アクセル・デイターのローリング・パワーボム

2002.9.6 update

 

ドイツの強豪アクセル・デイターが45年唯一の来日時に見せた。
「回転式」パワーボム。

 

 いまや誰でも使うわざとなってしまったパワーボム。使い手が増えると返し技も考案され、パワーボムをウラカンラナで切り返すなんていうシーンもよく目にする。しかしこの技はその見た目も威力も「一撃必殺の」極め技であった。この技をパワーボムと最初に呼んだのは誰だか知らないが(テリー・ゴディか?)、パワーボムと呼ばれるまでは、単にパイルドライパーと呼ばれていた。この技は’50年代からルー・テーズが頻繁に使っていた。テーズはアントニオ・ロッカや力道山をこの技でマットに眠らせている。しかもテーズが使ったのはカナディアン・バックブリーカーばりにハイアングルで抱えておいての叩きつけ式であった。世界王座のテーズだからこそ使えた技だったといえよう。

 さて、いまのようにマットに相手を叩きつけるまでグリップを外さないスタイルのパワーボムが日本に登場したのはいつだったのか?わが研究所が所有しているまだまだ少ない資料の中で、パワーボムが掲載されている一番古いものは46年1月号の別冊ゴング。しかもそれを使っているのがドイツの鬼将軍アクセル・デイターであった。しかも雑誌のキャプションには「スタンプ・ホールド気味に逆さに担ぎ上げてクルクルと回転させながらいっきに叩き落す」とある。なんとディターのパワーボムはローリング式だったのである!当時としては衝撃的な必殺技ではなかっただろうか?被害者は若き日のアニマル浜口である。一体この技の起源はどこにあったのだろうか?今後の研究課題である。

 

   
デストロイヤーも使っていた。   猪木も異種格闘技戦で使用。   ゴディが使うようになり一気に普及。

 

 このあとも「エグさ」はぐーんと落ちるが、デストロイヤーもパワーボムを使っている。相手はカール・フォン・スタイガー。どのぐらいの角度まで持ち上げてどのようなスピードで落としていたのだろうか?写真からは判断しかねる。この他に有名なのが猪木はザ・モンスターマン・エベレット・エディとの異種格闘技戦で見せたパワーボムである。相手がレスラーではなかったので巧く受けきれず見た目ははっきり言ってショボかったが、モンスターマンは全く受身が取れず左肩を負傷してしまった。こういうシーンを見ると、レスラーの受身と言うのは単に技の見栄えを良くするだけではなく、文字通り怪我を防ぐための「受身」であるということが良くわかる。

 そしてこの技を定着させたテリー・ゴディだが、彼は中腰で叩きつけるのではなく膝をつき座り込むようにして相手を叩きつけていたようだ。多分こちらのほうが、パワーが最後まで相手に伝わり危険なような気がする。いまのパワーボムはそのままエビ固めに持ち込むというスタイルだが、ゴディはここからフォールに持っていっていた。中腰パワーボムを発明したのは天龍だったような気がするが・・・皆さんのご記憶ではどうでしょうか?ご意見お待ちしております。

【2019年3月30日追記】

 昭和プロレス掲示板に下記のような情報をいただきました。

クラッチ式パワーボムの日本初公開 投稿者:U・M 投稿日:2019年 3月29日(金)21時44分37秒

こんばんは、本日はミック博士に、大変貴重な情報をお届けしたいと思います。

昭和必殺技名鑑の、アクセル・テイダーのローリングパワーボムの項にて、「マットに叩き付けるまでグリップを離さないスタイルのパワーボムを日本で初公開したのはアクセル・テイダー」と有り、更に「マットに膝をつき、座り込む様に叩き付けるスタイルのパワーボムを日本で初公開したのはテリー・ゴディ」と有りましたが先程購入した「ゴング1968年11月増刊・プロレス写真画報」に掲載されてた、国際プロレス選手名鑑の小林省三(ストロング小林)の項にポージング写真と一緒にファイト写真も掲載されてたのですが、そのファイト写真で小林が決めてたのが何とパワーボムだったんですよ!しかも所謂、「相手をマットに叩き付けるまで手を離さない」スタイルであり、更に良く写真を見ると、両膝(或いは片膝?)をついている、「座り込み式」スタイルでもあるんです!

アクセル・テイダーのローリングパワーボムが掲載されてるのが別冊ゴング昭和46年(1971年)の号との事なので、小林はそれより実に3年も早く、しかもまだ若手の域を出ていない本名だった時代に使ってた事になります。

しかしその後、小林がパワーボムを使った形跡は無し。これはどう言う事なのか?
これはあくまで推測ですが、テーズ式パワーボムを見た小林が独自の改良を加え、座り込み&クラッチ式パワーボムを開発し1度は使ってみたものの、当時まだ若手だった小林が「若手の自分が使うには余りに危険過ぎる」と考え、自ら封印してしまったのではないかと思うのです。テーズさんが、バックドロップ以上の破壊力を持っていながら「危険過ぎる」と言う考えからテーズ式パワーボムを封印したのと同じ理由ですね。

その後、ストロングと言うリングネームも貰い、1流になった小林は自分のイメージに合ったベアハッグやカナディアンバックブリーカー、ボストンクラブと言った技をマスターし、危険なパワーボムを解禁する必要は無くなったのではないかないかと思うのです。

しかし・・・とも思うのです。もし小林があのままクラッチ&座り込み式パワーボムを自分の必殺技として使い続けてたら、或いは昭和49年3月の「あの」猪木との一戦でクラッチ&座り込み式パワーボムを解禁してたら・・・或いは猪木を破ると言う大サプライズを起こしてたかも知れませんね。



 早速「ゴング1968年11月増刊」をチェックしたところ確かに小林のパワーボムらしき技が紹介されていました。小林のグリップの位置を見るとカナディアンバックブリーカーの態勢に持ち上げて落とした可能性も考えられます。UMさん情報ありがとうございました!