来日全外国人レスラー名鑑 ウ

 

ウィリー・ギャレット → ジ・エクスキューショナー、インフェルノス2号を見よ

 

ウィリアム・ホール WILLIAN HALL 2回
186センチ、115キロ 1931年南アフリカ : 南アフリカタッグ
44 6(国) ダイナマイト・S、48 9(国) 第5回lWA・ワールド・S
南アフリカ出身の選手でレスラーになる前はラグビーの選手として鳴らし、伝説的な名フォワードとしてラグビー・ファンの間では有名だという。プロレス転向後もラグビー流のフライング・タックルを決め技としていた。ヨーロッパ・スタイルの正統派レスリングを得意としていたようだ。来日時はジャン・ウィルキンスとのコンビで南アフリカ・タッグ選手権を保持していた。第5回ワールド・シリーズでは4勝3敗というまずまずの成績を残している。

 

ウィルソン・ドル WILLSON DOLE 1回
30 12(旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合
キングストン・ケリーらと来日。鮫のリングネームで徹底したラフ・ファイター。何回と無く流血試合をし、シリーズ6戦で山口利夫とシングルで対決して1−1のまま引き分けている。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

ウィルバー・スナイダー WILBUR SNYDER 3回
原爆男 195センチ、118キロ 1929年9月15日米・ユタ州ソルトレイク・シティ :コブラツイスト :AWA世界ヘビー、WWA世界ヘビー(シカゴ版)、USヘビー
41 3(日)【特】第8回ワールドリーグ戦、44 1(日) 新春チャンピオン・S、48 1(全) 新春ジャイアント・S
フットボールからプロレスに転向した大型テクニシャンで、同じフットボール出身のジン・キニスキーとは長らくライバル関係にあった。長くカリフォルニア王者として君臨し、1958年にバーン・ガニアを破ってAWA世界王者となる。リング上では仇敵であったディック・ザ・ブルーザーとは親友で二人でシカゴ版WWAを設立したことでも知られる。昭和44年の来日時はダニー・ホッジとのコンビで馬場、猪木組からインター・タッグ王座を強奪し1ヶ月間保持した。日本へは3回しか来日していないが、これは来日がままならないほどアメリカでは売れっ子レスラーだったからである。1991年12月25日リンパ性白血病で死亡。

 

ウインター・ホーク WINTER HAWK 1回
冬の鷹酋長 182センチ、110キロ 1937年米・ニューメキシコ 州ラメーサ : テネシー地区6人タッグ
51 1(国) 新春パイオニア・S
インディアン・レスラーなのに珍しくチーフを名乗っていない奥ゆかしい男。ニューメキシコの出身で、プロレス入り前はアマレスとボディビルで体を鍛えたという。本名はルーベン・ロドリゲスで、テネシーではペペ・ロペスとも名乗った。テキサスでデビューした後、ヨーロッパを転戦しカナダに定着した。普段は正統派のレスリングをやるが、流血戦にも強い所を見せた。帰国した半年後にメンフィスで交通事故で死亡。

 

ウェイン・ファリス WAYNE FARRIS 1回
ブロンドの虎 187センチ、115キロ 1955年1月25日テネシー州メンフィス : サザン・タッグ、WWFインターコンチネンタル・ヘビー
56 3(全) 第9回チャンピオン・カーニバル、56 4(全) インター・チャンピオン・S(残留)
テネシー地区でラリー・レイザムとのコンビでブロンド・ボンバーズとして売り出していたレスラーで、初来日のチャンピオン・カーニバルでは、ブロディに16秒でフォール負けしたものの、ジャック・ブリスコ戦では粘りを見せて時間切れ引き分けに持ち込んでいる。1985年にカルガリーに転戦、ここで金髪を黒くそめてリーゼントにしたエルヴィス・プレスリー・スタイルのホンキー・トンクマンに変身したところ人気爆発。これを見たWWFのビンス・マクマホン・ジュニアにスカウトされ、インターコンチネンタル・タイトルを獲得するなど大ブレイクしアメリカでもトップの悪役スターとなった。WWF離脱後もインディ団体で活躍を続けた。ジェリー・ローラーのいとこだといわれている。オフィシャル・サイトはこちら情報提供:AWCTOM様 サイン

 

ウェイン・ブリッジ WAYNE BRIDGES 5回
英国の麒麟児 188センチ、102キロ 1944年イギリス・ケント州ギリガム :スープレックス :ヨーロッパ・ヘビー、大英帝国ヘビー
47 9(新) ニュー・ゴールデン・S、48 9(新) 闘魂S、57 11(新)【特】第3回MSGタッグ・リーグ戦、58 11(新) 第4回MSGタッグ・リーグ戦、60 1(旧U) サンライズ・ウイークス
高校時代からアマレスをはじめバート・アセラッティにスカウトされてプロレス入り。1979年にスパイロス・アリオンから大英帝国選手権を獲得し、ビル・ロビンソンなき後のイギリスを代表するヘビー級のレスラーとなる。カール・ゴッチを通じて新日本プロレスとは親密な関係にあり、イギリス遠征した佐山サトルや前田明の面倒を見ている。前田の凱旋に際しヨーロッパ・ヘビー級を新設し自らが王者になり前田にタイトルを移動させている。昭和57、58年のMSGタッグ・リーグにそれぞれ参加しているが、2回とも途中帰国している。第3回のリーグ戦では来日直後に家族の不幸があり1戦も行わぬまま帰国した。

 

ウォルター・ジョンソン WALTER JOHNSON 1回
褐色のタックル王 201センチ、138キロ 1942年米・オハイオ州シンシナティ :フライング・タックル :アメリカス・ヘビー
49 4(新) 第1回ワールド・リーグ戦
新日本プロの第1回ワールド・リーグ戦にNWFの推薦でアメリカ代表として来日。プロのアメフト選手でオフの間だけプロレスをするというアルバイト・レスラー。アーニー・ラッド張りの巨漢だったが、タックルだけしか取りえがない木偶の坊で、ワールド・リーグでは7戦全敗で予選落ち。こんな選手しか呼べなかった当時の新日本プロレスの苦しい外人事情が窺える。1979年頃にロスに登場アメリカス選手権を獲得している。1999年6月心臓発作のため死亡。

 

ウッディ・ファーマー WOODY FARMER 2回
180センチ、103キロ 米・テキサス州ラレド
45 5(日) 第1次ゴールデン・S、 47 6(日) 第2次ゴールデン・S

西海岸、ハワイやAWA地区で活躍したレスラーで、ファーマー(農夫)と言うリングネームとは裏腹に長髪のキザなスタイルを売りにしていた。デビューはメキシコ。日本には2回来日しているが、それ程目立った活躍は出来ていない。アメリカでも中堅に位置するレスラーだった。現在西海岸でレスリング学校の開校を計画中とか。

 

ウルトラマン ULTRAMAN 2回
宇宙仮面 172センチ、89キロ 1950年7月14日メキシコ・ネサワルヨコ  :プランチャ :ナショナル・ミドル級
54 6(新) サマー・ファイト・S、 57 7(新) サマー・ファイト・S 第1弾
本名をベンチュラ・チャベス・ペレスといい1968年に素顔でデビュー。1975年からウルトラマンに変身した。メキシコからの藤波への刺客として来日したが、本来はウェルター級の選手のため、4階級も上の藤波の対戦相手としては荷が重すぎた。しかし3年後に体格がほぼ似通ったタイガーマスクのライバルとして来日したおりには、それなりの真価を発揮したといえよう。日本では人気先行型のレスラーと捉えられたようだ。ウルトラマン

 

ウルフガング・サトルスキー WOLFGANG SATURSKI 1回
ババリアの旋風児 183センチ、110キロ 1941年ドイツ・ババリア地方(ベルリン説もあり) :欧州ミドル級
48 5(新) ゴールデン・ファイト・S
初期の新日本に来日したヨーロッパ中量級の強豪。父親のルディ・サトルスキーと共に来日。ジュニアというジャンルが確立する前に来日したこととキャリア不足もあり、日本ではこれといった成績は残せていないが、活きのいいファイトが認められメインエベントにも抜擢されていた。1980年代初頭までIBV認定欧州ミドル級王者として君臨した。もう一度ぐらい来日して欲しかった選手である。

 

ザ・ウルフマン THE WOLFMAN 1回
狼男 187センチ、110キロ カナダ :ハングマンズホールド
51 8(全) ブラックパワー・S
月刊ゴングの人気企画「まだいる怪奇派レスラー」ではじめて紹介されたカナダ出身の野獣派レスラー。満月の夜になると野生の血が騒ぎマネージャーでもあったザ・ビーストのもとを脱走して1週間は戻らなかったといわれている。デトロイト版WWAで長く同じタイプのザ・ビースト(=カナディアン・ワイルドマン)とのコンビで活躍した。MSGにも出場経験があるが所詮は3流のゲテものレスラーだった。本名はウイリー・ファーカス。