未来日外国人レスラー名鑑 

 

ロイ・ヘファナン ROY HEFFERNAN 
重圧男 179センチ、109キロ オーストラリア : TWWA世界ヘビー、USタッグ(NY地区)
アル・コステロとの初代ファビュラス・カンガルーズで全米を席巻したタッグの名人。ツープラトンの合体ショルダースルーが必殺技だった。1967年ごろにはコンビを解散し、カナダでシングル・プレーヤーとして活躍していたようだ。ダニー・ホッジからTWWA世界ヘビー級選手権を獲得した事になっているが、真偽のほどは不明である。

 

ロイス・スター ROYCE STAR
天災児 182センチ、106キロ 米・ミシガン州デトロイト : ポリネシアン・ヘビー
オレゴン高校時代はアマレス、フットボールで身体を鍛え、卒業後にドン・オーエンにスカウトされてプロレス入り。1978年にデビューしている。いわゆるPNW地区で下積みをした後、ハワイに転戦。ここでペンとを施してヒールとして売り出し、メキメキと頭角をあらわしポリネシアン・ヘビー級選手権も獲得している。リッチー・マグネットとのコンビで活躍した。本名はマイケル・デヴィッド。

 

ロケット・モンロー ROCET MONROE
スプートニク・モンローとのモンロー・ブラザーズで活躍したタッグの名手。特に南部地区で悪名を馳せた。スプートニクとコンビ別れした後は、フラッシュをスカウトし、3人目のモンロー兄弟に仕立て上げて、新コンビを結成したが、オリジナルほどの名声を得ることはなかった。

 

ロジャー・スミス RODGER SMITH
1970年に突然ロスに出現した大型黒人レスラーで、当時ゴング誌ではザ・コンビクトの正体か?と大きく取り上げられたが、結局はアメリカン・フットボーラーがオフ・シーズンにプロレスをかじった程度のレスラーだったようだ。しかし、メーン・エベントにも登場しており、同じアメフト出身のアーニー・ラッドとのタックル合戦で話題を呼んだという。

 

ロス・エスパント LOS ESPANTS
亡霊仮面 1〜3号 178センチ、102キロ
1960年代にメキシコ活躍したタッグ・トリオで1,2,3号が全員そろいもそろって178センチ、102キロだったという。つまり全く見分けがつかなかったという訳である。しかも三人は実の兄弟。実力の方もなかなかのものだったようで、1962年度の新人王に選ばれている。1号は1966年にナショナル・ライト・ヘビー級選手権を獲得している。エル・エスパント・ジュニアは1号の息子である。

 

ロス・カラバレス LOS KARABALES
ゴング誌の名物特派員J・H・リンレイが紹介したメキシコ郊外の寺院の墓場をねぐらとするというメキシコの怪奇派レスラーで、正式なリングネームはロス・イルマノ・カラバレスで「どくろ修道士」という意味らしい。ふたりは実の兄弟で2号(弟)は耳と言葉が不自由であると1号(兄)がインタビューで答えている。墓場に住む前は神学校でアマレスとボクシングをやっていたらしい。覆面を被るのは60針縫ったという顔の気ぞと隠すためであったという。

 

ロス・クカラチャス1号&2号 LOS CUCARACHOS
ゴキブリ軍団 170センチ、90キロ
1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。クカラチャとはゴキブリの意味で1号と2号のコンビで活躍した(写真は1号)。

 

ロス・クラネオス LOS KRANEOS

数多いメキシコの怪奇派レスラーの中でももっともインパクトの強いコンビで、何と山奥の廃虚や洞窟を住処としていたという。ロス・クラネオスとは「どくろの幽鬼」という意味らしい。このふたりは生まれつき言葉が不自由で、非常に醜い猿のような顔をしており、子供の頃から迫害を受け、両親とも死に別れ、山奥で獣のような生活をしていたところをマネージャーのカルロス・ファンゴに発見されたのだという。

 

ロス・ファンタスモネス1号&2号 LOS FANTASMONES
幽霊仮面 170センチ、103キロ
1971年の「ゴング7月号増刊・メキシコ選手名鑑」で紹介された選手。身長、体重は写真から想像したものの可能性あり。ファンタスモネスとはファンタスマの複数形で「幽霊」の意味。このような怪奇レスラー・タッグはメキシコに多くいた。

 

ロス・ベンガラス1〜3号 LOS BENGALAS
メキシコ州ライト級、メキシコ州ウエルター、メキシコ州タッグ(以上1号)、メキシコ北部タッグ、アパトラコ・タッグ(以上1号&3号)
1号は1950年ミチョアカン州出身で1970年にデビュー。翌年2号がデビューしてタッグ・チームとなる。アレナ・ソチミルコをホームグランドにしたラウル・レイエスのプロモーションに所属して活躍していたが、1977年に2号が交通事故で死亡。ショックを受けた1号はウルトラマンとのコンビで活躍したが、1978年に3号をスカウトして新生ロス・ベンガラスとして再出発した。

 

ロック・ハンター ROCK HUNTER
181センチ、107キロ 1932年 米・カリフォルニア州 : セントラルステート・ヘビー
学生時代にはレスリングとフットボールで活躍したという、典型的な経歴を持つ。パワー型のラフファイターで、太平洋岸ではカール・フォン・ブロックのリングネームで活躍していたようだ。引退後はフロリダを中心とした南部でマネージャーとなり憎悪を買った。

 

ロック・ライデル ROCK RIDDLE
ミスター・ワンダフル 182センチ、107キロ 米・フロリダ州ウエストパームビーチ
「フロリダでは女性に圧倒的な人気を持ち、ピンチになると女性ファンが対戦相手に襲い掛かる」と、別冊ゴング1975年7月号で紹介されていたレスラー。一説にはファンクラブ上がりだといわれ、1975年12月19日にロスのオリンピック・オーデトリアムで木戸と対戦したが、まだ若手の木戸に子ども扱いにされていた。ハリウッドでは映画出演も多く、シルベスタ・スタローンの「パラダイス・アレイ」にも出演している。現在は実業家として成功しているようだ。

 

バート・フラー RBERT FULLER 
198センチ、115キロ 米・フロリダ州ペンサコーラ : ジョージア・タッグ、テネシー・タッグ、フロリダ・タッグ
バディ・フラーの次男でロン・フラーの弟。1971年にデビューし、南部一帯で活躍。特にタッグでその実力を発揮した。フラー一家の血筋なのだろうか、長身ながら線が細かった。このフラー一家は知名度は高かったが、なぜか来日の噂が立たなかった。(ロン・フラーが全盛期を過ぎて全日本プロレスに登場している)晩年はジミー・ゴールデンとのコンビで活躍。引退後はWCWでカーネル・ロバート・パーカーを名乗って悪役マネージャーとなった。

 

ロデオ・ジョーンズ RODEO JONES 
人造人間 210センチ、180キロ 米・ケンタッキー州
別冊ゴングの「まだいる怪奇男シリーズ」に登場したレスラーで、コーネル大学の学生でアルバイトとしてリングに上がっていたようである。ニューヨークのバッファローやオハイオ州でリングに上がっていたようだが、その後の消息は聞かれていない。

 

ロレンゾ・パレンテ LORENZO PARENTE
蛇野郎 181センチ、104キロ 1924年イタリア・トリノ : NWA世界ジュニア・ヘビー、NY地区世界タッグ、南部タッグ
1936年にイタリアからニューヨークに移住。学生時代はボクシングに打ち込み卒業後は沖仲士となり、ここでガイ・ブルネッティにスカウトされてプロレス入り。1947年にプロレスラーとなり、ジョー・サボルディに弟子入り。ジョーの息子のアンジェロとのコンビ「ゴールデン・イタリアーノ」で売り出す。その後シングルプレ一ヤーとして各地を修行のため転戦。1961年にコンビを復活しデューク・ケオムカ&タロー・ミヤケ組みを破りNY地区の世界タッグ王者となる。その後は再びシングルに転向。南部で活躍しポール・デマルコとのコンビでデューク・ケオムカ&ヒロ・マツダ組から南部タッグを獲得。ケオムカとは因縁が深い。昭和45年に来日の噂が流れたが実現せず。オリンピック・ストレッチという足技が得意だったという。猪木とテキサスでタッグを組んだブルー・アベンジャーの正体だという説もあり。テネシーではザ・スポイラーズにも変身している。(「未来日外国人レスラー名鑑」のザ・スポイラーズも見よ)

 

ロン・デュプレ RON DUPREE
ゴールデンボーイ 176センチ、98キロ 
1975年頃にフロリダでクリス・コルトとの2代目ヘルス・エンジェルスで活躍した選手。179センチのクリス・コルトと同じぐらいの体格で、ジュニア・ヘビー級の体格だったようである。本名はラッセル・グローブス。