来日全外国人レスラー名鑑 (テ2)

 

テキサス・アウトロー THE TEXAS OUTLAW
187センチ、115キロ 1947年カナダ・ノバスコシア :カナダ・ジュニアヘビー
54 6(国) ビッグ・サマー・S
バス四兄弟の一人であるクレイジー・ボビー・バスの変身。典型的な三流レスラーだったがバトル・ロイヤルなどでは絶妙な立ち回りを披露していた。

詳細はクレイジー・ボビー・バスの項を参照。

 

テキサス・マッケンジー TEXAS McKENZIE 2回
西部の暴れん坊 202センチ、128キロ 1931年米・テキサス州 :ブルドッキング・ヘッドロック :テキサス州ヘビー、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
35 10(日) 日米就航百年記念・春の国際試合、49 3(国) チャレンジ・S
全米一の人気レスラーと言う触れ込みで力道山時代に初来日するも、空手チョップをくらい戦意喪失するという木偶の坊ぶりで力道山を激怒させた。しばらく消息を絶っていたが昭和49年に国際プロレスの招聘で来日。この時もエース級の扱いだったが実力の方は相変わらずだった。その後、アメリカではミル・マスカラスがエースだったIWAに参加し、TVコメンテーターを務めるかたわら、オックス・ベーカーとの抗争で人気を呼んだ。本名はヒュー・マッケンジー。2002年5月31日に死亡。

 

テキサス・レッド TEXAS RED
185センチ、118キロ カナダ・モントリオール
60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、62 5(全) 87 スーパー・パワー・S
新日本プロレスに来日した経験のあるフランス系カナダ人ジン・ルイスが正体のテキサス・レッドで、レッド・バスチェン版のようなマスクマンではなかった。

ジン・ルイスも見よ。

 

テキサス・レッド TEXAS RED
赤い恐怖 183センチ、108キロ 1933年カナダ・ウィニペグ :アメリカスヘビー
52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会
ロス地区に登場したマスクマンで、すぐにアメリカス選手権を獲得した実力派。正体はレッド・バスチェンで当時ロスで活躍したメンバーの顔ぶれからすると強いのもうなずけた。昭和52年の暮れにデストロイヤーの指名でオープンタッグ選手権に来日、最終戦で仲間割れをおこしたがその後の発展はなかった。その後も素顔には戻らずテキサス・レッドでファイトし、MSGで猪木の世界マーシャルアーツ選手権に挑戦している。

 

ザ・デストロイヤー THE INTERIGENSE SENSATIONAL THE DESTROYER 24回
白覆面の魔王 183センチ、110キロ 1931年米・ニューヨーク州バッファロー :足4の字固め :WWA世界ヘビー(ロス版)、PWF認定USヘビー
38 5(日) 世界選手権シリーズ、38 11(日) インター選手権・S、39 10(日)WWA世界選手権シリーズ、40 2(日)【特】新春国際試合、40 5(日) ゴールデン・S、42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦、44 2(日)【特】 ダイナミック・S、44 9(日) ダイヤモンド・S、46 3(日) 第13回ワールドリーグ戦、47 12(全) ジャイアント・S第2弾、48 3(日) 第1回チャンピオン・カーニバル、55 5(全) スーパー・パワーS、55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、56 5(全) スーパー・パワー・S、57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、58 5(全) グランド・チャンピオン・力ーニバルU、59 5(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルU、60 5(全) 【特】85激震!サンダー・ウォーズ、60 6(全) 85 熱風!サマー・アクション・ウォーズ、61 7(全) 86 サマーアクションS、62 1(全) 【特】87 新春ジャイアント・S、62 7(全) 87 サマー・アクション・S、63 7(全) 88 サマー・アクション・S
おそらく日本で最も知名度の高い覆面レスラーで、力道山の最後の宿敵として日本のプロレス史にその名を刻まれた強豪。正体はニューヨーク出身のディック・ベイヤーで、デビュー当時は東部地区で素顔でファイトしていたが、覆面を被りロスに出現、ブラッシーからWWA世界選手権を獲得しリングネームの通り、ファンにセンセーションを与えた。昭和38年の初来日以降日本プロレスの常連となり、崩壊後は親友の馬場をバックアップするため全日本プロレスに日本陣営として参加するが、その後のバラエティ路線は彼の全盛期を知るファンからは批判を浴びた。現在も小学校で体育を教える傍ら東京スポーツにレポートを寄せるなど健在である。必殺技の足4の字固めは彼の代名詞となった。 サイン

 

テッド・オーツ TED OATS 2回
カンサスの暴れん坊 190センチ、115キロ 1947年米・ジョージア州アトランタ :パイルドライバー :中西部ヘビー、中西部タッグ、アジア・タッグ
50 8(全) 第2次サマー・アクション・S、51 9(全) ジャイアント・S
中西部で活躍したレスラーで、兄のジェリーとのコンビで活躍、同地区ではファンク兄弟のライバルであった。兄に比べるとやや小柄で、ビッグタイトルには恵まれなかった。中西部地区で活躍したレスラーに多い地味なラフ・アンド・テクニックを主体としたファイト振りを見せ、来日時にはジェリーとのコンビで極道コンビからアジア・タッグ選手権を獲得している。

 

テッド・デビアス TED DIBIASE 15回
鋼鉄男2世 195センチ、115キロ 1951年米・オクラホマ州ウッドワード :パワースラム :北米ヘビー(WWF版、MSWA版)、UNヘビー、ミズーリ州ヘビー、PWF世界タッグ
51 8(全) ブラックパワー・S、53 3(全) 第6回チャンピオン・カーニバル、55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、57 3(全) 第10回チャンピオン・カーニバル、57 4(全) グランド・チャンピオン・S(残留)、58 3(全)【特】 グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 9(全) ジャイアント・S、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、60 3(全) 【特】85激烈!スーパー・パワー・ウォーズ、60 8(全)【特】85決戦ダイナマイト・ウォーズ、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 3(全) チャンピオン・カーニバル86、61 7(全) 86 サマーアクションS、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、62 7(全) 87 サマー・アクション・S
マイク・デビアスの息子として紹介されているが、実際はマイクの結婚相手の連れ子でマイクと血は繋がっていない。アマリロでデビュー。ファンク一家の優等生で、関係者筋では必ずNWA世界王者になる男といわれたが、結局一度も王者になる事が出来ず、ぐれてしまったのかミリオンダラーマンというギミックに身を投じる。日本でもそれほど活躍できなかったが、ミリオンダラーマンから本名に戻りスタン・ハンセンとコンビを組んだ時に初めてエース外人としての活躍をしたといえるのではないか。ニューヨーク時代には猪木のNWF選手権に挑戦表明したが、全日本プロレスとの兼ね合いで猪木が見送った事もあった。現在は伝道士をしているという必殺技はパワースラム。 サイン

 

デニー・ブラウン DENNY BROWN 1回
180センチ、102キロ 1962年米・ハワイ州ホノルル :NWA世界ジュニアヘビー
62 7(全) 87 サマー・アクション・S
ハワイ出身のレスラーで、ダスティ・ローデスに弟子入りし1982年にフロリダでデビュー。その後ノースカロライナ地区に転戦し、デビュー2年目でマイク・デービスからNWA世界ジュニアヘビー級選手権を獲得。米国修行中の武藤敬司の挑戦も受けている。来日時はタイトルに挑戦することもなく、中堅相手の試合に甘んじた。アメリカではデニス・ブラウンのリングネームでファイトしていた。

 

デニス・スタンプ DENNIS STAMP 1回
イリノイの暴れ馬
 188センチ、108キロ 1946年米・イリノイ州 :カリフォルニアTV
47 10(国) ビッグ・ウインター・S
「イリノイの暴れ馬」のニックネームを持つレスラーで、バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。AWA地区で活躍していたころに昭和47年国際プロレスの「ビッグウィンター・シリーズ」に初来日し、まずまずの成績を残した。アメリカでも中堅クラスのレスラーだったが、ロスではカリフォルニアTV王者になっている。持病の腰痛が元でなかなかブレイクできぬままレフェリーに転向した。

 

デニス・ホール DENNIS HALL 2回
蛇男 180センチ、120キロ 1938年米・インディアナ州インディアナポリス :ジャイアント・スウィング
42 7(国) パイオニア・サマー・S、48 7(新) サマー・ファイト・S
高校時代からアマレス、フットボールで活躍し1960年にシカゴでプロレス入り。昭和42国際プロレスの「パイオニア・サマー・シリーズ」ではヒロ・マツダと本格派のレスリングを展開したが、マスコミの注目は浴びず。昭和48年に新日本プロレスに参加した際はすっかりベテランの風格と身に着けていたが、さほどの活躍をできずに終わる。アメリカでは特定地区に定着することなく頻繁に各地をサーキットしていたようである。マスクを被ってタウルスを名乗ったこともあったようだ。

 

デニス・ミッチェル DENNIS MITCHEL1回
黄金の男 180センチ、110キロ イギリス・ブラッドフォード :大英帝国ヘビー
50 5(新) ゴールデン・ファイト・S
イギリス出身の選手で、1958年にまだ権威のあった大英帝国ヘビー級選手権の第6代王者になっている実力者。蛇の穴時代の縁でカール・ゴッチとは親友であったという。晩年は甥のジョン・ミッチェルとのコンビでミッチェル・ファミリーズとして活躍。来日時もジョンを帯同していたが、これといった活躍はできずに終わっている。来日するのが10年遅かったか。

 

テネシー・ドル TENNESSE DOLL 1回
30 12(旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合
キングストン・ケリー、ウィルソン・ドルらと来日。ウィルソン・ドルの弟。アマレスを2年経験していたので兄ウィルソンと違いテクニシャンであった。兄とのタッグで山口利夫を苦しめた。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

テネシー・レベル TENNESSE REVEL 1回
テネシーの反逆者 180センチ、110キロ 1929年米・オハイオ州
43 2(日) ダイナミック・S
昭和43年に一度だけ来日した覆面レスラーで、正体は日本にインタータッグを持ち込んだ「重戦車」ことマイク・パドーシスであった。素顔の時よりも悪どい反則を見せていたようだ。

マイク・パドーシスの項も参照の事。

 

デビッド・サンマルチノ DAVID SAMMARTINO 3回
人間発電所2世 179センチ、109キロ 1960年米・ペンシルバニア州ピッツバーグ
55 7(全) サマー・アクション・S、59 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、63 7(全) 88 サマー・アクション・S
「人間発電所」ことブルーノ・サンマルチノの息子。ドリー・ファンクのコーチを受けてデビューする。父が設立したIWFなる独立団体のエースとして孤軍奮闘した。IWF崩壊後にはWWF入りするがいかんせん体が小さく、ファイト・スタイルもほとんどアピールする物がなかったため、トップクラスに混じって活躍することは出来なかった。父親が偉大すぎたということか。サイン

 

デビッド・シュルツ(ダビッド・ショルツ*) DAVID SHULZ 3回
雷神 197センチ、128キロ 1950年米・テネシー州  :デビルズハング :東南部タッグ(テネシー版)
53 9(国) ダイナマイト・S*、59 6(新) サマー・ファイト・S、60 3(新) ビッグ・ファイト・S 第1弾
テネシー出身のレスラーでジェリー・ローラー軍団の一員としてテネシー、カナダ、ガルフコースト地区で活躍。特にテネシーではウェイン・ファリスとのコンビで活躍した。1983年にWWFにスカウトされるが、ABCのアナウンサーに暴行を働き、WWFを追放される。日本でも古館アナを負傷させている。私生活でも素行が悪かったようだ。後にバウンサーに転職し、日本では一度殺されたとの報道があったが、それは同姓同名の別人であった。(補足:TMKID氏)

 

デビッド・ディートン DAVID DEATON 1回
中南部の若駒 183センチ、107キロ 1955年米・テキサス州
63 10(全) 88 ジャイアント・S
ジョー・ディートンの兄でアメリカではホス・ディートンと名乗っていた。ジョーに説得されてネルソン・ロイヤルのコーチを受けてプロレス入り。ジョージア地区で兄弟タッグ「ニュー・テキサス・アウトローズ」で売り出す。後にジョーのパートナーがビリー・ブラックに変わった所をみると、やはりしょっぱかったのでは?(情報提供 :TMKID氏、JOE HOOKER SR氏)

 

デビッドソン兄弟 → ジョン・デビッドソン、リック・ダビッドソンを見よ。

 

デビル・ブッチャー DEVIL BUTCHER
悪魔の白覆面 186センチ、120キロ 1936年ニュージーランド・ウェリントン
46 1(国) 新春パイオニア・S
ニュージーランドのトップレスラーであるスティーブ・リッカードが正体の白覆面レスラー。ノースカロライナに突然現れて、ブルート・バーナードを血祭りにあげたとのふれこみだったが、真偽のほどは不明である。

スティーブ・リッカードも見よ。

 

デューク・ケオムカ → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

デューク・サベージ DUKE SAVAGE (ザ・サベージ*) 2回
188センチ、115キロ 1938年チリ・チャチャポヤス(ペルー出身説、メキシコ出身説もあり)
42 1(日)【特】 新春・S*、50 5(国) ビッグ・チャレンジ・S
リングネームからも解るようにもともとは野人ギミックのレスラーであったが、見かけ倒しの典型のレスラーで、実力は全くなく、当時のマスコミに「幽霊男」と評された。8年後に来日するが、実力アップの片鱗も見ることは出来なかった。カルガリー地区では主にマネージャーをやっていたようだ。アパッチ・グリンゴのリングネームで活躍していた事もある。

 

デューク・ホフマン DUKE HOFMAN 1回
黒獅子 186センチ、113キロ 1936年米・ニューヨーク州 :AWA世界タッグ
37 4(日) 第4回ワールドリーグ戦、37 5(日) プロレス選抜戦(残留)
テクニシャン・タイプのレスラーで、その試合振りがクリーンな事から「デューク(伯爵)」というニックネームが付けられたという。リーグ戦ではミスター・アトミック、フレッド・ブラッシーといったトップ・クラスから白星を挙げており、実力はなかなかのもので、アメリカでもラリー・ヘニングとのコンビでAWA世界タッグ選手権を獲得している。

 

デューク・ホワード DUKE HOWARD
暴力教師 180センチ、105キロ 1928年米・カリフォルニア州サンディエゴ(テネシー州説もあり)
40 7(日) サマー・S
太平洋岸で連敗記録を持っていたドン・サベージの前身。

詳細はドン・サベージの項参照。

 

デューク・マイヤース DUKE MYERS 1回
190センチ、126キロ 1950年米・テネシー州 :北米ヘビー(カルガリー版)
59 8(新) ブラディ・ファイト・S
カルガリー地区で売り出し、故郷のテネシーではジェリー・ローラー、デビッド・シュルツらと共にローラー軍団を結成して人気を呼んだ。来日が待望されていたが、あまりに長く待たせた割にはその後の活躍がなかったので、来日時にはほとんど話題にならなかった。日本でのファイトぶりは全くインパクトを残さず、帰国後フェイドアウト。来日するのが遅かった。(情報提供:JOE HOOKER SR.

 

テリー・ガービン TERRY GARVIN 1回
金髪の狩人 185センチ、120キロ 1935年カナダ・ケベック州モントリオール :ジョージア州タッグ、テネシー州タッグ
46 1(日) 新春チャンピオン・S
弟のロニーとのガービン・ブラザースとして活躍したタッグの名手。初来日時も弟とのコンビで来日し、中堅当たりを相手に好勝負を展開し、評判は良かったようだが、その後一度も来日していない。どうやらロニーとはビジネス・ブラザーだったようだ。ファビュラス・フリー・バーズとして活躍したジム・ガービンの父親だといわれている。

 

テリー・ギッブス TERRY GIBBS 1回
192センチ、115キロ 1953年フロリダ州タンパ : トライステート・ヘビー
56 7(国) ビッグ・サマー・S
国際プロレス最後のシリーズに来日したレスラーで、ボブ・ループのコーチを受けてフロリダでデビュー。来日当時はミズリー、オクラホマ、アーカンソーの各州が認定する初代トライステーツ王者となり、ミスター・ポーゴとの抗争で名を上げた。昭和56年8月8日根室でジェリー・オーツとのコンビで井上、原組の保持していたIWA世界タッグに挑戦しているが、これが最後のIWA世界タッグ選手権となった。当時の雑誌にはアラバマ州モービル出身とあるが、来日時のインタビューで本人がタンパ出身と明言している。サイン (写真撮影:HARU1番様)

 

テリー・ゴーディ TERRY GORDY 15回
人間魚雷 195センチ、140キロ 1961年米・ジョージア州ロスビル :パワーボム :アメリカン・ヘビー(ダラス版)、UWF世界ヘビー
58 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 1(全) 新春ジャイアント・S、59 10(全) ジャイアント・S、60 5(全) 85激震!サンダー・ウォーズ、60 8(全) 85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 10(全) ワールド・チャンピオン・カーニバル、60 11(ジ) ニューウェーブ・イン・ジャパン(残留)、、61 2(全) エキサイティング・ウォーズ 86、61 5(全)【特】スーパー・パワー・S、61 8(全)【特】 86 サマーアクション・SU、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 2(全) 87 エキサイト・S、62 10(全) 87 ジャイアント・S、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、63 2(全) 88 エキサイト・S、63 7(全) 88 サマー・アクション・S、63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦
マイク・ボイエッチにスカウトされ13歳でプロレス入りしたといわれており、同じくボイエッチにスカウトされたマイケル・ヘイズと意気投合し、ファビュラス・フリーバーズをテネシーで結成。テネシーではそれほどの人気が出なかったが、ハリウッド・ブロンドスのバディ・ロバーツをマネージャーにし、ダラスに転戦してからはトップスターとなる。フリーバーズを抜けた後は日本に頻繁に来日し、テリー・ファンクの引退試合の相手を勤めるなど、馬場の信頼を得る。後にスティーブ・ウィリアムスとコンビを結成。これは強かった。必殺技はパワーボム。2001年死去。

 

テリー・ファンク TERRY FUNK 31回 
テキサスの荒馬 188センチ、118キロ 1944年米・インディアナ州ハモンド :ローリング・クレイドル :NWA世界ヘビー、インターナショナル・タッグ、ウェスタン・ヘビー
45 7(日)NWAチャンピオンS、46 11(日)【特】 ワールド・チャンピオン・S、47 10(全)【特】旗揚げジャイアント・S、48 10(全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、49 8(全)【特】サマー・アクション・S第2弾、50 2(全)【特】エキサイト・S、51 5(全)【特】NWAチャンピオン・S、52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会、53 7(全)【特】第1次サマー・アクション・S、53 12(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、54 7(全)【特】サマー・アクション・S、54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 3(全) 第8回チャンピオン・カー二バル、55 10(全)【特】 ジャイアント・S、55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 4(全) 【特】インター・チャンピオン・S、56 10(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 8(全) スーパー・パワー・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3(全) グランド・チャンピオン・カーニバルT、58 7(全) グランド・チャンピオン・カー二バルV、58 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 8(全) 【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 10(全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、61 10(全)【特】 86 ジャイアント・S、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦
昭和50年代日本では一番人気のあったレスラーで、女性ファン集団がついた最初のレスラーではないか?しかし一方ではあまりの人気に嫉妬してか、彼のことをあまり好まないファンも多いのは事実であった。しかし日本で一時代を築いた数少ないレスラーのひとりである。特にアブドーラ・ザ・ブッチャーとの抗争はファンを釘付けにした。昭和58年に引退を宣言し惜しまれつつ引退したものの、翌年にはあっさりと復活し、女性ファンはもとよりプロレス・ファンのヒンシュクを買った。近年はパンチドランカーのような症状が出て、試合後は記憶をなくすこともあるという。しかし今なお現役で活躍中というからすごい。必殺技はローリング・クレイドル。(写真右提供:HARU一番様)  サイン

 

テリー・マーチン TEREY MARTIN 1回
178センチ、110キロ 生年月日不明 カナダ・ノーバスコシア
51 2(全) エキサイト・S
本名はロメオ・コルミアー。カナダで有名なマーチン4兄弟の四男。兄はザ・ビーストとレオ・バーク。テリー・マーチンはカンサスでのリングネームで、兄のレオ・バーグ(トミー・マーチン)とのタッグで活躍していた。カンサス時代の昭和51年に全日本プロレスに登場したのが唯一の来日。なかなかのテクニシャンだったが小柄だったのが致命傷であった。大西洋岸地区ではテリー・ケイ、カルガリーではボビー・バーク、地元ではボビー・ケイと名乗った。

 

テリー・ラザン TERRY LATHAN 1回
南部の暴れん坊 178センチ、103キロ アラバマ州モービル :中南部タッグ、ガルフコースト・タッグ
56 4(国) ビッグ・チャレンジ・S
崩壊寸前の国際プロレスのビッグ・チャレンジ・シリーズに来日し、ポール・エラリングとのコンビで浜口&井上組からIWA世界タッグを見事に獲得する活躍をしたが、月刊ゴングの選手紹介に「正直なところ、どんなファイトをするのか見当もつかない」と書かれたほど知名度の低い選手だった。崩壊寸前の国際プロレスだったからこその活躍だったといえよう。結局は井上&原の新コンビに破れ王座転落。中。ただタッグ・プレーヤーとしては光るものがあった。追加情報:昭和51年1月号の月刊プロレスに「76年のスター候補」としてグラビアで紹介されていた。当時はオクラホマで活躍していたようだ。サイン

 

テリー・ルージ TERRY ROUGE ( テリー・ロッチ*) 4回
英国の魔豹 185センチ、98キロ 生年月日不明 イギリス・ロンドン :スープレックス
48 10(新) 闘魂シリーズ第2弾、48 12(新) ワールドタイトル・チャレンジS(残留)、51 8(新) 闘魂S、52 4(新) ゴールデン・ファイト・S、60 1(旧U)サンライズ・ウイークス*
昭和48年、新日本プロレスの闘魂シリーズ第2弾にに初来日、ビリー・ライレー・ジム出身ということで注目を集め、しぶとい試合振りで玄人ファンをうならせ、特に同じような体格の木戸修とは手があった。テリー・ロッジとも表記された。デーブ・モーガンの実弟ということだが、なるほど良く似ている。

 

テリー・ロッチ TERRY RUDGE
185センチ、98キロ イギリス・ロンドン 
60 1(旧U)サンライズ・ウイークス
テリー・ルージの変名。詳細はテリー・ルージの項参照。

 

ザ・テンペスト THE TEMPEST
暴風仮面 184センチ、116キロ
51 9(国) ビッグ・ゴールデン・S
カナダのカルガリーで暴れていた「暴風仮面」のニックネームがあったマスクマンで、国際プロレスの昭和51年ゴールデンシリーズに来日。ラフファイターではなくテクニシャンだったそうだ。正体はディック(=リチャード)・チャーランドなる中堅レスラー。

リチャード・チャーランドの項も見よ。