ブルーノ・サンマルチノのカナディアン・バックブリーカー

2002.3.24 update

 

 
     

43年大阪球場で馬場をKOしたブルーノ

  腰の安定感が重要

 

 ニューヨークの帝王といえば私の世代ではボブ・バックランドが思い浮かぶが、長いスパンで見ればニューヨークの帝王は(アントニオ・ロッカという方もいるだろうが)ブルーノ・サンマルチノを置いてほかにいない。殴る、ける、締め上げるという単調なファイト・スタイルにもかかわらず、木偶の坊と呼ばれることのない偉大なレスラーであった。公式プロフィールでは185センチとなっているが、実際は180センチそこそこしか上背のないブルーノが209センチの馬場を豪快に担ぎ上げてKOしたのが、このカナディアン・バックブリーカーである。

 この技の起源は諸説あり、そのオリジナルはユーボン・ロバートであるという説と、ユーコン・エリックであるという説がある。しかしながら必殺技としてこの技を世界に知らしめたのはブルーノ・サンマルチノであるといってよかろう。わずか48秒でバディ・ロジャースをKOしWWWF世界ヘビー級選手権を奪った試合のフィニッシュがこのカナディアン・バックブリーカーであった。この技はブルーノの代名詞的な技といえよう。

 

 

     
             

ハットンのカナダ式。力道山の表情
に注目

 

和製サンマルチノと呼ばれた小林

 

シクルナのマルタ式背骨折り

 

恐らく猪木が最後に見せたスピ
ニング・バックブリーカー(53年)

 

 力道山世代のファンにとってカナディアン・バックブリーカーといえば元世界王者のディック・ハットンが力道山を担ぎ上げたシーンが忘れられないという。グラウンドでは世界一と言わしめたハットンに畏怖の念を抱いていた力道山は担ぎ上げられた瞬間にギブアップを叫んだといわれている。ほかにイワン・コロフ、スーパースター・ビリー・グラハムなどNY地区で活躍したパワーファイターは好んでこの技を使った。日本人ではストロング小林がこの技を得意とし、猪木との「巌流島の戦い」でも爆発させているが、ポジションが悪く猪木にコーナーをけられてリバース・スープレックスに切り返されたが、この攻防はこの試合のハイライトのひとつでもあった。

 この技に苦しめられた猪木も日本プロレス時代にはカナディアン・バックブリーカーに決めたまま回転するスピニング・バックブリーカーを得意としていた。日本プロレス時代には多用していたが、新日本設立後は封印してしまった幻の業。ここでは53年にカネックにお見舞いした貴重な画像を掲載した。

 もうひとつこの技のアレンジ技として有名なのがバロン・シクルナのマルタ式背骨折である。カナダ式と違うところは自分の頭を相手の背中にあてがっているところ。ハングマンズ・ホールドとカナダ式背骨折りの合体わざと言ってもよかろう。シクルナは'66年1月にMSGにおいてこの技でサンマルチノを失神させているが、腕がのどにかかっていたという理由で、反則負けを取られている。

 アルゼンチン式は今でも中西がフィニッシュに使っているが、このカナダ式はフィニッシュとして使われることはほとんどない。やはりリバース・スープレックスで切り返すという方法が一般的になってしまい神通力を失ってしまったせいであろうか?