未来日外国人レスラー名鑑 シ
| J・B・サイコ J B PSYCHO 194センチ、140キロ : NWF北米ヘビー |
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1970年代前半にカナダ、NWF、ピッツバーグあたりに登場した巨漢レスラー。1973年にはNWF北米ヘビー級選手権を獲得している。J・B・サイコに変身する前は、ザ・スカル・ブラザーズとして活躍していた。日本ではPSYCHOをローマ字読みにしたJ・B・フィチョなる表記で紹介されたこともある。本名はジョン・メディンシア。 |
| ジークフリード・スタンク SEIGFREID STANKE ナチの禿鷹 187センチ、125キロ : USタッグ(トライステート版)、ウエスタン・ヘビー |
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1970年代中盤から80年代にかけて登場したナチ・ギミックのレスラーで、日本では1978年にゴングの竹内記者(当時)がどの試合振りを認めてプッシュしたことがあるが、結局は来日せずに終わった。オクラホマ、テキサス、オレゴンなどなど、神出鬼没で行動範囲は広かった。 |
| ジーン・スタンレー GENE STANLEE ミスター・アメリカ : 南部ヘビー |
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1950年代にニューヨークやジョージアといった東海岸一帯で「ミスター・アメリカ」と呼ばれ人気を獲得したレスラー。きらびやかな衣装で登場し、金髪を振り乱して戦うさまはバディ・ロジャースと似たタイプである。実弟のスティーブ・スタンレーが来日しているが、このジーンが活躍したのは力道山時代だったこともあり、ショーマン嫌いの力道山が彼を招聘する気配はなかった。本名はユージン・スタンレー・ジゴウィツ。 |
| ジーン・ビッグ・ダディ・リプスコンプ GENE BIGDADDY RIPSCOMP 黒い台風 190センチ、120キロ 米・ミシガン州デトロイト |
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| 1930年デトロイト出身で、1960年にルー・テーズとのコンビでキラー・コワルスキー、ドン・レオ・ジョナサン組を相手にデビュー。史上最強の黒人といわれ、アメフト時代に身につけた殺人タックルで無敗の快進撃を続け、次期世界王者候補の呼び声も高かった。しかしKKKの迫害を受け。さらに暗黒街に足を踏み入れ、麻薬に溺れ、1963年に狂いまわりながら死んだといわれている。 | |
| ジェフ・ゴルディ JEOFF GORDY 184センチ、102キロ |
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1984年にカルガリーに登場した選手で、モンゴリアン・ストンパーことアーチ・ゴルディの息子。父親とのタッグでカルガリーでは人気を博したようだが、地元以外での活躍は聞かない。 |
| ジェリー・グラハム
JERRY
GRAHAM 催眠博士 181センチ、145キロ 米・アリゾナ州フェニックス :フライング・ボディプレス :USタッグ(NY地区) |
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| 悪名高きグラハム4兄弟の(血縁関係はないが)長男。アリゾナ州立大学の医学部を卒業しているインテリ。1960年代催眠博士のニックネームでハンサムな風貌で爆発的な人気を博したが、アルコール中毒で一時レスラーを引退。1960年代末に末弟のビリー・グラハムとのコンビでに復帰するが、かなりの肥満体となっており別人のようになっていた。1970年代中頃までレスラーは続けていた。 | |
| ジェリー・ジャレット
JERRY
JARRETT 金髪の弾丸児 181センチ、103キロ 米・メンフィス州テネシー : テネシー・タッグ |
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ジェフ・ジャレットの父親で、1960〜1970年代にテネシーで活躍していた。トージョーヤマモトとのコンビでテネシー地区の南部タッグ選手権を保持したこともある。引退後はテネシー地区のプロモーターとなり、ICWAなる団体を設立した野心家でもあった。当時テネシーのマット界とはつながりが弱かったためか来日の噂はなかった。 |
| ジプシー・ロドリゲス GYPSY RODRIGEZ | |
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昭和53年4月にはMSGで、昭和54年4月にペンシルバニアで藤波のWWWFジュニアヘビー級選手権に挑戦したプエルト・リコ出身のレスラー。WWWFでは主に前座試合に出ていたレスラーのようである。実力的には2度も挑戦権が与えられたのが不思議なほどで、来日の噂すら立たなかった。 |
| ジミー・ハインツJIMMY HEINS 173センチ、99キロ : 南部タッグ(テネシー版) |
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1960年代末〜1970年代初頭にアラバマやテネシーでビリーとのザ・ハインツ・ボーイズ活躍したレスラー。決して大柄ではないが、高等なタッグ戦術でリップ・ホーク&スウェード・ハンセン組らと好勝負を展開したという。 |
| ジム・ハーディ JIM HADY ジェントルマン 178センチ、106キロ 1932年7月 米・ペンシルバニア州ピッツバーグ : 北米ヘビー(ハワイ版)、USヘビー(ハワイ版)、ハワイ・ヘビー、ハワイ・タッグ、カナダ・タッグ |
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1951年にデビュー。カナダ東部、五大湖地区を主戦場としていた頃に修行中のジャイアント馬場とライバル関係にあった。1960年代に入るとハワイに転戦。ここに定住するようになり、ハワイにあるタイトルを総なめにした。1969年1月にジョニー・バレントとの試合後、心臓発作で死亡した。 |
| シャザーン
SHAZAM 悪霊法師 181センチ、92キロ メキシコ |
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ハンナ・バーバラのアニメ「大魔王シャザーン」の主人公をモチーフにしたマスクマンで、1980年頃のメキシコでは大人気を博し、NWA、UWAの両団体の興業を掛け持ちで出場する数少ないレスラーであった。しかしタイトルには恵まれなかった。デビュー当時はカザーンと名乗っていたという。タイガーマスクとのアニメ対決が実現していれば人気を呼んだだろう。アニメ版はSHAZAANと表記する。 |
| ジャッキー・パロ
JACKIE
PALLO ミスターテレビジョン 175センチ、75キロ イギリス : ヨーロッパTV選手権 |
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イギリスでは「ミスター・テレビジョン」のニックネームで絶大な人気を誇り、ビッグ・ダディと共に国民的英雄だったレスラー。長くヨーロッパTV選手権を保持し、日本ではついに幻の技となってしまったパロ・スペシャルの考案者としても有名。晩年は息子のジュニアとのタッグで人気を誇った。175センチ、75キロと小柄だったため、来日せぬまま引退してしまった。 |
| ジャッキー・ウェルチ JACKIE WELCH | |
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テネシーを中心としたミッドサウス地区で1980年ごろ活躍していた中堅選手。当時のマット事情から考えれば国際プロレスとルートがあったが、来日の話は出なかった。 |
ジャック・ダルトン(初代) → ドン・ファーゴの項を見よ。
| ジャック・デリンジャー JACK DELLINGER 182センチ、115キロ 米・フロリダ州ペンサコーラ |
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インディアナ版WWAで活躍したザ・チェーン・ギャングのリーダー。フランクが抜けたあとはクリス・コルトをジム・デリンジャーに改名させてヘルス・エンジェルスを継続した。正体は変身魔の異名もあるドン・ファーゴである。ファーゴはこのほかにも、ドン・スティーブンス、ジャック・ダルトン(来日したものとは別)などに名前を変えている。 ドン・ファーゴの項も見よ。 |
| ジャック・ドノバン
JACK
DONOVAN 殺人男爵 181センチ、118キロ アメリカ : 北米タッグ(カンサス版) |
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女子レスラーのバーン・ドノバンを妻に持ったことからレスラーになったという変わった経歴の持ち主。テネシーでくすぶっているところをフレッド・ブラッシーに見込まれジョージアに転戦、カウボーイ・ロン・リード(バディ・コルト)とのコンビで売り出し、南部一帯で認定されていたNWA世界タッグを獲得してスターとなる。また妻のバーンとのコンビで出場したミックスド・マッチでは高勝率を誇った。ザ・コンビクトのスタン・フレーザーを発見し、フレッド・ブラッシーに紹介したのはこの男である。2004年11月に死亡している。 |
| ジャック・ベニーノ
JACK
BENINO ドミニカの帝王 172センチ、90キロ ドミニカ : カリビアン・ヘビー |
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1987年にドミニカ共和国に遠征したリック・フレアーに挑戦した地元の英雄。体格を見ると非常に小さくとても世界的にヘビー級として通用するとは思えない。得意技はパイル・ドライバー。 |
| ジャック・ルージョー(ジュニア) JACK ROUGEAU Jr. 191センチ、113キロ 1960年 カナダ・ケベック州モントリオール : インターナショナルタッグ(モントリオール版)、インターコンチネンタル・ヘビー、WWF世界タッグ |
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新日本プロレスに来日したモントリオールの重鎮、ジャック・ルージョーの次男。1977年に地元モントリオールでデビュー。兄のレイモンドとのコンビで同地区のインターナショナル・タッグを獲得。1986年にファビュラス・ルージョー・ブラザーズとしてWWF入り。その後、ザ・マウンティに変身してインターコンチネンタル王座を獲得している。またピエール・ウーレットとのコンビでケベッカーズを結成し、WWF世界タッグ選手権も獲得している。平成に入ってSWSに来日しているが、すでに引退。(情報提供:亜細亜超特急氏) |
| ジャン・マドリッド JAN MADRID 186センチ、115キロ スペイン(?) : ガルフコースト・ヘビー、 |
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1960〜70年代にアメリカで活躍したスペインの選手。1960年代にはアラバマ、フロリダを中心としたガルフ・コースト地区で活躍。1962年にはトーナメントを勝ち抜いて空位だったガルフコースト王者に君臨している。1970年代に入ると太平洋岸に登場し、1973年にはロサンゼルス恒例の新春バトルロイヤルに出場している。名前はよく専門誌で紹介されていたが、経歴などの詳しいデータは不明。 |
| シュガーベアー・ハリス SUGERBEAR HARRIS 黒い虎 188センチ、120キロ |
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1979年にオクラホマでオキ・シキナ(サパタ・マルチネス=来日)とのコンビでUSタッグを保持していたレスラー。かなり大型でタフそうなレスラーであったが、来日の噂は出なかった。 |
| ジュベール・ペールワン JUBER PEHARWAN | |
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昭和54年6月にパキスタンで猪木に挑戦してきたレスラーで、アクラム・ペールワンの甥に当たる。試合はプロレス的な動きはほとんどなく、5R引き分けに終わった。猪木戦の後、程なくして若くしてなくなったといわれている。 |
| ジョー・ポラルディ JOE POLARDY ベトナム戦士 181センチ、96キロ アメリカ : NWA世界ミドル |
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フロリダでヒロ・マツダのコーチを受けてレスラーとなったが、体が小さい為にこれを言った活躍は出来なかったが、マツダのアドバイスで1977年9月にメキシコに遠征して開花。同年10月12日にリンゴ・メンドーサを破ってNWA世界ミドル級王座を獲得している。この王座は3度の防衛に成功するが、エル・ファラオンに敗れて王座から転落している。メキシコを終われてアメリカに戻ってからはまたもや前座生活に明け暮れた。 |
| ジョージ・スコット GEORGE SCOTT 空飛ぶ飛行士 185センチ、103キロ 1929年スコットランド・ダルメニー :ドロップキック :インターナショナル・タッグ |
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弟のサンディ(全日本プロレスに来日)1960年代全米タッグ・ランキングの上位に常に名を連ねていたタッグの名手。テキサスではグレート・スコットとも名乗った。アメリカ遠征中の馬場と何度か手を合わせており、馬場からの評価も高かった。引退後はミッドアトランティック、WWFでブッカーとして手腕を振るった。 |
| ジョージ・リンゴー GEORGE RINGO 183センチ、105キロ |
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1965年ごろにシカゴに出現したレスラーで、ビートルズ張りのマッシュルーム・カットでギターを片手にリングに登場したという。リングネームは説明の必要はないがジョージ・ハリスンとリンゴ・スターからとったもの。ジョン・レノンとポール・マッカートニーから名前を拝借しなかったあたりが奥ゆかしい。なぜかディック・ザ・ブルーザーに気に入られ、パートナーに起用されることが多かったという。アメリカだけではなくヨーロッパにも遠征している。 |
| ジョセフ・コバックス JOSEF KOVACS 英国の猛虎 180センチ、122キロ 1931年ハンガリー : ヨーロッパ・ヘビー |
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イギリスではビル・ロビンソンのライバルとしてヨーロッパ選手権を争った。ヨーロッパだけでなくアフリカのザンビアにも足を伸ばしていたようだ。ダニー・リンチのようなアンコ型だったという。得意技はパイル・ドライバー。 |
| ジョニー・クウォンゴ
JOHNNY
KWANGO ゴム男 175センチ、99キロ ジャマイカ |
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ジャマイカ出身の黒人レスラーで、ラバーマンと呼ばれたが、ジョニー・ウォーカーのように関節が柔らかいのに加え、非常に弾力があり、打撃技などはすべて跳ね返したという。ヨーロッパのミッド・ヘビー級クラスでは長くトップクラスで活躍した。必殺技はレッグ・スプレット。 |
| ジョニー・ディファジオJOHNNY DEFAZIO 人間機関車 180センチ、110キロ 米・ペンシルバニア州 :ドロップキック :WWWF世界ジュニアヘビー |
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イタリア系のレスラーで、ボディビルから1961年にプロレスに転向。初代WWWFジュニア・ヘビー級王者として日本でも知名度は高いが、顔写真などが公開されることはあまりなかった。ニューヨーク地区だけではなく、テキサスでも活躍していた時期があるようだ。藤波がタイトルを獲得してからもローカルで現役を続けていたが、とうとう来日することはなかった。 |
| ジョニー・ヘファナンJOHNNY HEFFERNAN 180センチ、110キロ 1952年カナダ・モントリオール : パシフィック・ノースーウエスト・タッグ、北米タッグ(フロリダ版&プエルトリコ版) |
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1984年ごろにフロリダでグローバル・タッグを保持していた選手で、ドン・ケントとのニュー・ファビュラス・カンガルーズで暴れていたようである。ボブ・ダラセーラに似ているが?・・・その後の調査で、推測どおりボブ・ダラセーラの変身であることが判明した。ボブ・ヘファナンと名乗ることもあったようである。 |
| ジョニー・ルージョー JOHNNY ROUGEAU 185センチ、102キロ カナダ・モントリオール : AWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、カナダ・ジュニアヘビー |
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本名はジャン・ルージョーで、来日経験のあるジャック・ルージョーの兄。叔父のエディ・オーガーのコーチを受けて1951年にデビュー。おもに地元のモントリオールで活躍。レネ・レベスク首相のボディガードを務めたこともあるという。1967年にはオールスター・レスリングを設立した。現役中からナイトクラブを経営するなどかなりのやり手だったようである。1984年に死亡。 |
| ジョン・ビューリック
JOHN
BURICH 186センチ、110キロ イギリス : カリフォルニアTV |
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| イギリス出身という触れ込みで1974年頃にロサンゼルスに登場。イギリス流の正統派レスリングでカリフォルニアTV選手権と獲得するなどの活躍をした。ゴングではジョン・ビルッチ(BIRCH)と表記されていたが、これはどうやら間違いのようだ。新日本プロレスに登場する可能性はあったが未来日。ドクター・デスことドン・アーノルドの変身ではないか? | |
| ジョン・ポール・ヘニング
JOHN
PAUL HENNING 191センチ、113キロ 1929年カリブ海セイマン島(フロリダ州出身説もあり):パイルドライバー :ハワイ・ヘビー |
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海軍時代に重量挙げ、レスリング、ボクシングで身体を鍛え、親友だったウィルバー・スナイダーに誘われてプロレス入り。1954年にはハワイ・ヘビー級選手権を獲得している。スキンダイビングの名手としても知られた。活躍していたエリアを考えても日本プロレスの創世期に来日してもおかしくなかった選手である。 |
| ジョン・ロドック JOHN RODOC | |
| 1979年頃ロスに登場したロディー・パイパーとおなじキルトスカートを身に付けたスコットランド出身のレスラー。タイトルマッチにはあまり絡んでいなかったようで、はっきり言えば来日のチャンスのない4流レスラーだったようだ。 | |