストラリア・ヘビー、ジョージア・タッグ |
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| 45 1(日) 新春チャンピオン・S、48 6(国) ビッグ・サマー・S | |
ザ・シークに代表されるアラビアン・ギミックのレスラーのひとりで、178センチ、120キロというあんこ型のレスラー。試合内容はラフ一辺倒で、殴る蹴るの攻撃で相手をグロッキーにさせておいてスウィング・ベアハッグで仕留めるというのがパターンだった。中西部地区ではなぜかセクシーなレスラーということで女性に人気があり、晩年もマネージャーとして活躍した。スカンドル・アクバとはアラビア語でアレキサンダー大王を意味する。 |
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| スキップ・ヤング
SKIP YOUNG
( スイート・ブラウン・シュガー *) 2回 黒い怪鳥 180センチ、100キロ 米・テキサス州ダラス :ドロップキック :中西部タッグ |
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| 55 1(新) 新春黄金S、57 1(全) 【特】新春ジャイアント・S* | |
フリッツ・フォン・エリックにスカウトされてプロレス入り。1978年度のNWAの新人王に選ばれ脚光を浴び、1979年にロスで藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦し、その素晴らしいドロップキックとクリーンなファイトぶりで山本小鉄を唸らせたが、昭和55年の新春黄金シリーズに初来日した時には膝を負傷しており、実力をフルに発揮できないまま帰国した。後にマスクを被ってスウィート・ブラウン・シュガーに変身、全日本プロレスに参加している。サイン |
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| ザ・スコーピオンズ
1号&2号 LES SCORPIONS #1&2 紅さそり軍団 1号 180センチ、105キロ 出身地不明、2号 187.5センチ、107キロ 1947年米・カリフォルニア州ビッグサー |
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| 51 4(国) ダイナマイト・S | |
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カナダからやってきた覆面コンビでスコーピオンであるにもかかわらず、マスクのデザインもクモだし、クモの糸のようなネットを相手にかぶせて袋叩きにするというせこい攻撃を得意とした。コスチュームの縫い取りを見ても分かるとおり、本来はスコーピオンズではなく、スパイダーメンであった。井上、草津組のIWA世界タッグに挑戦するも見事にストレート負けを喫している。正体は1号がチン・リー、2号がジェリー・クリスティーだから弱いのもうなずける。 チン・リー、ジェリー・クリスティーの項も見よ。 |
| ザ・スコーピオンズ
1号&2号 LOS SCORPIONS #1&2 1回 さそり軍 1号 180センチ、105キロ、2号 182センチ、103キロ : アメリカス・タッグ |
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| 53 2(国) ビッグ・チャレンジ・S | ||
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こちらはメキシコ版スコーピオンズ。ロスでアメリカス・タッグを獲得するなどの実績をもっての来日だったが、いかんせん小兵のため期待されたような活躍は出来ず、IWA世界タッグにも挑戦したものの草津、浜口組に完敗している。正体は1号がベニー・ロメロ、2号がラウル・レイエス・ガルシア。(左写真撮影:HARU一番氏) |
| スコッティ・ウイリアムス SCOTTY WILLIAMS 1回 | |
| 59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル | |
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負けの連続だったが、良いものは持っていた。再来日の期待がかかり、アメリカ、欧州で名前が上がると思われたが、その後とんと姿を消している。(ゴング格闘技2月号増刊より) |
スコット・アーウィン → スーパー・デストロイヤー 1号、アステロイドをみよ
| スコット・ケーシー
SCOTT CASEY 3回
テキサス・トルネード 185センチ、115キロ 1947年米・テキサス州ダラス : ウェスタン・ヘビー |
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| 50 5(全) ブラック・パワー・S、51 7(全) サマー・アクション・S、59 4(旧U)UWFオープニング・S | ||
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テキサス出身のカウボーイで、ドリー・ファンク・シニアにスカウトされてプロレス入り。キラー・カール・クラップとウエスタン・ヘビー級選手権をめぐる抗争で売り出し、後にWWFに転戦するが、それ以上の活躍は出来ぬままフェード・アウトしてしまった。息子のリック・ケーシーもレスラーになっている。 |
| スコット・フェリス
SCOTT FERRIS
1回 185センチ、100キロ 1956年米・テネシー州 |
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| 59 8(新) ブラディ・ファイト・S | |
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カナダのカルガリー地区を主戦場としていた若手選手で、オレゴン、ワシントンなどのPNW地区でもアル・マドリル、ブライアン・アディダスと抗争を展開していた。新日本プロレスへはダイナマイト・キッドの推薦で来日。 |
| スコット・ホール
SCOTT HALL
6回 野生の狼 198センチ、130キロ 1959年米 ・フロリダ州タンパ :AWA世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー |
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| 62 5(新) 87 lWGPチャンピオン・S、62 8(新) 戦国合戦シリーズ、62 11(新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、 63 4(新) スーパー・ファイト・S、63 8(新) 88 戦国S、63 11(新) 88 ジャパンカップ・S | |
プロレス入り前はフロリダの動物園でワニとの格闘ショウを行なっていたという変わり種。バリー・ウィンダムにコーチを受けてデビュー。コヨーテのリングネームでイーグル(ダニー・スパイビー)とのアメリカン・スターシップなるコンビで活躍。コンビ解消後AWAに転戦しカート・ヘニングとのコンビで世界タッグ王者となる。日本ではジャパンカップ・タッグリーグ戦で坂口とコンビを組むなど期待されたが、スターにはなれなかった。しかしWWFで髭をそり髪を黒く染めてメキシコのチンピラ・ギミックのレザー・ラモンに変身してからはトップスターになった。 |
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| スコット・マギー
SCOTT McGEE
3回 英国の貴公子 185センチ、110キロ 1957年イギリス・ブラッドフォード :ジャーマンスープレックス :フロリダ・ヘビー |
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| 57 5(新) 第2次サマー・ファイト・S、59 11(旧U)イヤーエンド・スペシャル、60 8(旧U)格闘プロスペクト | |
日本にも何度か来日しているジェフ・ポーツの息子でヨーロッパでデビューし、1980年に渡米しゴッチ道場に入門、フロリダ・ヘビー級王者になり注目を集める。昭和57年のサマー・ファイト・シリーズ第1弾にゴッチの推薦で来日、負傷欠場していた猪木の復帰戦の相手を勤め、いきなり猪木を急角度のスープレックスで投げ捨てて観客を驚かした。有望株として期待されたが、大成はしなかった。 |
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| スコルピオン
SCORPION 赤さそり 173センチ、110キロ メキシコ・サンルイスポトシ : UWA世界ヘビー |
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| 61 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 86 | |
| エル・スコルピオの変名、エル・スコルピオの項参照。 |
スタイガー兄弟 → カール・フォン・スタイガー、スルトフォンスタイガーを見よ
| スタン・ザ・ムース
STAN
THE MOOSE カナダの暴れ鹿 193センチ、125キロ 1934年カナダ・マニトバ州ウィニペッグ |
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| 44 7(国) ビッグ・サマー・S | |
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後にドクター・デス、ジ・アベンジャーとして活躍したムース・モロウスキーの前身。 ムース・モロウスキーの項参照。 |
| スタン・スタージャック
STAN STASIAK
(クラッシャー・スタージャック *) 5回 狼男 193センチ、122キロ 1938年カナダ・ケベック州アービタ :ハートパンチ : WWWFヘビー |
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| 41 12(東) チャンピオン・S、44 3(国) 【特】 ワールド選抜・S、48 2(全) ジャイアント・S結集戦*、49 4(新) 第1回ワールド・リーグ戦、54 2(新) ビッグ・ファイト・S | |
アントニオ猪木のアメリカ修行時代のライバル。東京プロレスに初来日し、猪木のUS選手権に挑戦し、派手なラフファイトを披露している。全日本プロレスに参加後、1973年ニューヨークでペドロ・モラレスからWWWF王座奪取。新日本プロレスの第1回ワールド・リーグ戦にアメリカ代表として来日。予選は4勝2敗2引き分けで通過するが、決勝リーグでは2勝4敗1引き分けと大きく期待を裏切った。この後も来日しているが、中堅クラスにも負けるほど実力は低下していた。1997年に肝臓ガンのため逝去。 |
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| スタン・ハンセン
STAN HANSEN 48回 不沈艦 192センチ、135キロ 1949年米 ・テキサス州ナックシティ :ウエスタンラリアート :NWFヘビー、PWFヘビー、インタータッグ、AWA世界ヘビー |
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| 50 9(全) ジャイアント・S、52 1(新) 新春黄金・S、52 8(新) 闘魂S、54 4(新) 第2回MSG・シリーズ、55 1(新) 新春黄金S、55 2(新)【特】 ビッグ・ファイト・S、55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、55 8(新) ブラディ・ファイト・S、55 9(新)9・31ファン感謝スーパーファイト(残留)、55 11(新) 第1回MSGタッグ・リーグ戦、56 4(新) 【特】WWFビッグ・ファイト・S第2弾、56 5(新) 第4回MSG・シリーズ、56 6(新) 6・25スーパーファイト、56 8(新) ブラディ・ファイト・S、56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 5(全) エキサイト・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、 58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 8(全) スーパー・パワー・S、58 9(全)【特】 ジャイアント・S、58 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV、59 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、 60 3(全) 85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、60 8(全) 【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86、 61 7(全) 86 サマーアクションS、61 8(全)【特】 86 サマーアクション・SU、 61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S、 61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、 62 7(全) 87 サマー・アクション・S、 62 8(全) 87 サマー・アクション・S U、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、 63 2(全)【特】 88 エキサイト・S、63 3(全)【特】 88 チャンピオン・カーニバル、 63 7(全) 88 サマー・アクション・S、63 8(全) 88 サマー・アクション・S U、 63 10(全) 【特】88 ジャイアント・S、 63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦 | ||
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昭和50年に全日本プロレスのジャイアント・シリーズに初来日。どうしようもない木偶の坊だったが、帰国後MSGに乗り込み、ボディスラムの失敗とは言えサンマルチノの首を折ったことで一躍スターになる。しかし、試合が荒すぎるため各地のプロモーターから干された所を上田馬之助の紹介で新日本プロレスに登場。とどまるところを知らない突進ファイトで猪木を苦しめ、新日本プロレスの昭和50年代を代表する看板外人レスラーとなった。必殺技のウエスタンラリアートは現在最もポピュラーなプロレス技となっている。その後は全日本プロレスにUターンし、来日も軽く100回を越えている。日本で最も成功した外人レスラーといえよう。 サイン |
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| スタン・プラスキー STAN PLUSKY (マッド・ラシアン*)4回 183センチ、110キロ 1929年米・ポーランド(ネブラスカ説もあり) :ニードロップ :AWAミッド・ステート・ヘビー |
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| 40 12(日) ウィンター・S、42 9 (日) ダイヤモンド・S *、48 3 (全) 第1回チャンピオン・カーニバル*、48 11(全) ジャイアント・S第2弾 | ||
| ポーランド出身のレスラーで、スタン・プラスキー、マッド・ラシアン、ザ・ラシアンなどのリングネームを使い分けたレスラーで、AWA圏を主戦場とし、マスクを被ってザ・デストロイヤー、短期間だがスタン・バションを名乗りバション兄弟の3男として活躍したこともある。本名はエリック・ポメロイ。 マッド・ラシアンの項も見よ。 |
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スタン・フレイザー → ザ・コンビクトを見よ
| スタンリー・レーン
STANLEY LANE 1回 新野生児 185センチ、105キロ 1953年米・サウスカロライナ州 :ソバット :AWA認定南部タッグ、サザン・タッグ(テネシー版)、ジョージア州ジュニアヘビー |
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| 56 7(新) サマー・ファイト・S | ||
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1978年にリック・フレアーの口利きでプロレスラーとなり当初はスタン・フレアーと名乗った・フロリダ、ジョージアなどで活躍し、1981年にはヒロ・マツダのブッキングで早くも初来日。前評判はそれほどでもなかったが、藤波のWWFジュニア選手権に2度に渡って挑戦するという大抜擢を受けた。1983年にスティーブ・カーンとファビュラス・ワンズなるコンビを組み、テネシー地区のタッグを獲得。カーンとのコンビ解消後はボビー・イートンとのミッドナイト・エキスプレスを結成した。 | |
| スタンレー・コワルスキー
STANLEY
KOWALSKI ぶっ壊し屋 190センチ、125キロ 1933年米・ミネソタ州 :AWA世界タッグ |
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| 33 11(日) プロレス国際大試合 | ||
| 後にクラッシャー・コワルスキー、ビッグKとして来日している選手。ビッグK時代はマネージャーとしてAWA修行中のストロング小林の世話をした親日家。 詳細はビッグKの項を見よ。 |
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| スタンレー・リソワスキー
STANLEY RISOWSKI
1回 193センチ、114キロ 1932年米・イリノイ州 :AWA世界タッグ、NWA世界タッグ |
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| 35 4(日) 第2回ワールドリーグ戦 | ||
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フットボール出身のポーランド系アメリカ人。1950年代後半にクラッシャー・リソワスキーとのリソワスキー・ブラザーズとしてコンビを組んで暴れ、NWA世界タッグを獲得した。日本へは単独で来日。来日後(前か?)にクラッシャーとのチームは解散。スタン・ネルソンを名乗り1962年にアート・ネルソンとのコンビでAWA世界タッグを獲得、シングル転向後はスタン・ホレックの名で活躍した。 | |