来日全外国人レスラー名鑑 (テ1)

 

T・N・T T.N.T. 2回
●褐色の忍者 ●183センチ、110キロ
●1965年8月10日 プエルトリコ・ベガアルタ出身 ●トラースキック
●WWC世界タッグ、WWC北米ヘビー、カリビアン・ヘビー、WWA世界ヘビー(プエルトリコ版)、IWA世界ヘビー(プエルトリコ版)
62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、63 1(全) 88 新春ジャイアント・S
本名はホワン・リベラ。プエルトリコ出身のレスラーで、アブドラ・ザ・ブッチャーのパートナーとして初来日。テコンドーをアレンジしたファイトスタイルで日本でも人気を呼び、帰国後はアメリカのメジャー団体にも何度となく登場した。新日本プロレスで実現したグレート・ムタとのコンビは、名コンビだったがTNT自身が来日しなくなってしまい、一夜だけのコンビとなった。1994年にはWWFにサヴィオ・ヴェガのリングネームで登場。その後はプエルトリコIWAのブッカーとなる。

 

T・G・ストーン T.G.STONE 1回
●刺青男爵 ●188センチ、115キロ
●1952年5月28日 カナダ・アルバータ州カルガリー
●マリタイム・タッグ
60 2(全) 85激闘!エキサイティング・ウォーズ
カルガリーでリング屋として働きながら、ピエール・マーテルのコーチを受けて、1978年に同地区でデビュー。1980年にニューブランズウィック地区に転戦、ボビー・バスとのコンビでマリタイム・タッグ選手権を獲得している。カナダ各地を転戦した後、アメリカに遠征し北西部地区や中西部地区で活躍。右胸の刺青は見事だったが、実力のほうは三流であった。

 

ティージョー・カーン TEIJO KAHN 1回
●シルクロードの怪盗 ●180センチ、107キロ
●1960年 米・ミネソタ州ミネアポリス出身
62 7(全) 87 サマー・アクション・S
本名はトム・カセット。一様モンゴル人のギミックだが、誰がどうみても紛れもない白人レスラーである。ロード・ウォリアーズが経営していた「ザ・ジム」の出身で、エディ・シャーキーのコーチを受けてデビュー、ミッド・アトランティック地区でポール・ジョーンズをマネージャーにファイトしていたレスラーで、モンゴル・ギミックのレスラーとしては小柄で、いささかパワー不足の感があった。

 

ディーン・ソルコフ DEAN SORKOV
●185センチ、103キロ
●1960年8月4日 米・ニュージャージー州ニューアーク出身
●ICWAライト・ヘビー、ECW世界タッグ、WCW世界クルーザー、WCW・USヘビー、WWF世界ライトヘビー
60 2(旧U) パンクラチオン・ロード
グレート・マレンコの次男ディーン・マレンコの初来日当時のリングネーム。

詳細はディーン・マレンコの項参照。

 

ディーン樋口 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ディーン・ホー → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ディーン・マレンコ DEAN MALENKO(ディーン・ソルコフ* ) 3回
●185センチ、103キロ
●1960年8月4日 米・ニュージャージー州ニューアーク出身
●ICWAライト・ヘビー、ECW世界タッグ、WCW世界クルーザー、WCW・USヘビー、WWF世界ライトヘビー
60 2(旧U) パンクラチオン・ロード*、63 2(全) 88 エキサイト・S、 64 1(全) 89 新春ジャイアント・S
本名ジョセフ・サイモン。ボリス・マレンコの息子で、マレンコ兄弟の弟。マレンコ道場のコーチをしていたところを旧UWFにレスラーとして来日。旧UWF崩壊後は全日本プロレスの常連として活躍。その後はWCWで数少ない本格派のレスリングを披露するテクニシャンとして活躍していた。兄とは違いアメリカのビジネス・レスリングに対して柔軟な対応を見せている。現在はWWEのフロントで働いている。

 

ディウィ・ロバートソン → ザ・クルセダースを見よ。

 

ティエラ・ビエント・イ・フエゴ TIERRA VIENT Y FUEGO 1回
●風林火山仮面 ●192センチ、108キロ
●メキシコ・ゲレロ州出身
56 6(国) ダイナマイト・S
本名はアルフォンゾ・ソラ・ガルシア。末期の国際プロレスのEMLLとの提携ルートに乗ってやってきたルチャドールで、190センチを越す長身で期待を集めたが、予想通り、いや、予想以上のデクの坊で関係者の頭を抱えさせた。リングネームは「大地、水、炎」という意味らしいが、日本では風林火山仮面と呼ばれた。ラッシャー木村にマスクをはがされたが、顔を見ても誰も正体は分からなかった。

 

ディック・ザ・ブルーザー DICK THE BRUISER 8
●生傷男 ●185センチ、113キロ
●1929年6月27日 米・インディアナ州ラファイエット出身 ●アトミック・ボムズアウェイ
●USヘビー(デトロイト版、オハイオ版)、オマハ版世界ヘビー、AWA世界ヘビー、AWA世界タッグ、WWA世界ヘビー(ロス版、インディアナ版)、WWA世界タッグ(インディアナ版)、インターナショナル・タッグ(日本プロレス)、ミズーリ・ヘビー
40 11(日)インター選手権シリーズ、41 11(日) ウィンター・S、 43 2(日) 【特】ダイナミック・S、44 8(日)【特】 第二次サマー・S、47 10(国) 【特】ビッグ・ウインター・S、50 4(全)【特】第3回チャンピオン・カーニバル、51 1(全)【特】新春ジャイアント・S、55 2(国) 【特】スーパー・ファイト・S
本名はウイリアム・フリッツ・アフィルス。学生時代はフットボールの名プレーヤーとして鳴らしたが、喧嘩が原因で多くの大学から放校処分を受けた札付きの暴れん坊。ビル・ロンソンにスカウトされてプロレス入りし、クラッシャー・リソワスキーのいとことを名乗り、NY地区で暴れるが、暴れすぎてNY地区を追放処分となる。その後はロスのWWAでボブ・エリスとの抗争で名を挙げ、AWAに転戦後もクラッシャーとのコンビで暴れまくった。日本ではジャイアント馬場との試合で体育館の床を蹴破り、床板を凶器にして馬場に殴り掛かったという型破りの暴れっぷりで有名。昭和55年に国際プロレスに来日した時にはかなり衰えていた。1991年練習中に動脈破裂で急死。

 

ディック・シャノン DICK SHANNON 1回
●188センチ、104キロ ●米・ジョージア州出身
48 2(日) ダイナミック・S
ジョージア地区で活躍したレスラー。アマレス出身だった様だが来日時は若干23才というデビュー後間もない来日だったので、真価を発揮できずにおわる。

 

ディック・スタインボーン DICK STEINBORN 2回
●潜航艇 ●178センチ、110キロ
●1933年 米・ミズーリ州セントルイス出身 ●回転エビ固め
●北米ヘビー(アマリロ版)、WWC世界ジュニア・ヘビー級、WWC北米タッグ、カリビアン・ヘビー
42 5(日) ゴールデン・S、42 6(日) 第2次ゴールデン・S(残留)、46 11(日) ワールド・チャンピオン・S
世界一の怪力男といわれたミロ・スタインボーンの次男坊。父親のコーチを受け、18歳でレイ・ガンケルの弟のディッキー・ガンケルとしてデビューしている。テキサスでドリー・ファンク・シニアから北米ヘビーを獲得して名をあげた。父と同じく怪力を誇ったが、体が小さかった為、むしろテクニック重視のファイトをしていたようだ。感情を剥き出しにして相手に向かっていくファイターでもあり、猪木との試合は見ごたえがあったらしい。晩年はIWAを経てプエルトリコで活躍した。

 

ディック・スレーター DICK SLATER 14回
●喧嘩番長 ●188センチ、117キロ
●1951年5月19日 米・フロリダ州タンパ出身 ●ダイビング・エルボースタッブ
●フロリダ・タッグ、ジョージア・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、ミズーリ・ヘビー、サウスイースタン・ヘビー、北米ヘビー(トライステーツ版)
49 8(全) サマー・アクション・S第2弾、52 2(全) エキサイト・S、 53 7(全) 第1次サマー・アクション・S、 54 3(全) 第7回チャンピオン・力−ニバル、55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 7(全) サマー・アクション・S、57 5(全) エキサイト・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、 58 5(全) グランド・チャンピオン・力ーニバルU、 59 7(全) グランド・チャンピオン・カーニバルV、60 4(全) 【特】85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、62 8(全) 87 サマー・アクション・S U、63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦
本名はリチャード・バン・スレーター。学生時代に酒場でレスラーのポール・ジョーンズに喧嘩を売ったことがきっかけで、その度胸を買われてプロレス入り。ファンク一家の若頭となり、「右利きのテリー」といわれたほどそのファイト振りはテリー・ファンクに似ていた。次期世界王者といわれたが、交通事故などのアクシデントもあり、世界王者につく事は一度もなかった。「第8回チャンピオン・カーニバル」でジャンボ鶴田と優勝を争ったあたりが彼のピークだろう。 サイン

 

ディック・ダン DICK DANN 2回
●狂牛 ●175センチ、102キロ
●1930年6月10日 米・テネシー州ナッシュビル出身 1995年6月6日没
●アラバマ・ヘビー、ガルフコースト・ヘビー、南部タッグ(ミッドアメリカ版)、オーストラアジアン・ヘビー
45 11(日) インター・チャンピオン・S、47 7(新) ニュー・サマー・S
本名はディック・E・デモンブレーン。「新人殺し」というニックネームを持っていたベテラン・レスラー。アラバマやガルフコースト地区では人気があった。またマスクをかぶってレッド・シャドーとなのり、ドン・カーソンとのコンビで活躍。他にマスクマン・コンビを結成することも多く、マスクド・メディックス(いずれもパートナーはビリー・ギャレット)、レッド・ディモンズ(パートナーはビリー・ギャレット)、マスクド・スーパースターズ(パートナーはレオン・バクスター)などを名乗った。晩年はディック・マードック、ディック・スレーターのマネージャーも務めた。

 

ディック・ハットン DICK HUTTON 1回
●野生の男 ●188センチ、110キロ
●1923年10月4日 米・テキサス州アマリロ出身 2003年11月24日没 ●コブラツイスト
●NWA世界ヘビー
37 4(日) 第4回ワールドリーグ戦

アマチュア時代はロンドンオリンピックのアメリカ代表にもなった本格派で、1957年にルー・テーズを破りNWA世界選手権者となり、パット・オコーナーに敗れるまで1年2ヶ月間同王座を保持した。「第4回ワールド・リーグ戦」来日時はジーンズ姿でファイトし、テキサス人の誇りを示したが、これはロスのWWA移籍後のギミックだったようだ。グラウンド・レスリングではテーズもカール・ゴッチもかなわなかったという。引退後は逆玉の輿に乗り、悠々自適の生活を送っていたが、2003年11月逝去。

 

ディック・ブラッド DICK BLOOD
●流れ星 ●187センチ、110キロ
●1953年5月10日 テキサス州ミッション出身 ●フライング・フォーアームス
●ウエスタンステーツ・タッグ、WWFタッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、WWF世界タッグ、ECW世界ヘビー、AWF世界ヘビー
53 10(全) ジャイアント・S
チト・サンタナのデビュー当時のリングネームで、当時アマリロを主戦場としていたため全日本プロレスに初来日した。後にAWAに移籍しサンタナに改名。WWF入りしてイワン・プトスキーとのコンビでタッグ・タイトルを獲得し、スターとなる。

チト・サンタナの項も参照の事。

 

ディック・マードック DICK MURDOCH (ザ・トルネード*) 43回
●狂犬 ●186センチ、120キロ
●1946年8月16日 米・テキサス州ワックスハイチ出身 1996年6月14日没 ●ブレンバスター
●ガルフコースト・タッグ、北米ヘビー(セントラルステーツ版、トライステート版、ミッドサウス版)、IWA世界タッグ(オーストラリア版)、アメリカン・タッグ、NWF世界タッグ、南部ヘビー(フロリダ版)、ウエスタンステート・ヘビー、インターナショナル・ヘビー(アマリロ版)、ミズーリ・ヘビー、セントラルステーツ・ヘビー、UNヘビー、WWF世界タッグ、WWC世界ヘビー
43 2(日) ダイナミック・S、46 11(日) ワールド・チャンピオン・S、47 3(日) 第14回ワールドリーグ戦、48 6(国) ビッグ・サマー・S、48 10(全) 創立1周年記念ジャイアント・S、49 2(全) エキサイト・S、49 8 (全)【特】サマー・アクション・S第2弾*、49 10(全) ジャイアント・S第2弾、49 11(全) NWAチャンピオン・S、50 11(全) 第2弾ジャイアント・S、50 12(全)オープン選手権(残留)、51 5(全)【特】NWAチャンピオン・S、51 11(全) スーパーパワー・S、52 7(全) サマーアクション・S、53 4(全) エキサイト・S、54 4(全) NWAチャンピオン・S、55 2(全) エキサイト・S、 55 10(全)【特】ジャイアント・S、56 2(全) エキサイト・S、56 8【特】(新) ブラディ・ファイト・S、56 10(新) 闘魂S、56 11(新) 第2回MSGタッグ・リーグ戦、57 3(新) 第5回MSG・シリーズ、57 6(新) サマー・ファイト・S第1弾、57 7(新) サマー・ファイト・S第2弾、57 11(新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 7(新) サマー・ファイト・S、58 8(新) ブラディ・ファイト・S、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦、 59 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾、59 5(新) 84 IWGP、 59 11(新) 第5回MSGタッグ・リーグ戦、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、60 5(新) lWGP&WWFチャンピオン・S、 60 11(新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 4(新) ビッグ・ファイター・S、61 5(新) 86 IWGPチャンピオン・S、61 11(新) 86 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、 62 4(新) ブレイジング・チェリー・ブロッサム・ビガロ 87、62 8(新) 戦国合戦シリーズ、62 11(新) 87 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦、63 2(新) 88 ビッグ・ファイト・S、63 5(新) 88 lWGPチャンピオン・S、 63 11(新) 88 ジャパンカップ・S

本名はホイット・リチャード・マードック。このレスラーを知らないファンはいないだろう。デビュー当時はガルフコースト地区でドン・カーソンの弟としてロン・カーソンを名乗っていた。初来日は日本プロレスで、当時は「南部の喧嘩王」と呼ばれていた。日本→国際→全日本→新日本と昭和の4団体にすべて参加した数少ないレスラーで、日本プロレス界との縁は深い。垂直落下式のブレンバスターは見ごたえがあった。ダスティ・ローデスとのテキサス・アウトローズとしても一世を風靡し、常に次期世界王者候補といわれたが、トンパチな性格が災いしてとうとう世界王者になれずに終わった。1996年心臓麻痺で逝去。サイン

 

ティト・コパ TITO KOPA 2回
●爆弾小僧 ●168センチ、105キロ
●1932年 ポーランド・ワルシャワ出身 2004年7月没
●テキサス・ヘビー
44 6(国) ダイナマイト・S、47 3(国) 第4回IWAワールド・S、47 5(国) 第4回IWAワールド選抜S(残留)

本名はジャコブ・シェルハーツバーグ。昭和40年代の国際プロレスの名物男。身長は170センチにみたず、コミカルな動きで客の笑いを誘う道化師に徹していた。身長差のあるモンスター・ロシモフとのコンビは日本で人気を得た。当時の国際プロレスだから許された(?)愉快なレスラーであった。リッキー・バレンズエラなるリングネームでデビュー。ヨーロッパだけではなく、アメリカにも進出。アリババを名乗り、オハイオやテキサスで活躍。テキサス王者も獲得したほどの実力者であった。2004年7月に逝去。

 

ティト・サンタナ → チト・サンタナを見よ

 

ディノ・ブラボー DINO BRAVO 3回
●カナダの若虎 ●185センチ、110キロ
●1948年8月6日 カナダ・ケベック州モントリオール出身(イタリア・カンポバッソ説もあり) 1993年3月11日没 ●アトミック・ドロップ、エアプレンスピン
●グランプリ・タッグ(モントリオール版)、アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、WWWFタッグ、インターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、カナディアン・ヘビー(トロント版、AWA版、WWF版)
56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、 56 10(新) 闘魂S(残留)、57 11(新) 第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 5(新) lWGP決勝リーグ
本名はアドルフォ・プレシアーノで、二代目のディノ・ブラボーである。イタリア出身で4歳のときにカナダのモントリオールに移住。主にカナダ、アメリカの東海岸で活躍、ドン・デヌーチとのコンビでWWFタッグ王者となりスターとなる。昭和56年の「闘魂シリーズ」の待望の初来日。ブッチャーとのシングル・マッチで大いに株を上げ、長州力とのコンビで売り出されるかに見えたが、その後の来日では低調だった。力を頼りにした直線的なファイトが日本では受けなかったようだ。 「lWGP決勝リーグ」には来日したものの、家庭のトラブルで試合に出ずにすぐ帰国している。1993年にビジネスのトラブルで射殺されるというショッキングな死を迎えた。

 

デイビー・オハノン DAVEY O'HANNON 3回
●人間機関車 ●182センチ、117キロ
●1951年 米・ニュージャージー州ニューアーク(カリフォルニア州ロサンゼルス説もあり)
51 2(全) エキサイト・S、57 3(新)【特】第5回MSG・シリーズ
少年時代からアマレス、ボディビルで体を鍛え、憧れのブルーノ・サンマルチノを頼ってプロレス入り。初来日時はグリーンボーイということで連戦連敗だったが、後に新日本プロレスの「MSGシリーズ」に参加した時も全然進歩しておらず、リーグ戦には参加させてもらえなかった。なぜか人間機関車と言うニックネームが付けられていた。

 

デイビーボーイ・スミス DAVEYBOY SMITH (ザ・バンピード*)8回
●稲妻戦士 ●182センチ、98キロ
●1962年11月27日 イギリス・マンチェスター出身 2002年5月17日没
●世界ミッドヘビー、インターナショナル・タッグ、北米ヘビー(以上カルガリー地区)、WWF世界タッグ、インターコンチネンタル・ヘビー、WWFヨーロピアン・ヘビー
58 10(新)【特】闘魂S*、59 1(新) 新春黄金S、59 6(新) サマー・ファイト・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 1(全) 85激突!オールスター・ウォーズ、60 5(ジ) ビッグラリアート・フェスティバル、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ(残留)、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、64 1(全) 89 新春ジャイアント・S
マンチェスターの出身で、ダイナマイト・キッドとは従兄弟。15歳でレスラーとなり、17歳でカルガリーに転出。1982年にAWA世界王者のニック・ボックウィンクルに挑戦し善戦して話題を呼ぶ。昭和58年の初来日ではザ・バンピードなる覆面レスラーとして登場するが、試合前にマスクを自ら脱いで正体を明かした。日本での活躍をみたWWFにスカウトされダイナマイト・キッドとのコンビで活躍、世界タッグも獲得している。その後はブリティッシュ・ブルドッグのリングネームでシングル・プレイヤーとして活躍。2002年5月17日心臓発作のため他界。 サイン

 

デイブ・テイラー DAVE TALOR (ダビッド・テイラー*) 2回
●キャッチの申し子、英国の狼 ●190センチ、100キロ
●1957年5月1日 イギリス・ヨークシャー州ブラッドフォード出身 ●スープレックス
●英国ヘビー、CWA世界タッグ、大英帝国ミドル
52 1 (新)新春黄金シリーズ*、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾
英国系の渋いテクニシャン。祖父は五輪に2度出場、父エリックと弟スティーブもプロレスラー。かなりの巨体だったが、日本では実力を発揮できず。欧州マットでは大英帝国ヘビー級やクリス・ベノワとのコンビでCWA世界タッグ王座を獲得。1990年代には渡米してWCWに登場、同じ英国出身のロード・スティーブ・リーガルらと組んで活躍をした。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

ティミー・ウッズ → ミスター・レスリングを見よ

 

ティム・トール・トゥリー TIM TALL TREE 1回
●180センチ、90キロ ●1958年 米・アリゾナ州出身
56 10(新) 10・8新日本VS国際全面対決、56 10(新)【特】闘魂S(残留)
アサシンズAとして来日したトーマス・リネストウの息子。来日前の選手紹介ではジ・アサシン名義であった。ダメ外人と言えば良くローンホークの名が挙がるが、これぞ究極のD級レスラー。新日本史上最弱の外人ではないか? 昭和56年の「闘魂シリーズ」に来日したが、呼んだ新日本プロレスのフロントが驚いたと言う弱体レスラー。当時のジョージ高野をさらに細くしたようなとてもレスラーとは思えない体だった。後にヒッピースタイルに変身し、スピード・マンソンと改名するが、それでも泣かず飛ばずで終わった。

 

ティム・ホーナー TIM HORNER 1回
●テネシーの彗星 ●182センチ、105キロ
●1959年8月19日 米・テネシー州モーリスタウン出身
●USジュニアヘビー(アラバマ版)、ナショナル・タッグ
60 8(全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ
ボブ・アームストロングのコーチを受けてプロレス入り、ボブの息子のブラッドとのコンビで長く活躍し、ナショナル・タッグなど多くのタッグタイトルを獲得。ブラッドとのチーム解散後はアラバマ地区のUSジュニアヘビー級王者として活躍していたが、1978年頃からブラッドとのコンビを復活し、ライトニング・エキスプレスのチーム名で活躍した。

 

ティンカー・トッド TINKER TODD 2回
●禿鷹男 ●180センチ、112キロ
●イギリス・ロンドン出身
●南部タッグ、USヘビー(ジョージア版)
44 7(日) 第一次サマー・S、44 8(日) 第二次サマー・S(残留)、47 4(新) オープニング・S第2弾
本名はラモン・ナポリタナ。イギリス出身のレスラーで、ヨーロッパ時代はサー・アルバート・ランズノーのリングネームで活躍していた。1952年からアメリカに進出し、ティンカー・トッドに改名しジョージア地区で活躍した。1967年頃、オーストラリアではレイ・セントクレアーを名乗り、アル・コステロのザ・カンガルーズの2代目パートナーになっていたこともある。日本ではほとんど無名で、来日時もこれといった実績を上げている訳ではないが、初来日当時の熱戦譜をみてみると意外と勝率は高く、中堅あたりのレスラーには楽勝していたようだ。TVマッチでは吉村道明にも勝っており、隠れた実力者だったといえそう。柔道や空手にも精通していたという。

 

デーブ・ピーターソン DAVE PETERSON 1回
●190センチ、120キロ
●1959年7月17日 米・ミズーリ州セントジョセフ出身 1993年5月25日没
●セントラルステーツ・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ、AWA世界タッグ
63 5(新) 88 lWGPチャンピオン・S
最晩年のNWA総本山・セントラルステーツ地区を支えたレスラーで、本国ではDJ・ピーターソンとも名乗った。同地区のヘビー級やタッグ王座を保持し、有望株として注目されていた。自費で来日して新日本プロレスに押しかけ、テストの上でシリーズ参戦が認められたという経緯がある。しかしいまひとつパッとせず、帰国後も消息が聞かれなくなった。スコット・ホールを一回り小さくしたようなタイプだった。1993年にバイク事故で死亡、33歳だった。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

デーブ・フィンレー DAVE FINLAY 2回
●英国の新風 ●185センチ、96キロ
●1958年10月30日 北アイルランド・ベルファースト出身
●英国ヘビーミドル、英国ライトヘビー、英国ヘビー、世界ミッドヘビー(イギリス版)、CWAミドル、CWAインターコンチネンタル・ヘビー、CWA英連邦ヘビー、WCW世界TV、WWE・USヘビー
58 7(新) サマー・ファイト・S、60 1(旧U) サンライズ・ウイークス
1979年にプロレス入り。1982年には早くもブリティッシュ・ヘビー級選手権を獲得、翌年にはマーティン・ジョーンズから世界ミッド・ヘビー級選手権も獲得している。前田明が修行時代に何度か対戦していたようだ。1990年代にはフィット・フィンレーのリングネームでWCWに登場。ヨーロッパ流のレスリングをアメリカのファンの前で披露している。

 

デーブ・モーガン DAVE MORGAN 2回
●リングの風来坊 ●178センチ、98キロ
●1941年 北アイルランド出身
●NWA世界ライトヘビー、アメリカス・タッグ、USジュニアヘビー(サウスイースタン版)
48 10(新)【特】闘魂シリーズ第2弾、60 1(新)【特】新春黄金S

少年時代からレスリングに打ち込み、ランカシャースタイルのレスリングを学び、ロンドンでプロレスラーとしてデビュー。バハマ諸島を経てメキシコ入りし、1970年にエル・ソリタリオからNWA世界ライトヘビー級タイトルを獲得した。ダビッド・レイ・モーガンのリングネームでも有名。ロサンゼルス地区ではラウル・マタとのコンビでアメリカスタッグ選手権を獲得している。その後再びメキシコに遠征し、またもや世界ライトヘビー級王者になるが、このとき世にも有名なベルト強奪事件を起こしている。テリー・ルージは実弟。日本の文献ではメキシコではデル・ガーディを名乗っていたとあるが、メキシコのサイトにはデル・ガーディを名乗ったという記述はない。

 

デーブ・ラーセン DAVE LARSEN 1回
●欧州の魔術師 ●183センチ、115キロ
●イギリス・ポーツマス出身
48 11(国) ビッグ・ウインター・S
イギリス出身のレスラーで学生時代からアマレスに励み、卒業と同時にジャック・デールにスカウトされてプロレスラーとなった。ゴング誌のプロフィールによれば「かつては覆面のバットマンとしても活躍」とある。フランスでバッドマン・ラーセンとして活躍したことがあることが判明しているが、アニメのバットマンのコスチュームを着用していたかどうかは不明。

 

デーブ・ラール DAVE RUHL 2回
●不死身の男 ●178センチ、115キロ
●1920年8月12日 カナダ・アルバータ州ハンナ出身 1988年12月21日没
●カナダ・ヘビー、北米ヘビー、インターナショナル・タッグ(すべてカルガリー版)
44 2(国) 国際ゴールデン・S、48 10(新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新)ワールドタイトル・チャレンジS(残留)
本名も同じ。元世界王者のレイ・スチールの甥だといわれている。カルガリーの人気レスラーで、5回にわたりカナダ・ヘビー級選手権を獲得し5年間にわたって保持し続けた実力者。王者時代にはアブドーラ・ザ・ブッチャーの挑戦もあしらっている。カナダではプロモーターも兼任しており、ヨーロッパからビル・ロビンソンを招聘し大いに売り出したことでも知られている。

 

デール・ルイス DALE LEWIS 4回
五輪の虎 ●186センチ、120キロ
●1933年8月29日 米・ウィスコンシン州リブレイク 1997年8月31日没 ●ロッキングチェア・ホールド
●AWA世界タッグ、ネブラスカ・ヘビー、ミッドウエスト・ヘビー、ジョージア・ヘビー、フロリダ・ヘビー、フロリダ・タッグ、UNヘビー、パシフィックノースウエスト・ヘビー、カナディアン・ヘビー(バンクーバー版)
41 1(日) リキ・パレス・S、41 2(日) インター決戦S(残留)、 45 1(日) 新春チャンピオン・S、47 1(日) 新春チャンピオン・S、48 9(国) 第5回lWA・ワールド・S
本名はデイヴ・F・ルイス。オクラホマ大学時代はアマレスでメルボルン・オリンピックにも出場経験を持つ実力者。大学卒業後にウィルバー・スナイダーとダニー・ホッジにスカウトされてプロレス入り。日本ではルー・テーズ、ボボ・ブラジルといった超一流のレスラーのパートナーに抜擢されたことや、UNヘビー級の初代王者に指名されたことから見ても、彼の実力が高く評価されていたことが解る。昭和47年の来日では長髪に髭面のヒッピースタイルに変身していた。昭和48年の「第5回IWAワールド・シリーズ」ではやや手を抜いたかリーグ戦の成績は芳しくなかった。