未来日外国人レスラー名鑑 

 

 

エイドリアン・ストリート ADORIAN STREET 
魅惑の狂乱児 180センチ、110キロ 1946年イギリス・ロイヤルフォレスト : 欧州ミドル級、アメリカス・ヘビー
イギリス時代は欧州ミドル級選手権を獲得するなど本格派のレスラーとして鳴らしたが、英国マットに見切りをつけて1980年にカルガリーに転戦。1982年に妻のリンダをマネージャーにしてどぎついペイントのおかまスタイルに変身してロスに登場。アメリカス・ヘビー級選手権を獲得し話題となる。ロスが寂れるとヒューストンに転戦、ここでも人気を博しメキシコにも足を伸ばしたが、1985年に突然引退。現在はヒューストンで妻とともに環境団体の幹部になっているという。日本にはバラエティ番組に出演するために来日している。

 

ジ・エクスキューショナーズ THE EXECUTIONERS
死刑執行人 : WWWF世界タッグ

1975年ごろにWWWF地区に出現した黒覆面コンビで、正体はキラー・コワルスキー(写真右)とビッグ・ジョン・スタッドがオリジナル。その後、スカンドル・アクバやダグ・ギルバートなど不特定多数のレスラーがマスクを被ってエクスキューショナーとして試合に出場していたため、これがばれてWWWF世界タッグ王座を剥奪されている。

 

エストレージャ・ブランカ ESTRELLA BLANCA
流星仮面 1939年 メキシコ・プエブラ : ナショナル・ライト級

デビュー当時はコメタ・ラスルと名乗っていた。1968年に第22代目のナショナル・ライト級王者となり35回の防衛に成功した。最軽量のライト級だからかなり小柄な選手で、来日のチャンスはなかった。白髪の執事とともにリングに登場するなどショーマンなところがあった。息子もレスラーになっている。

 

エディー・シャーキー EDDIE SHARKEY
飛行野郎 175センチ、100キロ 米・アラバマ州 :ドロップキック
高校時代からフットボールで身体を鍛えて卒業後にプロレス入りしたレスラー。レスラーとしては超一流にはなれなかったが、コーチとして手腕を発揮し、ロード・ウォリアーズをはじめとする多くの人気レスラーを育て上げたことで知られる。

 

エディ・マンスフィールド EDDIE MANSFIELD
北米大陸の恋人 182センチ、105キロ 米・フロリダ州 : ガルフコースト・ヘビー、南東部タッグ、アメリカスタッグ
コンティネンタル・ラヴァーなるニックネームでロスに登場したジュニア・ヘビー級のレスラーで、当時ロスで猛威を振るっていたバッド・バッド・レロイ・ブラウンのマネージャーもかねていた。実力的にもうるさい存在で、ロスでは藤波のWWFジュニアヘビー級選手権にも挑戦している。

 

エミール・デュプレ EMILE DUPRE
地獄の天使 180センチ、101キロ 1936年米・ニューブランズウィック州 : 世界タッグ

1960年代後半に出現したヘルス・エンジェルス=デュプレ兄弟の片割れで、ポール(クリス・コルト)とのコンビで、デトロイト、オハイオ周辺を主戦場とし、小柄な体をフルに生かしてのタッグ戦術で活躍し、日本でも何度となく紹介された幻のチーム。Gパンにライダーブーツという暴走族スタイルで人気を呼んだ。当時公開されてヒットした「イージーライダー」にインスピレーションをえたか?同じ暴走族スタイルのチェイン・ギャングとの抗争は凄惨なものであったという。解散後はゴールデンボーイ・デュプレと名乗った。本名はエミール・ゴーゲン。

 

エリック・エンブリー ERIC EMBRY
175センチ、102キロ 1959年米・ケンタッキー州 : UWA世界Jライト・ヘビー、サウスウエスト・タッグ、WWC世界ジュニア・ヘビー、WCCWライト・ヘビー
1973年、17歳の時にプロレス入り、ルー・テーズとヒロ・マツダに師事を仰いだが、軽量の為アメリカでは芽が出ず1981年にメキシコに遠征。ここでエル・ソリタリオからUWA世界ジュニア・ライト・ヘビー級王座を獲得して8回防衛、これに自信を得て帰国後もフロリダ、プエルトリコ、テキサスで活躍した。昭和時代には来日を果たせなかったが、平成2年に全日本プロレスに登場、ディック・チャーランドとのコンビでアジア・タッグ王座決定戦に出場している。佐山タイガーとの対戦が見たかった選手だ。

 

エリック・ランバージャック ERIC LUMBERJACK
190センチ、125キロ 1950年米・フロリダ州セントピータースバーグ : WWWFタッグ(エリック・ランバージャックとして)
1978年6月にピエール・ランバージャック(バッファロー・ザリノフ)とのユーコン・ランバージャクスでWWWF世界タッグ選手権を獲得したが、は同年11月にトニー・ガレアとラリー・ズビスコに奪われ短命に終わった。正体はスーパー・デストロイヤーやアステロイドとして来日経験のあるスコット・アーウィン。

来日全外国人レスラー名鑑のスーパー・デストロイヤー、アステロイドの項も見よ。

 

エル・アウダス EL AUDAZ
勇猛戦士 178センチ、93キロ メキシコ・ベラクルス : UWA世界ライト・ヘビー
ごく短期間しかリングに登場しなかったことでマニアの間では伝説となっているルチャ・ドールで、1976年にレイ・メンドーサからUWA世界ライト・ヘビー級選手権を獲得。途中、エル・ソリタリオにマスクを剥がれるが、約7ヵ月王座を保持、カネックをも寄せ付けなかった実力者であった。王座転落後も活躍したが、1980年に歌手に転向し、あっさりリングを去った。

 

エル・インパクト EL IMPACTO 
電撃仮面 176センチ、80キロ メキシコ : メキシコ連邦区ミドル

往年の名レスラー、ラウル・レイエスの息子。1968年2月にデビューし、わずか3ヵ月後にメキシコ連邦区ミドル級王座となった。その後この王座を数度獲得している。空中殺法が得意だったというから、佐山のタイガーマスクと対戦してほしかったものである。

 

エル・インヒューマノ EL INHUMANO
無慈悲の男 174センチ、105キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。インヒューマノとはスペイン語で「無慈悲」という意味。ミル・マスカラスと6回戦って全て引き分けたという。経歴など詳細は不明。

 

エル・エスコルピオン EL ESCORPION
第2のエル・ソリタリオということでゴングが大きく取り扱ったメキシカン。このエスコルピオンはシングルプレーヤーだったようだが、国際プロレスにやってきたザ・スコーピオンズと同一人物だろうか?

 

エル・エスペクトロ EL ESPECTRO
猿人 170センチ、95キロ メキシコ・ヌエボレオン州モントレイ : ナショナル・ライト・ヘビー
エスペクトロとはエンジンを意味するらしい。口の部分の牙はプラスチックで出来ており、これを凶器として使用した。頭には白い羽のようなもの(黒バージョンもあり)をのせているが、中には鉄製のヘルメットが仕込まれていたという。本名はアントニオ・エルナンデス。ふたりの息子もレスラーとなり、それぞれエスペクトロ・ウルトラトゥンバ、エスペクトロ・ジュニアを名乗った。1993年に死亡。

 

エル・エルミターノ EL ERMITANO
地獄仮面のニックネームで紹介された怪奇派の悪役レスラー。マスクの上部から本物の頭髪を露出させた最初のレスラーではないか?ライガーのスタイルを大きく先取りしていた訳だ。得意技はトップロープからのダイビング・ボディプレス。

 

エル・エンフェルメロ EL ENFERMERO 
殺人看護士 168センチ、85キロ メキシコ・グアダラハラ : 西部ミドル級

ゴング誌でドクトル・ワグナーと取り違えられた上に、名前も「インフェルマノ」として紹介されていたレスラー。1950年代にメディコ・アセシノとのコンビで活躍、エル・サントを加えたトリオとしても一時代を築いた。メディコ・アセシノとのコンビではアメリカにも遠征、アリゾナではエル・カイロプラティコとして一緒にトレーニングしたバディ・ロジャースに足4の字固めを伝授したとも言われている。1960年代末にメキシコに戻るが、全盛期は過ぎており1979年に自らマスクを脱いで引退。正体はトニー・ナバーロであった。写真提供:Jose Fernandez様

ワグナーととり間違えられていた経緯については「昭和プロレス・ファイル46」を見よ。

 

エル・オリンピコ EL OLYMPICO

1970年代初頭から中ごろにWWWF地区で活躍していたマスクマン。MSGでは覆面が禁止だったので、出場時は写真のように顔の部分が丸見えの特製マスクで出場することを余儀なくされていた。そこまでして出場するほどMSGのギャラは良かったのである。来日したエル・オリンピコとはまったくの別人。

 

エル・グラン・アポロ EL GRAN APOLO
熱風児 187センチ、110キロ キューバ・バハマ : フロリダTV
キューバ移民でフロリダで育つ。13歳の時にプエルトリコに再び移住し、柔道とボディビルで身体を鍛える。1978年にはボディビルのプエルトリコ王者となる。翌年カルロス・コロンにスカウトされてプロレス入り。プエレルト・リコで活躍した後フロリダに転戦し、当時同地区のブッカーを勤めていたドリー・ファンク・ジュニアのコーチを受けて頭角をあらわし、ドン・ムラコからTV選手権を獲得。その後はジョージア、プエルト・リコなどを転戦した。日本では昭和54年ごろからフレッシュな強豪として紹介されるようになった。当時のルートを考えると新日本プロレス、全日本プロレスともに登場のチャンスは充分にあった。

 

エル・グラン・マーコス EL GRAN MARKUS
白鯨仮面 190センチ、120キロ メキシコ・コアウィラ州トレオン : ナショナル・ヘビー、アメリカン・タッグ
数少ないメキシコの重量級選手でワールドリーグ戦の参加者のリストに名が挙がったこともあるが、結局未来日。活動範囲はメキシコだけにとどまらずロス、テキサスまで足を伸ばした。テキサスでは長期間定着し悪党人気を獲得。ジノ・フェルナンデスとのコンビでアメリカン・タッグを保持していた。しかし、そのファイトが日本で通用したかどうかは不明。1987年にアニバルに敗れマスクを脱ぐ。本名ファン・チャバリーア。

 

エル・コンドル EL CONDOR
コンドル仮面 176センチ、82キロ
少年時代に高熱におかされて耳が聞こえなくなり、言葉が不自由で、いつも「シューシュー」という不気味な呼吸音を発していたという。ジャン・レノ主演の「グラン・マスクの男」にこのエル・コンドルをモチーフにしたと思しきレスラーが登場する。得意技はメキシカン・バックブリーカー。

 

エル・サント EL SANTO
聖者 170センチ、85キロ メキシコイダルゴ州 : ナショナル・ウェルター、同ミドル、同ライトヘビー、NWA世界ウェルター、同世界ミドル
こちらが本家のエル・サント。本名アドルフォ・グスマン・ウエルタ。アメリカでも活躍した名選手ブラック・グスマンの実弟である。デビュー当初はルードだったというが、リンピオに転向後はナショナルタイトル3階級、世界タイトル2階級を制覇するなどの実績をあげ、神格化される。短期間テキサスに遠征したことがあるだけで、ほとんどメキシコからはでたことがない幻のレスラー。映画にも多数出演し、メキシコでは国民的な英雄となった。1984年心臓麻痺で逝去。

 

エル・サント・マスク  EL SANTO MASK
フランスに1970年代初頭に出現したマスクマンで、メキシコのエル・サントの名声を聞きつけこのリングネームを付けたのであろう。本家サントとは違いラフ・ファイト専門だったらしい。

 

エル・トレメンド EL TREMENDO
モーレツ坊主 188センチ、128キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。トレメンドとは「モーレツ」といったような意味。ほとんどの試合で反則負けを喫したという。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。経歴など詳細は不明。

 

エル・ナシ EL NAZI
親衛隊長 175センチ、97キロ 1934年メキシコシティ : ナショナル・ライトヘビー、ナショナル・ヘビー

日本ではエル・ゲルマーノとして紹介されていたが、元々はそう名乗っていたのだろうか?本名はイグナシオ・ルイス・ロメス。ドイツ出身で父親がヒットラーの側近というギミックだったらしい。メキシコのナショナル選手権の2階級を制覇したあたり、見せ掛けだけのレスラーではなかったことは良くわかる。EMLLとルートがあった末期の国際プロレスあたりに登場して欲しかった。

 

エル・バンドレロ EL BANDOLERO
山賊仮面 174センチ、115キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。黒ずくめの衣装でピストルを片手に登場。メキシコのマスクマンは個性豊かで面白い。

 

エル・ファラオン EL FARAON
メキシコの虎 180センチ、89キロ 1947年メキシコシティ ; NWA世界ミドル、NWA世界ライト・ヘビー

本名はホセ・ルイス・バラハス・フェルナンデス。リングネームはエジプトの王を指す「ファラオ」の意味。元々はマスクマンとして1973年にデビューする。1976年4月にフィッシュマンに破れて素顔になるが、10月にペロ・アグアヨからNWA世界ミドル級選手権を獲得。このタイトルは1977年3月にアグアヨに取り戻されているが、1977年暮れにジョー・ポラルディに勝って王座に復帰。その余生をかってロスに登場、1978年1月にはマスクド・カナディアンの挑戦を受けて防衛したが、メキシコから追いかけてきたリンゴ・メンドーサに敗れている。1978年6月にはアルフォンソ・ダンテスからNWA世界L・ヘビー級王座を獲得している。新日本プロレスが招聘するチャンスはあった。

 

エル・ブラセロ EL BRACELO
メキシコの竜巻 170センチ、95キロ 1949年メキシコシティ ;

テキサスでホセ・ロザリオのコーチを受け1978年にインディアナポリスのWWAに登場したメキシカン・レスラー。その後もAWA地区などで試合をしていたが、完全な前座要員だったようである。ブラセロとは「労働者」の意味らしい。来るとすれば国際プロレスあたりではなかったか?本名はホセ・マルチネス。

 

エル・プリュアノ EL PRUANO
精神病仮面 172センチ、103キロ

1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。名鑑の解説には「流血試合をやらせたらメキシコでも指折り。噂では本当に精神病者ではないかといわれている」とあるが、現在では再現不可能なギミックといえよう。

 

エル・メタカルポ EL METACARPO
血を吸う掌 180センチ、103キロ スペイン・グラナダ

ゴングに連載されていた「続・まだいる怪奇男シリーズ」で紹介されたメキシコの選手。レイ・メンドーサの友人で、本職は古代マヤ文明の研究で、プロレスはあくまでも副業だったという。やけどを隠す為に白い手袋をはめていたというが、実は鋼鉄の義手だったのではないかといわれている。必殺技はクロー攻撃で握力はなんと200キロ。クロー攻撃で流れた血で白いテブクロが真っ赤に染まる光景は凄惨なものだったという。

 

エル・メヒカーノ EL MEXICANO
1968年ごろにロサンゼルスに登場していたマスクマン。ミル・マスカラスとも対戦していたようだが、本当にメキシコ人だったのかなど、詳細は不明である。

 

エル・メディコ  EL MEDICO
180センチ、103キロ : アメリカス・ヘビー
1980年の夏にロスに登場したメキシコ系のマスクマン。話題性のみの存在的に紹介されていたが、ごく短期間ながら何とアメリカス選手権を獲得してしまった。この頃からロスのマット界は急激に衰退の時代に入る。正体はベテランのラウル・レイエスといわれたが・・・?

 

エル・リンス EL LINCE
山猫 183センチ、116キロ
ゴングの1971年8月号増刊に掲載された「J・H・リンレイのメキシコ・レポート」で紹介された選手。当時は「ボクス・イ・ルチャ」誌の人気投票の3位に名を連ねていたほどメキシコでは人気があったという。その動きは少林寺拳法に似ており、リンレイはチョング・リーという中国人レスラーではないか?と推測している。食事はもっぱら中華料理だったという。

 

エル・レオン・ネグロ EL LEON NEGRO
黒獅子仮面 174センチ、82キロ

メキシコで1969年度の新人王に選出されたこともある選手で、1970年代にはウルトラマンとの抗争で人気を博したが、最終的にはウルトラマンにマスクをはがされている。もう少し登場が遅ければ佐山タイガーマスクと虎VSライオンの対戦が見たかったものである。

 

エル・レベルディ EL REBELDE
オカルト怪人 182センチ、102キロ ロシア・キエフ
1974年ごろにメキシコに登場したレスラー。自称ロシアのコザック民族でソヴィエト政府に反逆して国外追放にされたという。顔を縮めたり、火のついたガソリンを飲んだり、火のついた葉巻を食うなどの怪人ギミックでオカルト怪人と呼ばれた。リングでは火炎殺法を使ったという。彼の左足は義足で歯は総入歯だった。これはソヴィエト政府に捉えられ拷問受けた際に脚を切断され、歯を全て抜かれたのだという。メキシコでは割と遅くまでこのようなギミックの怪奇はレスラーは多かったようだ。

 

エル・ロステロ  EL ROSTRO
黄金の笑い仮面 185センチ、103キロ メキシコ・サンルイスポトシ
ミル・マスカラスの登場によって、ようやく日本のファンの目がメキシコ・マット界にむくことになるが、エル・ソリタリオに次いで大きく取り上げられていたのが、黄金の笑い仮面と呼ばれたエル・ロステロであった。体格もマスカラスより一回り大きく、日本にきても何とかなりそうであったが、未来日に終わっている。1976年に一度引退し競馬関係の仕事をしていたが、マスカラス兄弟のすすめで1984年にカムバックした。

 

エル・ロボ EL LOBO
狼仮面 190センチ、124キロ
フロリダに登場したマスクマンで、1971年当時でキャリア6年、いくつかのローカル、ナショナル・タイトルを獲得した選手が正体だという。マスクのデザインは国際プロレスに登場したドクター・デス(ムース・モロウスキー)と全く同じなのだが・・・。ルーク・グラハム正体説もあり。