未来日外国人レスラー名鑑 ミ、ム、メ、モ
| ミゲール・モラレス MIGUEL MORALES | |
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        昭和44年当時ゴングでミル・マスカラスの正体として紹介されたメキシコ系の選手。現在ではマスカラスとは別人であることが判明している。モラレス本人はテキサスやテネシーで暴れたことがあり、テネシーではトージョー・ヤマモトらと抗争を展開した。 | 
| ミスター・X Mr. X  ●覆面教師 ●182センチ 125キロ ●1929年 米・アイオワ州(オハイオ州説もあり)出身 ●タックル攻撃  | 
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        1971年ごろに単発で月に1〜2回のペースでロスのリングに登場していたマスクマン。デストロイヤーのようなマスクにボーダーのランニングシャツという決してかっこいいとはいえないスタイルで登場。その正体は学校の先生をしていたアート・マハリックであった。以前は素顔でリングを上がっていたことを考えると、正体を隠していたということは教育委員界の偉いさんか、校長先生になっていたのかも? | 
| ミスター・カリフォルニア Mr. CALIFORNIA | |
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        1974年夏にロサンゼルスに登場したマスクマン。登場してまもなくはジョン・トロスが正体だといわれていたが、別人であることが判明。目や口の部分にもメッシュが入っていて表情がまったく分からず、結局、正体は不明のまま姿を消した。 | 
| ミスター・クリーン
        MISTER
        CLEAN ●清潔野郎 ●184センチ、120キロ  | 
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        本名はアーネスト・バーミス。どうやら清掃員のギミックらしく、清掃員のユニフォームを着てリングに上がった。名前のとおりクリーンな試合振りを見せ、反則は一切しなかったといわれているが、後のグラン・ウィザードであるアームストロング・ケイがマネージャーについていたというからヒールだったのではないだろうか? ゴング誌はハーディ・クルスカンプの変身ではないかと推測していたが別人である。 | 
| ミスター・ゾムビイ
        MISTER
        ZOMBY ●マヤの悪霊 ●154センチ、70キロ ●ポルトガル出身?  | 
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        メキシコを代表する怪奇派レスラーのひとりで、彼に噛み付かれると謎の病原菌に冒され、高熱にうなされるという「伝説」があった。ロス・クラネオス1号が病死した後は2号のパートナーとなり、悪の限りを尽くした。今ならインディー団体が呼ばずにいないだろうが、当時の日本マットには登場するチャンスは皆無であった。レスリング・レビューのJ・H・リンレイ氏とのインタビューに「俺はポルトガル人で、オーストラリアからガテマラを経由してメキシコに来た」と答えている。身長はたったの154センチ(入力ミスではありません)! | 
| ミスター・テンペスト
        MISTER
        TEMPEST ●暴風仮面 ●180センチ、102キロ ●英領ペドロケーズ出身  | 
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        1973年夏にメキシコで人気を誇ったレスラー。本人いわく、メキシコに登場する前は4年間イギリスで素顔でファイトしていたという。しかし肌の色は浅黒く、メキシコ人のように思えるとアルフレッド・アダム記者はゴング誌にレポートを送っている。メキシコのほかにもプエルトリコでも試合に出場している。国際プロレスに来日した「ザ・テンペスト」とは別人。 | 
| ミスター・レスリング2号
        MR. WRESTLING #2 ●185センチ、108キロ ●1928年 米 ・ノースカロライナ州チャールストン出身(ハワイ出身説もあり)  | 
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        ラバーマン・ジョニー・ウォーカーの変身で、ジョージアでは本家をしのぐ絶大なる人気を誇ったマスクマン。主にベビーフェイスとして活躍したが、ヒールに転向したりなどして長年ジョージアで活躍した。カーター大統領の母親が彼の大ファンで、ホワイトハウスに招待されたが、マスクを脱ぐように言われホワイトハウスへの招待を辞退したというエピソードも持つ。デストロイヤーの覆面十番勝負の対戦相手に名乗りを上げたとの報道もあったが、来日せずに終わった。 来日全外国人レスラー名鑑のジョニー・ウォーカー、未来日外国人レスラー名鑑のザ・グラップラーの項も見よ。  | 
    
| ミック・マクマナス MICK McMANUS ●168センチ、79キロ ●1928年1月11日 イギリス・ロンドン出身 ●大英帝国ウェルター、大英帝国ミドル、ヨーロッパ・ミドル  | 
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        1960〜80年代に活躍したイギリス人レスラー。イギリスで最も有名なヒールといわれ、「THE MAN YOU LOVE TO HATE〜憎みたくなる男」というニックネームがあった。かなりの小型で、ヘビー級偏重の日本ではニーズがなかったため、未来日に終わってしまった。 | 
| ムース・エバンス
        MOOSE
        EVANS ●大鹿 ●203センチ、145キロ ●1939年 米・ニューヨーク州出身 ●エアプレーンスピン ●AWA世界タッグ  | 
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        マスクを被ってボブ・スタンレーとのザ・マイティ・ヤンキース(来日したヤンキースとは別)として有名だった大型選手。レスラーになる前はアメリカンフットボールの名門ニューヨーク・ジャイアンツに所属していたという。1964年2月にはバーン・ガニアとのコンビでブルーザー&クラッシャー組からAWA世界タッグ選手権を獲得したが、2週間後のリターンマッチで敗れている。東京プロレスの旗揚げシリーズに参加が決定していたが、直前にキャンセルしている。その後、日本には縁がなかった。 | 
| ザ・ムーンマン
        THE
        MOONMAN  ●恐怖の月男 ●180センチ、115キロ  | 
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        昭和45年1月号の月刊ゴングに掲載された「トージョーヤマモトと世界の殺し屋」という連載記事で紹介された怪奇派レスラー。キューストンを主戦場としており、ヤマモトはサイレント・ロドリゲスとの試合を観戦。得意のケンタッキアン・パイル・ドライバーでこれをKOしたというが・・・。 | 
| メディコ・アセシノ
        MEDICO
        ASESINO ●暗殺医師 ●190センチ、125キロ ●1920年 メキシコ・チワワ州出身 ●ナショナル・ヘビー(メキシコ版)、テキサス・ヘビー、テキサス・タッグ  | 
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        本名はセザリオ・アンセルモ・マンリケス・ゴンザレス。1950年代に活躍したメキシコのレスラーで、エル・サント、エル・エンフェルメロとのコンビで活躍。実生活では本物の医者だったといわれている。ルードだったというが、映画にも数多く出演している(60年代に映画に出演しているメディコ・アセシノは別人)。メキシカンの割には大柄でアメリカにも進出し、テキサスではジョニー・バレンタイン、ペッパー・ゴメスともテキサス・ヘビー級選手権をかけて戦った。1960年に癌の為に死亡。メディコ・アセシノ・ジュニアは実子のようである。写真&情報提供:Jose Fernandez様 | 
| ザ・モーラー THE MAULER | |
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        昭和45年3月20日に海外短期遠征に出ていたアントニオ猪木とオリンピック・オーデトリアムで対戦したマスクマン。「激闘!馬場と猪木」ではその正体は、フランシスコ・フローレスだと明記している。(情報提供:クライベイビー様) | 
| ザ・モンスター THE MONSTER | |
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        1968年頃からヨーロッパを荒らしまくった大型マスクマン。2メートルを軽く超える巨体で、当初はジーン・フェレ(アンドレ・ザ・ジャイアント)がその正体といわれたが、全くの別人であることが判明。レスラーになる前は死刑執行人だったといわれている。 | 
| ザ・モンスター THE MONSTER | |
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        1980年代初頭にロスに登場したゲテモノレスラー。ロスに登場する前はメキシコでロス・フランケンシュタインズとしてタッグで売り出していた。不人気のロスではゲテモノ振りで重宝され、なんとアンドレ・ザ・ジャイアントとシングル・マッチを行なうまでの扱いを受けたが、当然ワンサイドでKOされている。 |