未来日外国人レスラー名鑑 ト
| ドクター・デス DR. DEATH 死の医師 178センチ、100キロ イギリス |
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| 国際プロに来日したムース・モロウスキーのドクター・デスはコピーで、オリジナルのドクター・デスはイギリスを主戦場に活躍したこの男。非常に凶悪なレスラーで、靴底に鉛を仕込んだり、ドクターらしく手術用のメスを隠し持って、対戦相手の額を切り刻んだという。ぜひ国際プロレスに呼んで欲しかった英国系レスラーの一人。写真から巨漢レスラーを想像していたが、ファンと写真を見るとかなり小柄であることが分かる。 | |
| ドクター・デス DR. DEATH 殺人医師 186センチ、110キロ |
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| 1974〜75年にロスに登場した覆面レスラー。ドクター・デスとかいた薬箱に凶器を忍ばせるという古典的な悪役だった。正体はドン・アーノルド。このアーノルドはジョン・ビューリックと同一人物ではという疑いがあり。 | ||
| トニー・アンソニー TONY ANTHONY 不良小僧 180センチ、104キロ 米・テネシー州 |
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マスクを被ってザ・グラップラー2号を名乗り、リン・デントンとのザ・グラップラーズでテネシーで活躍したあと、素顔に戻って同じくデントンとのダーティ・ホワイト・ボーイズを名乗る。エディ・ギルバートをマネージャーにつけ、テネシーだけではなくハワイまで遠征し、ロッキー・ジョンソン、リッキー・ジョンソン組との抗争で人気を集めた。 |
| トニー・ガレント TONY GALENTO 猛獣殺し 185センチ、112キロ 1910年 米・ニュージャージー州 |
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ボクシングから転向した男で、ボクサー時代の1939年には世界王者のジョー・ルイスに挑戦した実績も持つ。レスラーに転向してからは人間ではなく、熊やゴリラ、ライオンといった猛獣と対決。遂には80キロもあるタコと水槽で戦ったこともある。映画にも出演してたようだ。1979年に心臓発作のため逝去。 |
| トニー・ゴンザレス TONY GONZALEZ 182センチ、108キロ メキシコ : WWA世界タッグ、アメリカス・タッグ |
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ロスに登場したメディコ3号の正体であるメキシコ系のレスラーで、メディコ3号として昭和44年に来日している。ルイス・ヘルナンデスと分かれた後もパートナーを変えてメディコを名乗っていたようだが、テキサスあたりでは素顔でリングに上がっていたが、前座レスラー扱いだったようである。 |
| トニー・サラサー TONY SALAZAR メキシコの猛虎 175センチ、93キロ 1952年メキシコシティ : NWA世界ミドル、同世界ライト・ヘビー |
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1973年にプロレス入り、1978年にリンゴ・メンドーサからNWA世界ミドル級選手権を獲得。当時メキシコに遠征していたサトル・サヤマとはライバル関係にあった。サングレ・チカナとの悪党コンビで活躍したが仲間割れしリンピオに転向。リンゴ、カチャーロのメンドーサ兄弟とコンビを結成したが1993年に引退。56年に国際プロレスのチャレンジ・シリーズへの参加が決定していたが直前に負傷したためキャンセルしている。本名はアントニオ・サラサール・ゴメス。 |
| トニー・ボーン TONY BORNE ゴリラ男 178センチ、110キロ 米・テキサス州 :ニードロップ :世界タッグ(シスコ版) |
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| ゴリラ男といわれたブル・ファイターでマット・ボーンの父。サンフランシスコでロニー・メインとのコンビで長く活躍した。体が非常に頑丈で大流血試合でも試合後にはほとんどダメージが残らなかったという。何度も来日の噂がありハワイを主戦場にしていた時期もあったが、なぜかやってこなかった。 | |
| トニー・リッカード TONY RICKARD 南海の若武者 183センチ、90キロ ニュージーランド・ウェリントン : オーストラリア・アジアン・タッグ(シンガポール版) |
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南海の獣人と呼ばれたスティーブ・リッカードの次男。兄のリッキーとともに父親のあとを追ってプロレス入り。デビュー後は兄とのタッグで活躍。オーストラリア、ニュージーランドを転戦した後、シンガポールでジェリー・モローと組んでハート兄弟(ブルース&キース)からオーストラリア・アジアン・タッグを獲得した。アメリカ本土上陸も目論んでいたが、体格のなさに泣いた。本名はアンソニー・バート。 |
| トニー・ルッソー TONY RUSSO 181センチ、110キロ イタリア・シシリー島 |
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ロスやWWFエリア、ミッドアトランティックなどで活躍した前座レスラー。1978年2月のMSG定期戦で藤波辰巳が保持していたWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦しているが、6分足らずで完敗している。WWFジュニア・ヘビー級史上でも最弱の挑戦者といってもいいだろう。どう見てもジュニアヘビーとはいえない体であった。昭和54年の全日本プロレス「ブラック・パワー・シリーズ」に参加が決定していたが、来日は中止になっている。 |
| トミー・シーグラー TOMY SEAGLER | |
| 大西洋岸地区で活躍した中堅レスラー。ボディビル出身であるが、それほどのマッチョマンではなく、バランスの取れた体格であった。日本では「若き狼」なるニックネームで紹介されていた。ほとんど来日の候補には上がらなかったようだ。 | |
| ドン・アーノルド DON ARNOLD 殺人医師 186センチ、110キロ |
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1970年代にカリフォルニアでマスクを被ってドクター・デスを名乗っていたレスラー。アーノルド名義ではローカル・レスラーの域を出なかった。しかし、デストロイヤーのホームページでは、「デストロイヤーにレスリングを教えた男たち」の一人として紹介されている。1974年にロスに登場したジョン・ビューリックはアーノルドの変名ではないか? | |
| ドン・イーグル DON EAGLE 荒鷲酋長 180センチ、100キロ カナダ・オンタリオ州 |
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ケベックのインディアン保護区の出身で、父親もドン・イーグルの名前でレスラーとして活躍した。学生時代はボクサーを目指していたが、父の意思をついでプロレス入り。独特のインディアン・デスロックを武器に正統派人気を獲得する。1966年に人権運動に行き詰まりを感じ自殺したというのが定説だが、白人の妻に射殺されたという説もある。 |
| ドン・カーチス DON CURTIS 落雷男 186センチ、120キロ 米・ニューヨーク州バッファロー :スリーパーホールド :USタッグ(NY地区) |
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バッファロー大学でレスリングをやり、大学を訪れたルー・テーズとエキジビション・マッチを行い、その実力を認められてエド・ストラングラー・ルイスにスカウトされてプロレス入り。マーク・ルーインとのコンビで東部地区一帯で暴れ、エディとジェリーのグラハム兄弟との抗争で人気を獲得した。ドン・ルーインと混同されがちだが、まったくの別人であることは言うまでもない。本名はドン・バイテルマンだが、リングネームの・ドンカーチスに改名した。 |
| ドン・グリーン DON GREENE 悪魔帝王 184センチ、118キロ 米・テネシー州 : テネシー・タッグ |
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| 実兄アルとのグリーン兄弟でテネシー地区を中心に活躍した悪党レスラー。兄のアルは第7回ワールド・リーグ戦に参加しているが、兄の成績が悪かったためか、弟のドンには来日のチャンスは巡ってこなかった。NWAタッグ・リーグ戦あたりに呼べば面白かったのでは? | |
| ドン・コルレオーネ DON CORLEONE マフィア仮面 178センチ、108キロ 1944年イタリア・アグラッツィ |
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1982年にメキシコに出現したマスクマンで、正体はトニー・ロコ。カネックのUWA世界ヘビー級選手権にも挑戦したが、原爆固めで敗退した。 |
| ドン・ダイヤモンド DON DIAMOND | |
| フロリダとニューヨークMSGで2度に渡り藤波のWWFジュニア・ヘビー級選手権に挑戦したジュニアヘビー級の強豪。藤波相手になかなかの名勝負を繰り広げたが、なぜか日本上陸は実現しなかった。当時来日したクリス・アダムスあたりに良く似たタイプのレスラーだった。 | |
| ドン・ファーゴ
DON
FARGO 182センチ、115キロ 米・フロリダ州ペンサコーラ : NWF世界タッグ |
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| ジャッキー・ファーゴとのファビュラス・ファーゴ・ブラザーズで売り出すが喧嘩別れ。その後もダルトン兄弟(ジャック・ダルトン)、チェーン・ギャング(ジャック・デリンジャー)に変身、ファーゴ名義ではレーン・ゴルトとのレジオナリーズ、グレッグ・バレンタインとのニュー・ファーゴ・ブラザーズなどタッグで活躍するが、あまりにも変人であったため、何れもパートナーに逃げられている。麻薬不法所持で逮捕されるなど素行が悪く来日ははたせす。本名はドン・カルト。 | |
| ドン・マクラリティ DON McCLARITY 無頼漢 193センチ、114キロ カナダ :コブラツイスト :USタッグ(NY地区) |
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アイスホッケー、フットボールとへてプロレス入り。1964年に来日したロイ・マクラリティの息子とも弟とも言われている。元々はテクニシャンだが悪党ファイトも無難にこなしたという。主戦場はおもに南部一帯だったようだ。ニューヨークではアルゼンチン・アポロとのコンビでUSタッグ王座を保持していたこともある。 |