未来日外国人マネージャー名鑑

 

グラン・ウィザード GRAN WIZARD
本名はアーニー・ロス。ドン・ファーゴとレイ・スチーブンスのマネージャーとしてデビュー。この時はJ・ウエリントン・ランドクリフと名乗った。その後、アームストロング・ケイを名乗り、ミスター・クリーン、ジョニー・バレント、マグニフィセント・モーリスのマネージャーとなる。その後、アブドーラ・ファーロック名義でザ・シークのマネージャーを、WWWFに定着してからはグラン・ウィザードを名乗り、多くのヒール・レスラーをマネージメントした。そのマイクパフォーマンスは天下一品。英語が分からなくても思わず引き込まれてしまうという名人芸。派手な衣装もまさにプロレスのマネージャーといった感じ。WWEの殿堂入りも果たしている。すでに故人。

 

ゲーリー・ハート GARY HART
テキサスを中心とした南部で手腕を振るったマネージャーで、ご多分に漏れず元々はレスラーであった。ザ・グレート・カブキの海野親としても有名。ほかにもパク・ソン、キラー・カーン、チャン・チュンなど、なぜかアジア系のレスラーを多くマネージメントしていた。

 

サー・オリバーフンパーディンク SIR OLIVER HUMPERDINK 
1949年 米・ミネソタ州ミネアポリス
本名はジョン・サットン。レッド・サットンのリングネームで1965年ごろにレスラーとしてデビュー。フロリダで長く活躍し、フロリダ・ヘビー級選手権も獲得している。1960年代末にマネージャーに転向。フロリダ、中西部、大西洋岸などで活躍。1972年にハリウッド・ブロンドスのマネージャーとなりロスに登場している。ほかにスーパー・デストロイヤー、ポール・ジョーンズ、バグジー・マグローをマネージメント。WWFではバンバン・ビガロ、ポール・オンドーフらを手がけた。

 

サー・バッドリー・クレメンツ SIR BADLY CLEMENTS 
1948年 米・オハイオ州トレド
テネシー、ケンタッキー地区を本拠地としたマネージャーで、グリーン兄弟などをマネージメントした。プレーイングマネージャーとしてリングにも上がったようである。テネシーは6人タッグが盛んなこともあり、プレーイング・マネージャーが多かった。1976年4月21日ブルート・バーナードが運転する車で移動中に事故に遭い28歳で死亡した。本名はスティーブン・ベレスフォード。

 

ジミー・ハート JIMMY HART
1944年メンフィスの出身で、1960年代には「キープ・オン・ダンシング」のヒットで知られるザ・ジェントリーズのメンバーとして活躍。1978年に友人でもあったジェリー・ローラーに誘われてマネージャーとなる。メガホン片手に喋り捲る独特のスタイルで、同地区では名物マジェージャーとなった。1985年にWWFに移籍、ハート・ファウンデーションズ、ハルク・ホーガンなどのマネージャーとして大人気となった。平成に入ってから1993年5月に新日本プロレスの福岡ドーム大会に初来日している。

 

ソウル・ワインゲロフ SAUL WEINGEROFF
テネシー一帯で活躍したマネージャー。モンロー兄弟、メフィストとダンテ、ブラウナー兄弟などを手がけた。レスラーとしてもトージョー・ヤマモトと組んでタッグのレーティングスに登場したこともある。レスラーになる前はライト・ヘビー級もボクサーとしてかなり鳴らしたという。息子のジョージ(全日本プロレスに来日)もプロレスラーになった。ユセフ・トルコに似ているが、あかの他人であることは言うまでもない。

 

ダニー・デービス DANNY DAVIS
1980年頃にテネシーで、ラリー・レイザムとウエイン・ファリス(ともに来日)のニュー・ブロンド・ボンバーズのマネージャーを務めた男。時にはレスラーとしてボンバーズに加わって6人タッグにも出場していたようである。WWFでレフェリーとなったダニー・デービスと同一人物か?

 

ドクター・ケン・ラメイ DOCTOR KEN RAMEY
オクラホマではインターンズのマネージャー、サンフランシスコではポール・デマルコ、パット・パターソン、ビリー・グラハムのマネージャーとして活躍した。

 

パーシバル・P・フレンズ PERCIVAL P. FRIENDS
1960〜70年代にカンサスで活躍したマネージャーで、ワイルド・アンガス、ロジャー・カービー、グレート・トーゴー(永源遙)、トーキョー・ジョー(ミスター・ヒト)らをマネージメントした。1970年代に入るとアマリロでザ・パトリオット(全日本プロレスに来日)のマネージャーとなった。

 

ホーマー・オデール大佐 HOMER O'DELL
ジョージアで活躍していたマネージャーで、ビッグ・バッド・ジョン、ポール・デマルコ、レオン・バクスターをマネージメントし、それぞれをドリー・ファンク・ジュニアに挑戦させ、3人とも一度はベルトを腰に巻かせたという辣腕マネージャーである。リングに上がることも多かったようだ。「大佐」というのははったりだろう。エリヴィス・プレスリーのマネージャーであるトム・パーカー大佐を意識したのかもしれない。

 

トニー・アンジェロ TONY ANGELO
元々はレスラーでスカル・マーフィーやグレート・マレンコとのコンビで活躍していたが、マーフィーとブルート・バーナードのマネージャーをはじめたことがきっかけでマネージャーに専念するようになる。レッド・マクナッティとイワン・コロフに変身させたり、ザ・モンゴルズを誕生させたりと、民族ギミック考案の名人とも言うべきアイディアマン。1970年代初頭までWWWFやカナダ東部を中心に活躍した。

 

ワイルド・レッド・ベリー WILD RED BERRY
現役時代は太平洋岸でジュニア・ヘビー級の強豪として活躍。1950年代にNY地区を中心にマネージャーとなり、1960年代末にかけて初代ザ・カンガルーズ、ゴリラ・モンスーン、プロフェッサー・タナカ、ワルドー・フォン・エリックなどをマネージメントした。専門誌にはよく紹介されたが、当時はマネージャーを招聘するという発想はなかったようである。

 

ルー・アルバーノ LOU ALBANO
もともとはトニー・アンジェロとのザ・シシリアンズで東部一帯で活躍していたレスラー。1960年代末からマネージャーに転向し、ターザン・タイラー&ルーク・グラハム、ムーンドッグス、ワイルド・サモアンズ、エクスキューショナーズ、ブラックジャックス、バリアント兄弟などタッグチームのマネージャーとして活躍。幾度となくWWF世界タッグを手中に収めた。タレントとしても有名。