来日全外国人レスラー名鑑 ス(2)

 

スティーブ・R・ブラックマン STEVE R BLACKMAN 1回
185センチ、122キロ 1963年米・ペンシルバニア州レバノン
63 1(新) 88 新春黄金・S
トニー・アルチモアにスカウトされ、ボストンでデビュー。空手有段者でキックボクサーとしても鳴らした。帰国後消息を断った(カナダでマーシャルアーツの道場を開いていたという)が、1997年に突然米WWFマットに登場。竹刀などを武器とした格闘スタイルで、いわゆるハードコア・マッチ路線で活躍している。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

スティーブ・アームストロング STEVE ARMSTRONG 2回
南部の若大将 190センチ、110キロ 1963年米・ジョージア州アトランタ :ドロップキック
63 7(新) サマー・ファイト・S、 63 11(新) 88 ジャパンカップ・S
レスリング一家として有名なアームストロング・ファミリーの三男。地元のアラバマでデビューし、兄のブラッド、スコットとのアームストロング・ブラザーズで人気を博した。その後、修行の為にフロリダに転戦、ここでトレイシー・スマザーズとサザン・ボーイズを結成。このコンビで新日本プロレスにも参加、フレッシュなファイト振りで人気を博した。

 

スティーブ・ウイリアムス STEVE WILLIAMS 6回
殺人医師 197センチ、135キロ 1969年米・コロラド州レイクウッド :アバランシュホールド :UWF世界ヘビー、NWA世界タッグ、3冠ヘビー、世界タッグ 
61 7(新) バーニングスピリット・イン・サマー、61 10(新) 闘魂・S、62 2(新) スプリング・フレアーアップ 88、 62 10(新) 闘魂S、 63 1(新)【特】 88 新春黄金・S、63 10(新) 闘魂S
プロ・フットボーラーとして活躍している所をビル・ワットに口説かれてプロレス入り。オクラホマを中心とした新興団体UWFで主に活躍した。ダラスでアントニオ猪木と対戦し大善戦、この試合で一気に注目を集め、強烈なオクラホマ・スタンピードで日本陣営を苦しめた。平成に入ってから、全日本プロレスにレンタル出場し、そのまま定着。テリー・ゴディとのコンビで人気を博した。

 

スティーブ・オルソノスキー STEEVE OLSONOSKI 2回
AWAの若大将 186センチ、108キロ 1954年米・ミネソタ州 :サイドスープレックス :ナショナル・ヘビー(ジョージア版)
56 4(国) ビッグ・チャレンジ・S、59 1(全) 新春ジャイアント・S

AWAの期待の星として国際プロレスの昭和56年「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」に初来日し、いきなり木村のIWA世界タイトルに挑戦したが、木村の秘密兵器の裏4の字固めに敗れる。この来日時にオポジションの全日本プロレスの控え室を訪れ、ジャイアント馬場に挨拶することも忘れなかったちゃっかり者。それがものを言ったか、全日本プロレス登場時にはインターナショナル選手権に挑戦する抜擢を受けた。AWAからジョージア地区に転出しナショナル・ヘビーを獲得するなどの活躍を見せる。晩年は福岡県出身のスーパー・ニンジャなるギミックに挑戦したが、故障が多く、最終的にはひざの故障が完治せずに引退してしまった。サイン(写真撮影:HARU1番様)

 

スティーブ・カーン STEVE KEIRN 3回
南部の虎 182センチ、100キロ 1953年米・フロリダ州タンパ :原爆固め :NWAインターナショナル・ジュニアヘビー、フロリダ・タッグ
50 4(全) 第3回チャンピオン・カーニバル、55 1(新) 新春黄金S、55 10(新) 闘魂S
元レスラーでフロリダのプロモーター エディ・グラハムの秘蔵っ子で、全日本プロレスに初来日したころから将来が嘱望されていた。1979年サンディエゴでチャボ・ゲレロを破り、NWAインター・ジュニアヘビー級王座を獲得。翌年新日本プロレスに来日し、藤波の挑戦を受けるが、運悪くタイトルマッチ直前に指を骨折し、全力を出し切れぬまま王座転落。それまでの試合ではストロング小林や長州力からフォール勝ちを奪っていたので、実力はかなりのものであった。その後テネシーに転戦し、スタンリー・レーンとのファビュラス・ワンズで人気を博す。解散後はフロリダに戻り細々と活動していたが、突然WWFに乞食キャラのスキナーとして登場、その後もピエロのドインクに変身するなど凋落振りは目を蔽うばかりであった。得意技は原爆固め。サイン (中央写真撮影:HARU1番様)

 

スティーブ・ケーシー STEVE CASEY 3回
英国の閃光 188センチ、105キロ 1963年イギリス・スコットランド
62 10(新) 闘魂S、63 4(新) スーパー・ファイト・S、63 10(新) 闘魂S
あの「怪僧ラスプーチン」ことワイルド・アンガスの実子。少年時代からレスリングを始め1980年にイギリスでデビュー。1984年にアメリカに渡り大西洋岸から中西部地区をサーキットした。欧州流のテクニックと、アメリカン・スタイルのラフとを兼ね備えた貴重な中堅だった。(追加情報 :黒い一羽鷹氏)

 

スティーブ・スタンレー STEVE STANLEE 1回
41 12(東) チャンピオン・S
本名はスティーブ・ジゴウィッツ。アメリカでは人気を誇ったジーン・スタンレーの実弟。ボディビル出身で来日前は豊登との怪力合戦が期待された。しかし猪木の保持していたUS選手権に挑戦しているがストレート負け。猪木がタイトルマッチを行うことを渋ったというほど弱体であった。

 

スティーブ・ストロング STEVE STRONG 1回
鉄腕2世 181センチ、109キロ 米・アリゾナ州フェニックス :カナディアン・バックブリーカー
51 11(全) スーパーパワー・S
「鉄腕2世」と呼ばれたパワーファイターでスーパースター・ビリー・グラハムにあこがれてプロレス入り。師匠譲りの怪力殺法で人気者となる。全日本プロレスに初来日を果たすが、所詮スーパースターが師匠とあってファイトぶりも師匠譲りの力任せの大味なものだった。帰国後はマスクをかぶってジ・エンフォーサーを名乗ったこともあった。引退後はなんと画家に転身。本名はスティーブ・セペロ・

 

スティーブ・デサルボ STEVE DISALVO 1回
筋肉獣 194センチ、132キロ 米・マサチューセッツ州ボストン
61 10(新) 闘魂・S
22歳のときにカナダでプロレスデビュー。バッドニュース・アレンの紹介で新日本プロレスに登場。ボディ・ビルダー上がりで当時新日本プロレスのブッカーをしていた大剛氏好みのマッチョ・レスラー。体型だけが自慢の木偶の坊だった。藤波との抗争に突入していた木村健吾に1分少々でKOされている。昭和末期の新日本プロレスを代表する一連のダメレスラーの一人。アメリカではスティーブ・ストロングを名乗った。(追加情報:TMKID氏)

 

スティーブ・トラビス STEVE TRAVIS 2回
188センチ、104キロ アメリカ
55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、56 10(新) 闘魂S
NWAの新人王を獲得し、その後WWF地区に転戦し、MSGではハリー・レイスの挑戦者に大抜擢されて名を知らしめた。第3回MSGシリーズにホーガンの代打として初来日し、成績は芳しくなかったが、活きのいいファイトで評価を得る。昭和56年闘魂シリーズに再来日を果たした時にはたくましく成長し、藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権最後の挑戦者として後一歩まで追い込んだが、実はこの試合でトラビスの体重は100キロを超えていた。

 

スティーブ・ベイダー STEVE VEIDOR 1回
人間ミサイル 185センチ、110キロ イギリス・コールストン :英国ヘビー、大英帝国ヘビー
50 2(新) ビッグ・ファイト・S
月間ゴングの昭和44年12月号の「まだ見ぬ強豪88人」でスチーブ・ベイドールと紹介されていたレスラーで、185センチという小柄ながらダイナミックなフライング・ボディプレスを武器に活躍し、ビル・ロビンソンを破った実績があると紹介されている。ジェントルマン・ベイダーと呼ばれたように非常にクリーンな試合展開で、イギリスのファンを魅了した。来日時は全盛を過ぎた感があり、中堅どころと熱戦を展開するにとどまった。本名はアーサー・ベル。

 

スティーブ・ボラス STEVE BORUS 3回
ギリシャの脅威 185センチ、105キロ ギリシャ
43 11(日) NWAチャンピオン・S、50 2(全) エキサイト・S、58 1(全) 新春ジャイアント・S
ギリシャ出身のテクニシャン。そつの無いレスリングをこなし、強烈な印象を残すタイプではなかった。いわゆる起用貧乏といったタイプ。私生活では東洋美術に興味を持つという一面もあった。ジャイアント馬場か彼を買っていたのか?かなりロートルになってからも招聘している。目立たないが、大変息の長いレスラー。

 

スティーブ・ライト STEVE WRIGHT 6回
英国の魔術師 185センチ、95キロ イギリス・ウェリントン :サイドスープレックス、ロメロスペシャル
50 1(新) 新春黄金S、51 1(新) 新春黄金・S、52 10(新) 闘魂S第2弾、57 3(新) 第5回MSG・シリーズ、58 10(新) 闘魂S、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾
ビリー・ライレー・ジムの出身で、イギリスで活躍した後にロスに遠征し脚光を浴びた。新日本プロレスの昭和52年闘魂シリーズ第2弾に来日した時は、パット・パターソンのパートナーに予定されていたカール・フォン・ストロハイムが負傷した為、代打として北米タッグ選手権に挑戦している。ライトが真価を発揮したのはタイガーマスク登場以降で、その洗練されたテクニックで初代タイガーマスクを子ども扱いにした。息子のアレックスもWCWで活躍していた。

 

スティーブ・リーガル STEVE REGAL 2回
ブロンド・パンサー 187センチ、104キロ 1955年米・カンサス州カンサスシティ :NWA世界ジュニアヘビー、AWA世界タッグ、同ライトヘビー
57 7(全) サマー・アクション・S、 60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ
バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。デビュー当時はリック・フレアーもどきの長髪スタイルの悪党として活躍した。1981年頃にAWAを離れ、オレゴン、セントラルステーツなどの全米各地を転戦、1984年にAWAに戻り、世界ライトヘビー級、翌年にはジム・ガービンとのコンビで世界タッグを獲得。1986年にはジョージアに転戦し、NWA世界ジュニア・ヘビー級王者にもなっている。ガニアの弟子だけあってレスリングの出来る悪党だった。

 

スティーブ・リッカード STEVE RICKARD(デビル・ブッチャー *) 2回
南海の獣人 186センチ、120キロ 1936年ニュージーランド・ウェリントン :ウェールズ・ヘビー、英国ヘビー
44 9(日) ダイヤモンド・S、46 1 (国) 新春パイオニア・S *、48 5(新) ゴールデン・ファイト・S
ニュージーランド出身のレスラーで、小柄ながら荒っぽいファイトで暴れまくった。学生時代はボクシングで才能を発揮するが、右手を骨折したため断念。ロンドンに渡り1959年にプロレスラーとしてデビューする。日本へは昭和44年の初来日から2年おきに来日しており、国際プロレスへは白覆面のデビル・ブッチャーに変身して来日、創製期の新日本プロレスへはレッド・ピンパネールと共にエース格で来日しているが、強引に参加したタイガー・ジェット・シンの引き立て役に終わった。主戦場は東南アジアとニュージーランド。引退後はニュージーランドでプロモーターに。息子のトニーとリッキーもレスラーになっている。

 

スティーブン・ピットパス → スティーブン・ペティパスを見よ。

 

スティーブン・ペティパス STEVEN PETTIPAS (シーク・アリ*)2回
180センチ、105キロ 1940年ベネズエラ
59 10(旧U)ストロング・ウイークス、63 7(全) 88 サマー・アクション・S*
ゴングの綴じ込み企画カラー名鑑ベスト1000にはドン・セラノの変身としているが明らかに別人。UWF来日時は初戦でスウイート・ダディー・シキに負けてから11連敗、12戦目にてマッハ隼人に初勝利。スーパー・タイガーや前田明とタッグ・マッチで試合をしたと言う珍しい経験をしたレスラー。全日本プロレスにシーク・アリに変身して来日している。スティーブン・ピットパスと表記されていたこともある。

 

ストロハイム兄弟 → カール・フォン・ストロハイム、クルト・フォン・ストロハイムを見よ

 

ストラングラー・ジョニー STRANGLER JOHNNY 1回
29 2(旧全) 日米対抗プロレス試合
詳細はまったく不明。情報募集中。

 

ストレンガー・オルソン STRANGLER ORSON (ドクター・オルソン*) 在日アメリカ人
187.5センチ、106キロ 米・ニューヨーク
29 3(旧全)プロレス国際大試合、 29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合、29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S*
ブルドッグ・ブッチャーらと全日本プロレスの興行に登場したアメリカ人だが、どうやら軍人ではなかったようだ。以下、昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合のプログラムより。「堂々たるプロレスラーで一九四八年ニューヨーク洲選手権者其の後足を痛め約二年間療養し現在は全く平癒、以前にもまして強豪振りを発揮している・・・粘り強く身の軽いことは米国でも賞讃の的で又早くから柔道、唐手を学んでいる研究家である。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様)

 

ザ・ストンパー THE STOMPER
踏み潰し野郎 190センチ、120キロ カナダ・オンタリオ州 :ストンピング :北米ヘビー(カルガリー版)
46 1(日) 新春チャンピオン・S、47 11(日) インター選手権・S
カナダのアーチ・ゴルディが正体。ジャイアント馬場が大の苦手としたことで有名。アントニオ猪木のアメリカ武者修行時代のパートナーでもある。

詳細はモンゴリアン・ストンパーの項参照。

 

ザ・ストンパー THE STOMPER
金髪の爆弾 197センチ、125キロ カナダ・オンタリオ :セントラルステーツ・ヘビー
47 1(日) 新春チャンピオン・S
こちらのザ・ストンパーはガイ・ミッチェルの変名。一応エース格での来日だったが、これといった活躍はできずに終わっている。

詳細はガイ・ミッチェルの項参照。

 

スニー・ワー・クラウド SUNI WAR CLOUD 1回
首吊り酋長 183センチ、108キロ アメリカ :トマホーク・チョップ
46 9(日) 第2回NWAタッグ・リーグ戦
スー族の戦士がレスリングに転向したというギミックでロサンゼルス地区で売り出し、日本へは第2回NWAタッグ・リーグ戦にグレート・スヌーカとのコンビで参加。かなりの前評判を呼んでいたものの、チームリーダーのはずが逆にスヌーカの足を引っ張ってしまった。帰国後はメキシコに定着しヒールとして活躍した。

 

スパイク・ヒューバー SPIKE HUBER 1回
鋼鉄の虎 183センチ、108キロ 1955年12月米・インディアナ州インディアナポリス :WWA世界タッグ
55 6(国) ビッグ・サマー・S
ディック・ザ・ブルーザーの主宰するWWAで活躍したレスラーで、ブルーザーが後継者と目をかけ「生傷男二世」として日本でも早くから紹介されていた。ブルーザーのヒューバーへの入れ込み様はかなりのもので、遂には娘婿として迎えるのであった。実はヒューバーの父親とブルーザーが大の親友だったとか。しかしブルーザーの娘と離婚してからはWWAを離れ、テネシー地区に登場したがそのままフェードアウトしてしまった。国際プロレス登場時は気の強さがモロに出た活きのいいファイトで評判を呼んだ。新日本プロレスに登場し、藤波と対戦していれば名勝負を繰り広げていただろう。(写真提供:HARU一番様)

 

スパイク・ムーンドッグ SPIKE MOONDOG 1回
宇宙猛犬 190センチ、115キロ 米・アラバマ州モービル
62 10(全) 87 ジャイアント・S
1987年にアラバマでテレビマッチ要員としてくすぶっていた所を、レックスと仲間割れしたスポット・ムーンドッグ(ラリー・レイザム)にスカウトされ、4匹目の宇宙犬に変身した。その年に来日を果たすが、キャリア不足の為か大した活躍は出来ずに終わっている。本名はビル・スマイザン。

 

スパイロス・アリオン SPIROS ARION 2回
ギリシャの新星 190センチ、120キロ ギリシャ・クレタ島 :アトミック・ドロップ :IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
46 2(日) ダイナミック・ビッグ・S、49 5(全) MSG・シリーズ
アンドレ・ボレーにスカウトされてプロレス入り。1960年代後半からニューヨーク地区で人気を獲得し、サンマルチノ後継者はこの男しかないとまでいわれた強豪で、昭和45年に国際プロレスの行なった外人レスラーの人気投票でマスカラスを押さえ1位を獲得。国際プロレスが招聘に乗り出したが来日をキャンセル。翌年マスカラスと同時に日本プロレスに待望の初来日を果たすが、無気力試合が多くファンを失望させた。ニューヨークの人気者は日本ではだめという典型的レスラー。サイン

 

スパルタカス SPARTAKAS 1回
鉄の闘士 188センチ、127キロ ドイツ・ケルン :リフトアップスラム
44 9(国) ロイヤル・S
本名はジェッキー・フェセル。15歳の時からアマレスとボディビルをはじめ、フランスでプロレスラーとなる。フランスではドゴール首相のボディガードを勤めたこともあったという。1966年にハンブルグ・トーナメントで上位入賞、1967年にはフランスでランキング入りするなどの成長を見せた。ヨーロッパで活躍していたストロング小林に刺激され、プロモーターのグステル・カイザーに直訴しての来日だった。日本ではこれといった活躍は出来ず。

 

ザ・スピリット THE SPIRIT
執念の黒覆面 185センチ、115キロ :エルボードロップ
50 7(全)【特】サマー・アクション・S、51 11(全) スーパーパワー・S
「デトロイトを主戦場にしている正体不明の覆面レスラー」という触れこみで来日しているが、誰がどう見てもその体型やファイト振りはキラー・カール・コックスそのものであった。マスクに凶器を忍ばせての頭突きで対戦相手を血だるまにして大暴れ。昭和51年の来日時に馬場のPWF選手権に挑戦して破れ、覆面をはがれている。サイン

キラー・カール・コックスの項も見よ。

 

スプートニク・モンロー SPUTNIK MONROE 2回
宇宙怪人 178センチ、104キロ 1928年米・カンザス州ウィチタ :ニードロップ :NWA世界ジュニアヘビー、テネシー・ヘビー、テキサス・ヘビー、ジョージア・ジュニアヘビー
42 11(日) ウィンター・S、47 2(日) ダイナミック・S

前髪だけを金髪に染めたユニークなスタイルでロケットとのモンロー・ブラザーズとして活躍したタッグの名手。ロケットとのオリジナル・モンロー・ブラザーズとしては未来日だが、黒人のノーベル・オースティンをパートナーとして来日している。2度目の来日ではハーリー・レイスとのコンビでアジア・タッグに挑戦しているが、アル中状態でとてもレスラーと呼べる体ではなかった。晩年はザ・モンゴリアンズなどのマネージャーとして活躍した。本名はロッコ・モンロー・ブランボー。

 

スペル・マキナ SUPER MACHINE 1回
190センチ、113キロ メキシコ
56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦
メキシコには珍しい大型レスラーで第2回MSGタッグリーグにカネックのパートナーとして初来日したが、見事に期待を裏切りカネックの足を引っ張った。アメフトをモチーフにしたコスチュームがユニークなレスラーだった。もちろん2度と来日していない。引退後は女子プロレスラーのコーチをしたという。本名はホセ・トーレス。

 

ザ・スポイラー THE SPOILER
略奪者 193センチ、125キロ 1940年カナダ・ケベック州モントリオール :ブレーンクロー
46 8(日) サマー・ミステリー・S、48 1(日) 新春チャンピオン・S
変身男の異名を持つドン・ジャーディンことサニー・クーパーが正体。覆面レスラーが集結した昭和48年の新春チャンピオンSに参加した時は同じ変身男のガイ・ミッチェルが正体のレッド・デビルとのコンビで大木、坂口組のインター・タッグに挑戦している。このキャラクターではWWF地区で活躍し、マスカラスのMSG初登場の相手を勤めたが、マスカラスはマスクを被るのを許されたにもかかわらず、スポイラーは素顔で闘う事を強要された。

ドン・ジャーディンの項も見よ。

 

ザ・スポイラー THE SPOILER 1回
略奪者 193センチ、125キロ カナダ・ケベック州モントリオール 
39 6(日) サマー・S
日本に初めて登場したスポイラーは、このビンセント・バカラのスポイラーであった。ジョニー・バレントとのコンビで、豊登、馬場組の保持するアジア・タッグに挑んだが、ストレート負けの屈辱を味わう結果となった。

 

スポット・ムーンドック SPOT MOONDOG 1回
宇宙魔犬 183センチ、112キロ 米・ルイジアナ州
62 10(全) 87 ジャイアント・S
正体はテネシーでウェイン・ファリス(ホンキートンク・マン)とのニュー・ブロンド・ボンバーズで活躍したラリー・レイザム。このボンバーズで国際プロレスに来日が決定していたが、負傷の為この時は来日をキャンセルしている。レックス(ランディ・コーレイ)とキング(セーラー・ホワイト)の初代ムーンドッグスが仲間割れしたため、レックスのパートナーとなる。シングル・プレーヤーとしては二流だが、タッグのセンスはなかなかのレスラーであった。

 

スミス・ハート → 外国人留学生名鑑を見よ

 

スリッパー・ホーク → スーパー・ホークを見よ