来日全外国人レスラー名鑑 (ト1)

 

トージョー・ヤマモト → P・Y・チャン

 

トーマス・アイビー THOMAS IVY 1回
186センチ、130キロ 1957年米・ペンシルバニア州ハリスバーグ
59 2(全) エキサイト・S
映画「ロッキーIII」で人気の出た俳優、ミスターTにあやかり、同じようなモヒカン刈りで売り出した黒人レスラー。パンフレットにはココ・ウェアの写真が使われ、解説にも「テネシー地区ではココ・ワレのリングネームで暴れまくっている」と書かれていたが、来日したのは別人であった。同じ黒人のジェリー・モローと組み、原、石川組のアジア・タッグ王座に挑戦し敗れた。(情報提供:黒い一羽鷹氏)

 

トーマス・リネストウ → ジ・アサシンズA

 

ドクター・X DOCTOR X
鋼鉄仮面、鋼鉄怪人 ●186センチ、115キロ
●1926年 ミシガン州出身(オランダ出身説もあり) ●フルネルソン
●ヨーロッパ・ヘビー、ハワイ・タッグ、フロリダ・ヘビー、オールスター・ヘビー(モントリオール版)
46 9(国) ダイナマイト・S
ターザン・ゾロで有名なマッチョ系のハンス・モーティアが正体のマスクマン。スチール・クロー=鋼鉄の爪を売り物にカナダのモントリール地区で暴れていた。MSGのトップスターが強すぎて相手がいなくなり、覆面を被ったというギミックで来日した。カール・ゴッチとは文通をするほどの親友だったという。

ターザン・ゾロの項も見よ。

 

ドクター・オルソン DR.OLSON
●180センチ、106キロ ●米・ニューヨーク州出身 ●ニューヨーク州ヘビー
29 8 (日) 太平洋岸タッグ選手権・S
昭和29年3月に旧全日本プロレス協会に登場したストレンガー・オルソンと同一人物。一応、当時のパンフにはニューヨーク選手権者と紹介されているが、これは99%でっち上げの経歴と思われる。おそらく在日米軍がアルバイトでリングに上がったのだろう。オルソンはこの後もレフェリーとして日本プロレスのリングに上がっていたようだ。

ストレンガー・オルソンの項も見よ。

 

ドクター・デス DOCTOR DEATH
カナダの暴れ鹿 193センチ、125キロ
●1935年7月6日 カナダ・マニトバ州ウィニペッグ出身 ●パイルドライバー
●ウエスタンステーツ・ヘビー、オーストラアジアン・ヘビー、カナディアン・ヘビー(バンクーバー版)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
45 7(国) ビッグ・サマー・S、 46 3(国) 第3回IWAワールド・S
スタン・ザ・ムースことムース・モロウスキーが正体のマスクマンで、ラッシャー木村と日本初の金網デスマッチを行なったことで、日本のプロレス史に名を残す。結果的に凱旋帰国の木村の売り出しに一役買った形となったが、来日前から正体は割れており、宣伝写真もスタン・ザ・ムースの写真にマスクを手書きしたお粗末なものであった。

ムース・モロウスキーの項も見よ。

 

ドクトル・ワグナー DOCTOR WAGNER 2回
殺人医師 180センチ、95キロ
1936年4月13日 メキシコ・バハカリフォルニア州出身 2004年9月12日没 メキシカンストレッチ
NWA世界ライトヘビー、メキシコ・ナショナル・ライトヘビー、アメリカス・タッグ、メキシコ・ナショナル・タッグ
55 2(全) エキサイト・S、56 8(全) スーパー・アイドル・S
本名ビクトル・マヌエル・ゴンザレス。「殺人医師」の呼び名で知られるメキシコの強豪で、第12代NWA世界ライト・ヘビー級王者にもなった実力者。メキシコではアンヘル・ブランコとのコンビで売り出した。日本へはドス・カラスの対戦相手として来日、日本でメキシコ連邦区認定のライト・ヘビー級選手権に挑戦している。2度目の来日ではアニバルとのコンビでPWFタッグリーグに出場。シリーズ中にはアニバルとのコンビで馬場・鶴田組と対戦するというめちゃくちゃなマッチメイクをされていた。1986年に交通事故で再起不能となり、2004年に逝去。

 

ドクトル・ワグナー・ジュニア DOCTOR WAGNER JR. 1回
殺人医師2世 173センチ、80キロ
1968年1月9日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身
●CMLL世界ヘビー、CMLL世界タッグ、UWA世界ライト・ヘビー、世界ジュニアヘビー(全日本プロレス)
62 10(全) 87 ジャイアント・S
本名はセザール・ゴンザレス。「本物」のドクトル・ワグナー・ジュニアより一年早く来日していたこのレスラーは本家とは別人なのだが、正体は本物のジュニアの弟であるシルバー・キング・・・ということはジュニアを名乗っても偽者とは言い切れない。兄より一年早くエル・インベーサーなるリングネームでデビュー。マスクを脱いで素顔になってからは、エル・テハノとのロス・カウボーイズで活躍した。平成に入ってからは兄とのコンビで新日本プロレスに定期的に来日。3代目のブラックタイガーとしても活躍。その後はブロンコ、ラムセスとリングネームを変えている。

 

ドクトル・ワグナー・ジュニア DOCTOR WAGNER JR. 1回
殺人医師2世 179センチ、92キロ
1965年8月12日 メキシコ・コアウィラ州トレオン出身 ●ワグナードライバー
NWA世界ライトヘビー、CMLL世界ライトヘビー、IWGPジュニア・タッグ、UWA世界ヘビー、WWA世界ジュニアライトヘビー
63 5(新)【特】88lWGPチャンピオン・S
今や新日本プロレスのリングですっかり人気者になっているレスラーで、名レスラー ドクトル・ワグナーの長男。初来日の頃はこれといった活躍も出来ぬまま帰国しているが、現在も定期的に来日し新日本プロレスのジュニア戦線を大いに沸かせている。デビューは1986年だからもうすでにベテラ・ンレスラーである。

 

トシ東郷 → 日本人全レスラー名鑑の日系レスラーの項を見よ。

 

ドス・カラス DOS CARAS 13回
飛鳥仮面 178センチ、96キロ
1951年2月20日 メキシコ・サンルイスポトシ州サンルイスポトシ出身 プランチャ
UWA世界へビー、ナショナル・ライトヘビー
53 8(全) 第2次サマー・アクション・S、54 3(全) 第7回チャンピオン・力−ニバル、5411(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 2(全) エキサイト・S、 55 8(全) 第2次サマー・アクション・S、56 2(全) エキサイト・S、56 8(全) スーパー・アイドル・S、 57 1(全)【特】 新春ジャイアント・S、57 7(全) サマー・アクション・S、58 2(全) エキサイト・S、5811(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、6011(新) 85 IWGPタッグ・リーグ戦、61 5(新) 86 IWGPチャンピオン・S
本名ホセ・ロドリゲス。お馴染みミル・マスカラスの弟。兄のシコデリコとは違い、日本でも通用する実力の持ち主だった。中学校で体育教師をしていたが、'70年にプロレスラーに転向。メキシコ国内で着実に実績を積み、テキサス地区にも進出、昭和53年にようやく全日本プロレスに初来日。兄譲りの華麗なルチャで人気を集める。しかし常に兄との不仲を伝えられ、兄がNWAを主戦場にするかたわら、UWAの専属になるなど別行動をとることが多かった。昭和61年には兄と袂を分かち新日本プロレスに移籍しカネックとのコンビで活躍した。現在はジュニアがV総合格闘技路線で活躍。

 

ドナルド・タケシ → 外国人留学生名鑑を見よ

 

トニー・アオド TONY AODO 1回
31 8(日)プロレス国際大試合
恐らく駐留米軍と思われるが、詳細不明。情報募集中。

 

トニー・アトラス TONY ATLAS 1回
●褐色の戦士 ●183センチ、115キロ
●1954年4月23日 米・バージニア州ロノーク出身 ●リフトアップスラム
●ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、NWA世界タッグ(ミッドアトランティック版)、WWF世界タッグ、WCCW・TVヘビー、WWC北米ヘビー
57 3(新) 第5回MSG・シリーズ

本名はアンソニー・G・ホワイト。ボディービルのミスターUSAからレスラーに転向した筋肉派レスラーで、長らくまだ見ぬ強豪と言われたが、新日本プロレスの「第5回MSGシリーズ」に待望の初来日。開幕戦で藤波と引き分けたがその後はトーンダウンTVにも登場しなくなった。他の筋肉派レスラーとは違ってドロップ・キックなどを使ったが、攻撃パターンは単調だった。日本海にカバが出るという話を信じたり、観客の女性の靴にキスをするなどの奇行も話題となった。特に地方の会場では人気があったが、これが唯一の来日となった。(写真撮影:HARU1番様)

 

トニー・アルチモア TONY ALTOMARE 1回
●180センチ、114キロ
●1928年1月24日 イタリア・シシリー島出身 2003年2月18日没
●中西部タッグ(シカゴ版)、WWWF・USタッグ
42 8(日) 第二次サマー・S
本名はアンソニー・アルチモア。イタリア出身のレスラーでニューヨーク地区で同じイタリア系のルー・アルバーノとのザ・シシリアンズとして活躍。レスリング雑誌のランキングにも顔を出しており、NY地区、シカゴ地区でタッグ王座を獲得している。日本へは単独で来日。来日前後と思われる試合のビデオを見たが典型的なショーマン派のやられ役ヒールであった。(タイトル情報提供:あかしかつら氏、ルター電子レンジ氏)

 

トニー・アンソニー → ザ・レモラの項を見よ

 

トニー・ガレア TONY GAREA 2回
●ニュージーランドの貴公子 ●192センチ、112キロ
●1946年9月20日 ニュージーランド・オークランド出身 ●エルボードロップ
●WWWFタッグ、NWA世界タッグ(シスコ版)
53 4(新) 第1回MSGシリーズ、54 4(新) 第2回MSGシリーズ
本名はアンソニー・ガルシア。大学時代はアマレスのニュージーランド王者となり、マーク・ルーインにスカウトされて1972年にプロレス入り。「ニュージーランドの貴公子」と呼ばれ、WWWF地区では絶大な人気があり、ヘイスタック・カルホーン、ラリー・ズビスコ、ディーン・ホー、リック・マーテルらをパートナーに何度もWWWF世界タッグを獲得している。日本へは第1回、2回のMSGシリーズに連続参加。藤波とは好試合を展開している。ジョニー・パワーズに似たエルボーを駆使した試合展開を得意としていた。引退後はWWFのフロントに入閣。

 

トニー・セント・クレアー TONY ST.CLAIR 11回
●英国の若獅子 ●180センチ、100キロ
●1947年3月28日 イギリス・マンチェスター出身(ボルトン出身説もあり) ●スープレックス
●大英帝国ヘビー、CWA英連邦ヘビー、CWAインターコンチネンタル・ヘビー
54 1(新) 新春黄金・S、 58 8(新) ブラディ・ファイト・S、59 8(新) ブラディ・ファイト・S、60 5(新) lWGP&WWFチャンピオン・S、60 8(新) チャレンジ・スピリット85、61 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 86、61 5(新) 86 IWGPチャンピオン・S、62 1(新) ニューイヤー・ダッシュ 87、62 5(新) 87 lWGPチャンピオン・S、63 1(新) 88 新春黄金・S、6310(新) 闘魂S

戦前の名レスラー、フランク・グレゴリーの息子。兄のロイもレスラーでイギリス時代には「ザ・セインツ」を結成し活躍した。昭和54年の「新春黄金シリーズ」に大英帝国ヘビー級チャンピオンとして来日し、テクニシャンぶりを見せたがトップ・クラスには軽く一蹴され、ビル・ロビンソンの再来を期待したファンの期待を裏切った。後に新日本プロレスの常連となり、玄人好みのファイトで人気を獲得。ジュニアヘビー級戦線の重要な戦力となった。(写真撮影:HARU1番様)

 

トニー・チャールス TONY CHARLES 6回
●英国の魔術師 ●180センチ、100キロ
●1936年 イギリス・ウェールズ ●ドロップキック
●ウエスタンヘビー(テキサス版)、USジュニアヘビー(テネシー版)、英国西部ヘビー
43 2(国) 日欧決戦S、43 4(国) 日欧チャンピオン決戦S(残留)、44 6(国) ダイナマイト・S、48 1(新) 新春バッファロー・S、49 1(新) 新春黄金S、50 2(新) ビッグ・ファイト・S、52 3(新) 第4回ワールド・リーグ戦
プロレス・ライターの流智美氏をプロレスの世界に引き込んだという華麗なドロップキックの名手で、国際プロレスに欧州路線第一弾として来日したイギリス出身のテクニシャン。外人が手薄な創製期の新日本プロレスでも貴重な戦力として活躍した。このレスラーも日本でジュニア・ヘビー級が確立していれば、スターになれた選手。1970年代にはアメリカに進出し欧州スタイルのテクニックにアメリカ流のラフを織り交ぜたスタイルで活躍した。初代タイガーマスクのデビュー戦の相手に予定されていたこともある。晩年はテキサスでタイガーマスク張りのマスクを被りチェックメイトを名乗る。これも何か因縁を感じる話である。

 

トニー・パリシー TONY PALISIE
●MSGの星 ●186センチ、123キロ
●1941年イタリア・サンタマリノ出身 2000年8月19日没  ●アルゼンチン・バックブリーカー
●WWA世界タッグ(ロス版)、USタッグ(NY版)、WWWF世界タッグ、IWA世界タッグ(オーストラリア版、モントリオール版)
58 3(新) ビッグ・ファイト・S第1弾
イタリア系の古豪アントニオ・プグリシーの変名。アメリカでもプグリシーというのが発音しにくいためにパリシーに改名したとも、これが本名だとも言われている。この時の来日では完全に峠を越えており、醜態を曝した。

詳細はアントニオ・プグリシーの項参照。

 

トニー・マリノ TONY MARINO 3回
美しき野獣 185センチ、115キロ
1934年 米・ニューヨーク州ローチェスター出身 ベアハッグ
WWWFインターナショナル・タッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版)、USヘビー(デトロイト版)
38 1(日) 春の国際大試合、43 5(日) ゴールデン・S、49 3(国) チャレンジ・S
本名はトニー・スリピーニ。「美しき野獣」のニックネームで五大湖地区で人気のあったイタリア系レスラー。日本にも何度か来日しているが、力道山の空手チョップの防御法を発明したことで有名(のど元で腕をクロスさせるだけだが・・・)。ニューヨーク地区では覆面を被り、ザ・バットマンとして活躍したが、原作者に著作権侵害で告訴され、マスクを脱いでいる。晩年はデトロイト地区やIWAで活躍した。

 

トニー・ロコ TONY ROCCO 4回
弾丸野郎 178センチ、108キロ
1944年 イタリア・アグラッツィ出身(アルゼンチン出身説もあり) サーフライダースペシャル
アメリカスタッグ、カリフォルニアTV
53 10(新) 闘魂S、54 1(新) 新春黄金・S、54 6(新) サマー・ファイト・S、55 8(新) ブラディ・ファイト・S
アルゼンチン出身ともイタリア出身ともいわれる国籍不明のレスラー。イタリアでデビューし、1968年にイギリスに転戦した時にレロイ・マクガークに気に入られ渡米したといわれている。ロスでアメリカス・タッグを獲得して雑誌に紹介されたこともあるが、日本で注目されたのは、藤波のライバルとしてであろう。外人レスラーには珍しく全く手抜きをしないファイトは非常に好感を持てた。試合内容的にはもっとも藤波を追い込んだ挑戦者だった。

 

トミー・ギルバート → ジョニー・スターを見よ

 

トミー・ジエミーニングス TOMY JEMININGS 在日米軍
180センチ、98キロ 米・ニューヨーク州ニューヨーク出身
29 4(旧全) 日本・在日米軍対抗プロレス試合
昭和29年4月に開催されたマナスル登山後援募金日本在日米軍対抗プロレス試合に登場した在日米兵。以下プログラムより。「彼はハイスクール在学中一九四八・・・四九年の二年間ヘビーウェイトのチヤンピオンとして其の輝かしい記録を残している(ハイスクールはロードアイランド)。其の後ハイスクールを出るとノースカロライナーにあるジョンソン、ミ、スミス大学に入学此の大学において大活躍をした。一九五一年軍隊に入りその話が儘現在に至つている。」原文のまま。(資料提供:トレーナー様)

 

トミー・リッチ TOMMY RICH 4回
野生の炎 185センチ、105キロ
1956年7月26日 米・テネシー州ナッシュビル出身 フライングボディシザース
NWA世界ヘビー、ナショナル・ヘビー(ジョージア版)、南部ヘビー(テネシー版)、ジョージア・ヘビー、ジョージア・タッグ、USWA世界ヘビー
58 2(全) 【特】エキサイト・S、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、63 3(全) 88 チャンピオン・カーニバル、 63 11(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦
本名はトーマス・リチャードソン。ワイルド・ファイヤーのニックネームで、日本でも早くから注目を集めていた選手で、1981年にハーリー・レイスから3日間ながらNWA世界選手権を強奪した。その後エディ・ギルバートと初代ファビュラス・ワンズを結成した。初来日で、鶴田のUN選手権に挑戦するも惜敗、2度目の来日時も鶴田のインター選手権挑戦のチャンスを得るがここでも敗退。その後の来日ではまったく精彩を欠いた。個人的には評判倒れの選手だったと思う。

 

ドミンゴ・マラビラ
●ドミニカの黒豹 ●187センチ、106キロ
●生年月日不明 キューバ・サンタクララ出身
53 5(全) スーパー・パワー・S
カステロ・ブラザーズのラウル・カステロの変名。一時期、このリングネームでニューヨーク地区でも前座として活躍。シェイ・スタジアム興行にも出場した。

詳細はラウル・カステロの項参照。

 

トム・アンドリュース TOM ANDREWSザ・ワイルドマン、ジ・インターンズ1号*、ジ・インターン**、) 3回
●大鹿 ●186センチ、120キロ
●1940年 カナダ出身
●パシフィックノースウェスト・ヘビー、セントラルステーツ・タッグ
44 4(日) 第11回ワールドリーグ戦、50 3 (国) ダイナマイト・S*、53 4 (国) スーパー・ファイト・S**
カナダ出身のレスラーで、素顔のアンドリュースとしてよりも白覆面のインターンズとしての方が知名度が高い。素顔での唯一の来日である「第11回ワールド・リーグ戦」では白星配給係に甘んじている。海兵隊として駐留していたことがあり、腕に「トム・アンドリュース」というカタカナの刺青を入れており自慢にしていたが、これが原因で覆面で来日した時に正体がばれてしまった。昭和50年に国際プロレス「ダイナマイト・シリーズ」に参加した際には、開幕戦にのみザ・ワイルドマンとして素顔でも登場。ラッシャー木村と金網デスマッチを戦ったが、刺青で正体がばれないようにサポーターで隠していた。

 

トム・ジョーンズ TOM JONES 2回
●褐色の人間ミサイル ●182センチ、107キロ
●1940年 米・オハイオ州デイトン(テキサス州説もあり) ●逆エビ固め
●アメリカス・タッグ、ジョージア・タッグ、USタッグ(トライステート版)、トライステート・ヘビー、アラバマ・ヘビー
44 1(日) 新春チャンピオン・S、49 7(新) サマー・ファイト・S
1960〜1970年代に活躍した黒人レスラーで、ジョニー・バレンタインとのコンビで売り出す。1977年にはマンドー・ゲレロやS・D・ジョーンズとのコンビでアメリカス・タッグを獲得している。また、マスクを被ってグラディエーターを名乗ることもあったようだ。日本ではバスター・ロイド、ジョニー・キンケイドとの黒人コンビで活躍した。ルイジアナと中心としたトライステート地区では絶対的な人気を持っていたという。

 

トム・ジンク TOM ZINK 3回
●旋風戦士 ●185センチ、100キロ
●1960年11月30日 米・ミネソタ州ミネアポリス出身 ●
ドロップキック
●パシフィックノースウエスト・ヘビー、パシフィックノースウエスト・タッグ、IWAインターナショナル・タッグ(モントリオール版)、NWA世界TV、USタッグ
61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 11(全) 87 世界最強タッグ決定リーグ戦、 63 8(全) 88 サマー・アクション・S U
本名はトーマス・エドワード・ジンク。ミネアポリスの出身で、MSWA地区でTVマッチの前座レスラーを経験した後にガニアのレスリング学校に入学し、ブラッド・レイガンスのコーチをうけ1983年にAWAエリアで正式にデビュー。当時AWA世界王者であったリック・マーテルに才能を認められ、パートナーに起用される。日本へもリックとのコンビで来日、華麗なコンビネーションで話題を集めるが、彼の日本での出世の邪魔をしたのは、輪島の「かませ犬」役を引き受けてしまったことに尽きる。WCWではZマンを名乗り、平成に入り新日本プロレスにも登場している。

 

トム・スタントン TOM STANTON 1回
●188センチ、115キロ
●1952年 米・ニュージャージー州出身 2007年10月22日没
55 2(国) スーパー・ファイト・S

シリーズ前の来日リストには入っていなかったが、モンゴリアン・ストンパーの推薦で急遽来日した巨漢レスラー。モンゴリアン・ストンパーとのコンビでIWA世界タッグ選手権に挑戦しているが。トム・ET・スタントンというリングネームで、バンクーバー、カルガリー、マリタイム地区、さらにはテネシーで活躍していたようだ。2007年にガンの為死亡。

 

トム・タイロン TOM TAIRON (ポール・ハリス *)2回
英国の閃光 185センチ、108キロ
1950年 イギリス・ランカシャー出身
60 5(旧U)格闘技オリンピア63 1 (全) 88 新春ジャイアント・S *
イギリス出身のレスラーで、ピート・ロバーツの愛弟子。キャリア不足だったためかUWFの公式戦では1勝5敗と言う成績に終わる。ジョイント・プロではウェイン・ブリッジに次ぐヘビー級のトップに育てようとしていたようだが、残念ながら大成しなかった。

 

トム・プリチャード TOM PRITCHARD 1回
ヤングカウボーイ 185センチ、107キロ
1959年8月18日 米・テキサス州エルパソ出身(ヒューストン出身説もあり) ブレンバスター
アメリカス・タッグ、パシフィックノースウエスト・タッグ、USジュニアヘビー(テネシー地区)、CWFヘビー、USWA南部ヘビー、WWF世界タッグ
56 1(新) 新春黄金S
テキサスのカウボーイ上がりで、1980年にロスで藤波に挑戦して善戦し注目を浴びる。昭和56年の新春黄金シリーズに初来日、藤波のWWWFジュニア・ヘビー級選手権に再挑戦し、クリーンなファイトを見せた。帰国後はアメリカス王者になり中西部に転出後はスタン・レーンとヘブンリー・ボディーズなるチームを組みスターに。1994年にはジミー・デル・レイ(ジミー・バックランド)との新ボディーズで全日本プロレスにも参加した。1996年にはクリス・キャンディードとのボディ・ドナーズでWWF世界タッグを獲得している。引退後はWWFのフロントに入った。サイン

 

トム・マギー TOM McGEE 2回
鋼鉄超人 198センチ、110キロ
1962年7月1日 カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー出身
61 1(全) 【特】ニューイヤー・ウォーズ・スーパーバトル86、63 3(全) 88 チャンピオン・カーニバル
カルガリーで活躍していたボディービル上がりのレスラーで、ミスター・ヒトのブッキングで長州力の異種格闘技戦の相手として来日したが、この時わずか2年のキャリアしか持っていないグリーンボーイだった。怪力とサマーソルトキック以外に見せ場はなく、試合後の長州の寂しげな表情が印象的であった。