来日全外国人レスラー名鑑 (ト2)

 

ドリー・ディクソン DORY DIXON 2回
褐色の弾丸 185センチ、110キロ 1936年ジャマイカ・キングストン :ドロップキック :アメリカス・タッグ、テキサス・ヘビー
44 3(国) ワールド選抜・S、49 8(新) 闘魂S
1954年にボディビルのミスター・ジャマイカに輝いたのを機に、メキシコの大ボス サルバトーレ・ルッタロスにスカウトされメキシコでデビュー。その後はヨーロッパ、カナダ、南米など世界各地を渡り歩いた渡り鳥レスラー。全盛期にはMSGで馬場を破った実績を持つ。黒人特有のばねを生かしたドロップキックの威力は凄まじく、ドロップキックの使い手としては常にベスト・テンに名を連ねている。一時期メキシコのコマチョ大統領のSPを勤めたこともある。

 

ドリー・ファンク・シニア DORY FUNK SR. 2回
テキサス・ブロンコ 183センチ、100キロ 1911年米・イリノイ州 :NWA世界ジュニアヘビー
4411(日)【特】NWAシリーズ、4710(全)【特】旗揚げジャイアント・S
アマリロのプロモーター兼レスラーで、現役時代は悪役として売り、世界ジュニア・ヘビー級のチャンピオンにもなっている。二人の息子を世界チャンピオンに育て上げた実力者で、アメリカマット界では一目を置かれていた。日本プロレスへはマネージャーとして来日だったが、全日本プロレスに参加した時にはレスラーとしてリングに上がった。1973年6月にパーティーの余興として行なったシュート・スパーリングの途中で心臓発作をおこし、帰らぬ人となった。

 

ドリー・ファンク・ジュニア DORY FUNK JR. 34回
テキサス・ブロンコ 190センチ、110キロ 1942年米・インディアナ州インディアナポリス :スピニング・トーホールド :NWA世界ヘビー、インターナショナル・ヘビー、インター・タッグ、アメリカスヘビー、世界タッグ(ロス地区、テキサス地区)、ミッドアトランティック・ヘビー
4411(日)【特】 NWAシリーズ、45 7(日) NWAワールド・チャンピオンS、46 11(日)【特】 ワールド・チャンピオン・S、48 7(全) 【特】サマー・アクション・S、48 9(全)【特】ワールド・チャンピオン・S、4810(全)【特】創立1周年記念ジャイアント・S、49 1(全)【特】新春NWA・S、 49 8(全)【特】サマー・アクション・S第2弾、50 2(全) 【特】エキサイト・S、 5012(全) オープン選手権大会、52 12(全) 世界オープン・タッグ選手権大会、53 12(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、 54 7(全)【特】サマー・アクション・S、 54 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、55 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、56 4(全)【特】インター・チャンピオン・S、56 10(全) ジャイアント・S、56 11(全) 世界最強タッグ決定リーグ戦、57 4(全) グランド・チャンピオン・S、57 10(全)【特】 ジャイアント・S、57 11(全) 82世界最強タッグ決定リーグ戦、58 3(全)【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、 58 8(全)【特】スーパー・パワー・S、58 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、59 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT、59 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 11(全) 84世界最強タッグ決定リーグ戦、60 8(全)【特】85決戦!ダイナマイト・ウォーズ、60 10(全)【特】ワールド・チャンピオン・カーニバル、60 11(全) 85 世界最強タッグ決定リーグ戦、61 10(全)【特】86 ジャイアント・S、61 11(全) 86 世界最強タッグ決定リーグ戦、62 3(全) 87 チャンピオン・カーニバル、6211(全) 87世界最強タッグ決定リーグ戦
プロレスのスタイルと大きく変えたNWA世界チャンピオン。それまでの大技一発で決めるスタイルとは違い、大技を連発する事により勝利を狙うスタイルの創始者といえよう。特に昭和44年大阪でのアントニオ猪木とのフルタイムの世界戦はいまだに語り種となっている。馬場の独立後は全日本プロレスの看板外人となりブッカーも務めていた。現在はWWFでトレーナーを勤めており、平成10年に29年ぶりにリングで猪木と顔を合わせたが、これがたたってかジャイアント馬場の追悼セレモニーにはお呼びがかからなかった。2001年にはファンクスとして新日本プロレスに登場!昭和のファンに「これが20年前に実現していたら」と大いに残念がらせた。オフィシャルサイトはこちらサイン

 

ザ・トルネード THE TORNADO
竜巻仮面 186センチ、120キロ 米・テキサス州ワックスハイチ
49 8(全) 【特】サマー・アクション・S第2弾
デストロイヤーの覆面十番勝負の相手として1戦のみのために来日した「謎の」マスクマンだが、その体型とファイト振りで正体がディック・マードックであることは誰の目にも明らかであった。

ディック・マードックの項も参照の事。

 

トレーシー・スマザーズ TRACY SMOTHERS 2回
炎の白牛 187センチ、106キロ 1963年米・ジョージア州アトランタ :ドロップキック :ミッドアメリカン・ヘビー(テネシー地区)
63 7(新) サマー・ファイト・S、6311(新) 88 ジャパンカップ・S
デビューはテネシー。長い間前座生活を送った後、初来日時の相棒のスティーブ・アームストロングとのコンビで「サザン・ボーイズ」として活躍。新日本プロレスではジョージ高野を加えたトリオで人気を呼んだ。後に「ヤングピストルズ」と改名。平成に入りジェイソン悪(偽ジェイソン)として今は無きW☆INGに来日した。その後 WWFにフレディー・ジョー・フロイドのリングネームで短期間出場した後、 ECWの「FBI(フル・ブラッディッド・イタリアンズ)」の中核 メンバー(リングネームはトレイシー・スマザースのまま) として活躍していた。(情報提供:TMKID、田村慎司、やまもとこーじ氏)

 

ドン・カーソン DON CARSON 1回
裏切り魔 190センチ、128キロ 1932年米・テネシー州チャタヌガ :ネックブリーカー・ドロップ :南部タッグ、テキサス・タッグ、アメリカス・タッグ
45 5(日) 第一次ゴールデン・S
1960年代後半に中西部やロス地区で活躍したラフ・ファイターで、ロスではグレート小鹿とのコンビでアメリカス・タッグ選手権を獲得するが、一方的にチームを解消し、日本では「裏切り魔」と呼ばれ一時的に悪役人気を獲得しゴング誌の表紙にもなった。この時期に一度だけ来日し、キラー・カール・コックスとのコンビでインター・タッグにも挑戦している。昭和47年にも来日が決定していたがキャンセルしている。晩年はテネシー地区で活躍していたようだ。究極のB級レスラーの一人である。

 

ドン・カヌードル DON KERNOODLE 1回 
ミシシッピの鳥人 180センチ、108キロ 1950年米・ミシシッピ州 :世界タッグ(ミッドアトランティック版)
53 8(全) 第2次サマー・アクション・S
1940年代から1950年代にかけて活躍したスマッシャー・カヌードルの息子で、大学時代はアマレスのオリンピック候補になったこともある。卒業後にビル・ワットにスカウトされてプロレス入り。日本では地味すぎてほとんど目立たず。帰国後は主にミッドアトランティック地区で活躍し、しばしばサージェント・スローターとのコンビでタッグのランキングに名を見かけたが、再来日することはなかった。サンフランシスコでは当時武者修行中の石川敬士とライバル関係にあった。(写真提供:HARU一番様)

 

ドン・ケント DON KENT 3回
猛犬 182センチ、118キロ 1937年米・ミシガン州バトルクリーク :ドロップキック :TWWA世界タッグ
43 1 (T)ワールドタッグS、47 11(日) インター選手権・S、53 4(全) エキサイト・S
長い下積みのあと1967年にアル・コステロに認められロイ・ヘファーナンの抜けたファビュラス・カンガルーズのメンバーとなる。チーム解散後は「ブルドッグ」を名乗り、デトロイト地区で悪党に転向。シングル・プレーヤーとしてかなり晩年まで活躍、首輪を付けた異様なスタイルで人気を呼んだが、他地区ではほとんど活躍していなかったようだ。本名はレオ・ジョセフ・スミス・ジュニア。(写真提供:HARU一番様)

 

ドン・サベージ DON SAVAGE (デューク・ホワード*)2回
暴力教師 180センチ、105キロ 1928年米・カリフォルニア州サンディエゴ(テネシー州説もあり)
40 7(日) サマー・S*、46 7(日) サマー・ビッグ・S
サンディエゴ出身のレスラーで、身体障害児施設の資金集めのためにレスラーを始めたというタイガーマスク顔負けの正義漢。普段は高校教師をしており、夏場だけアルバイトでロサンゼルスのリングに上がった。しかし11年間勝ち星無しという記録を作り、「黒星サベージ」というあだ名を付けられた。蛇足だが昭和46年の「サマー・ビッグ・シリーズ」にはサベージのほかにアート・マハリック、ジョージ・スチールといった高校教師が3人揃った珍しいシリーズである。サイン

 

ドン・ジャーディン DON JARDINE (ザ・ブッチャー *、ザ・スポイラー**、スーパー・デストロイヤー ***) 8回
略奪魔 193センチ、125キロ 1940年カナダ・ケベック州モントリオール :エルボースタッブ :アメリカン・ヘビー
38 7(日) 夏の国際試合、40 9 (日)【特】ハリケーン・S *、44 7 (日) 第一次サマー・S *、、46 8 (日) サマー・ミステリー・S **、 48 1 (日) 新春チャンピオン・S **、51 8 (全)【特】ブラックパワー・S ***、52 4 (全) 第5回チャンピオン・力ー二バル ***、 55 2 (新) ビッグ・ファイト・S ***
ドン・ジャーディン(本名サニー・クーパー)ほど日本でその正体を替え、長年にわたり日本で活躍したレスラーもないだろう。まず力道山時代にジャーディンとして来日。昭和40年にはザ・ブッチャーとして馬場のインター選手権争奪戦の相手をして引分け、さらにザ・スポイラーで来日、昭和51年にはスーパー・デストロイヤーとしてデストロイヤーの覆面10番勝負の最後の相手を勤めた。トップロープを歩くなど器用な面も見せたが、最後の来日では完全に全盛期を過ぎておりファンを失望させた。

 

ドン・セラノ DON SERRANO 2
180センチ、105キロ ベネズエラ :ベアハッグ :ベネズエラ・ヘビー
47 11(新) ニュー・ダイヤモンド・S、51 2(新) ビッグ・ファイト・S
ベネズエラ出身のレスラーで日本へは新日本プロレスに2度来日している。小柄ながらドラム缶をベアハッグでへこませたという怪力を駆使したパワーファイトを自慢にしていた。「南米では彼の名を知らないものはいない」という宣伝文句を使っていたが、実力的には前座クラスのレスラーだった様だ。アメリカではフロリダあたりで前座、中堅として活躍していたようだ。

 

ドン・ダフィ DON DUFFY 3回
小型銀髪鬼 178センチ、105キロ 1932年米・ミシガン州デトロイト :ネックブリーカー・ドロップ
40 1(日)新春国際試合、44 8(日) 第二次サマー・S、4511(日) インター・チャンピオン・S
主に西海岸で活躍したラフファイターで、その風貌から「小型ブラッシー」などと呼ばれた。ブラッシーの弟としてデビューし、ブラッシーとのコンビで売り出しスターになるが仲間割れ、オリンピック・オーデトリアムでデスマッチを行なった。覆面をかぶってベビー・デストロイヤーと名乗ったこともある。プロレスラーになる前はニューヨーク・ヤンキースの選手だったという変わり種。馬場の32文ロケット砲の最初の犠牲者でもある。(補足:Joe Hooker Sr.氏)

 

ドン・チュイ DON CHUY 1回 
189センチ、116キロ 1942年米・モンタナ州 :タックル攻撃
41 5(日) ワールド選抜・S、41 6(日) ゴールデン・S(残留)

ジョー・カロロとの「ザ・ラムズ」として来日した若手レスラーで、アメリカンフットボールの出身。同時期にエース格で来日していたキラー・カール・コックスには若造扱いをされていたようだ。あくまでも本職はアメフトだったのか、帰国後はほとんどプロレスでの活躍を聞くことはなかった。

 

ドン・デヌーチ DON DENUCCI 7回
イタリアの旋風児 192センチ、130キロ 1936年イタリア・ベニス :エアプレーン・スピン :USヘビー(シスコ版)、WWWF世界タッグ、IWA世界ヘビー(オーストラリア版)
43 4(日) 第10回ワールドリーグ戦、46 11(日) 【特】ワールド・チャンピオン・S、47 10(全) 旗揚げジャイアント・S、 49 10(全) ジャイアント・S第2弾、54 1(全) 新春ジャイアント・S、 55 7(全) サマー・アクション・S、 56 10(全)【特】 ジャイアント・S
ゴリラ・モンスーンと並ぶサンマルチノ一家の大番頭。デビュー当初はカナダでドン・ブラボーを名乗りオリジナルのディノ・ブラボー(ペペ・ディパスカリ)とのコンビで活躍した。その後、アメリカに進出した。そのファイトスタイルはイタリア系に多いパワーだけの木偶の坊であった。しかしスパーリングでは非常に強かったというから意外な実力者だったかも?WWWF地区では根強い人気があり、ディノ・ブラボーとのコンビでWWWFタッグ選手権も獲得している。オーストラリアでは超一流の活躍を見せ、1960年代半ば、新設されたIWA世界ヘビー級王座をキラー・コワルスキーとの間で争った。(補足:Joe Hooker Sr.、写真提供HARU一番様) サイン

 

ドン・バス DON BASS 1
暴れ熊 183センチ、125キロ 1946年米・アーカンソー州 :テネシー州ヘビー
55 9 (国) 第1次ダイナマイト・S、55 9 (国) 第2次ダイナマイト・S(残留)
アウトロー・ロン・バスのパートナー兼マネージャーとして来日。ロン・バスの弟としていたが、当然ビジネス・ブラザーで、風貌も全く似ていなかった。主に中西部地区を拠点に活躍していたレスラーで、同地区に多い地味なラフ&パワーを身上としていた。ロン・バスが木村に挑戦したIWA世界選手権では事あるごとにちょっかいを出して、ファンをやきもきさせた。本名はドナルド・ウェルチ。

 

ドン・マノキャン DON MANOKIAN 3回
弾丸野郎 175センチ、110キロ 1927年米・カリフォルニア州マーセット :タックル攻撃
36 8(日)プロレス秋の国際試合、39 1(日)【特】新春国際試合、39 2春の国際大会(残留)、40 4(日) 第7回ワールドリーグ戦、40 5(日) ゴールデン・S(残留)
ロス地区で活躍していたレスラーで、馬場のアメリカ修行時代の好敵手。馬場の著書によれば彼にはトンパチ的なところがあったが、マードックのそれとは違い、マノキャンは頭のいいトンパチだったという。名門スタンフォード大学卒業で、学生時代はレスリングのほかにフットボール、重量挙げなどで活躍した。プロモーターにも好かれ、引退後は不動産会社を経営している。この男もブルーザーと呼ばれた。日本語を覚えるのも早く、日本語が喋れなかった時でも相手の口の動きを見てほとんどの意味を理解したという特異な才能を持っていた。

 

ドン・ミラノ DON MILANO 1回
188センチ、120キロ 1957年イタリア・ミラノ
54 3(全) 第7回チャンピオン・力ーニバル
アドリアン・アドニスに風貌は似ているが、全くの別人。来日前のプロフィールによればオーストラリアで活躍していた大型のラフファイターであるが、カーニバルの公式戦では白星配給係となった。同時に来日したマリオ・ミラノの弟子だった様である。現在は「マット・ビアンカ」と改名。プロモーター兼レスラーとしてオーストラリア最大手のIWAを経営。配下の選手の中にはパンクラスに来日経験があるものもいる。(補足:Joe Hooker Sr.

 

ドン・ムラコ DON MURACO (ドン・モロッコ *) 7回
虎鮫 183センチ、115キロ 1949年米・ハワイ州ホノルル :パイルドライバー :インターコンチネンタル・ヘビー
4611(国) ビック・ウインター・S*、52 7(全) サマーアクション・S、 5410(全) ジャイアント・S、56 3(新) WWFビッグ・ファイト・S、57 3(新) 第5回MSG・シリーズ、59 4(新) ビッグ・ファイト・S 第2弾、64 1(全) 89 新春ジャイアント・S
ハワイ出身のレスラーで、デビュー当時はAWA地区で正統派として活躍したが、同じハワイのキング・イヤウケヤの影響を受けて悪党に転向。フロリダを経てWWF地区でマグニフィセント・ムラコと名乗り、インターコンチネンタル王者となった。昭和56年のビッグ・ファイト・シリーズでは坂口の北米選手権に挑戦し引き分けた実績を持つ。アメリカではトップクラスだったが、日本では真価を今ひとつ発揮できなかった。後にWARにマスクマンの赤鬼として来日した。プロフィールでは身長183センチとなっているが、実際は190cm以上あったのではないか。(補足:田村慎司

 

ドン・モロッコ DON MOROCCO
183センチ、105キロ 1949年米・ハワイ州ホノルル
4611(国) ビック・ウインター・S
ドン・ムラコのデビュー当時のリングネーム。ハワイではサーフィンの世界でも有名でゴールデン・スーパーマンとよばれ、ハワイ・チャンピオンになったこともあったという。ハワイでロード・ブレアースにスカウトされてプロレス入り、。AWAのバーン・ガニアに預けられ修行を積んだ。

ドン・ムラコの項もみよ。

 

ドン・ルーイン DON LEWIN 1回
183センチ、105キロ 1926年米・ニューヨーク州 :中西部タッグ
41 3(日) 第8回ワールドリーグ戦
アナコンダ殺法で有名なマーク・ルーインの兄で、アメリカ海軍出身。1960年代始めにルーイン兄弟としてニューヨーク地区のUSタッグ選手権や、中西部タッグ選手権を獲得している。来日時もファンを唸らせる渋いファイトを見せたようだ。かなり気が強く、その気迫で馬場をおびえさせたという。来日時はアトミック・ドロップをフィニッシュに多用していた。

 

ドン・レオ・ジョナサン DON LEO JONATHAN 8回
殺人台風、モルモンの暗殺者 196センチ、140キロ 1932年米・ユタ州ソルトレイクシティ :ハイジャック・バックブリーカー、サンセット・フリップ :AWA世界ヘビー(オマハ版)
33 9(日) 秋の国際戦、42 5(日)【特】ゴールデン・S、45 4(日) 第12回ワールドリーグ戦、47 3(国) 第4回IWAワールド・S、47 5(国)第4回IWAワールド選抜S(残留)、48 1(全) 新春ジャイアント・S、4910(全) ジャイアント・S第2弾、5012(全) オープン選手権大会、53 3(全) 第6回チャンピオン・力ーニバル
本気で世界王者をねらっていたら、史上最強のレスラーになっていただろうといわれるレスラーは何人かいるが、このジョナサンもその典型的なレスラーであった。体格、パワー、テクニック共に申し分のないものを持っていたが、世界王者への執念はそれ程なかったようだ。これは副業としていた潜水業が莫大な利益を彼にもたらせたためであろう。常に全力でファイトすることはあまりなかった様である。サイン

 

トンガ・キッド TONGA KID 1回
南国の若酋長 182センチ、106キロ 1967年米・カリフォルニア州サンフランシスコ
61 11(新) 86 ジャパンカップ争奪タッグ・リーグ戦
昭和61年11月に初来日したこのトンガ・キッド(本名=ソノラ・ファトゥ)はファトゥ・サモアン(トンガ・キッド・ファトゥ)で、アファとシカのザ・サモアンズの甥に当たる。兄のサベージ・サモアンの方がこの当時、トンガ・キッドをWWFで名乗り、キング・トンガ(ハク、現在のミング)と「ジ・アイランダース」を組んで活躍していた。日米で兄弟が同じ名前を名乗っていたため、区別するために、サベージの方をトンガ・キッド・タマと表記することもある。以後、2人はサムウ(ワイルド・サモアン)も加えたトリオで「サモアン・スワット・チーム」を組み、NWA圏で売り出す。1990年にはSWSへ兄弟で来日するが、直前にサムウが新日本に来日、グレート・コキーナ(後のヨコヅナ)とサモアン・スワット・チームを名乗ってしまったため、彼らは「グレート・サモアンズ」と称するようになる。その後ファトゥはWWFでサムウやシオーネ(コンガ・ザ・バーバリアン)との「ヘッド・シュリンカーズ」で人気を得るヘッドシュリンカーズ解散後はシングルに転向、中近東キャラでザ・スルタンを名乗った。離脱後にアルマゲドン1号としてFMWの常連となり、最近はエディ・ファトウと改名。チーム名もニュー・ヘッドシュリンカーズ→サモアンズと改め、なお来日を重ねている。(解説:黒い一羽鷹氏)