テリー・ファンクのローリング・クレイドル

2003.12.5

スピーディーなテリーの回転股裂き固め!

 

今回は自他共に認めるファンクス・ファンであるセブンさんによるファンクスの2大必殺技二本立て!弟のテリーの必殺技は高度なテクニックが要求されるローリング・クレイドル!それではセブンさんどうぞ!

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 この技はもともと、「オクラホマ・ヘイライド」と呼ばれ、スタンドの状態から相手の左足に自分の左足をフックし、両手で相手の右足をホールドして後ろに倒れこみ、相手の肩をマットに付けてフォールを奪ったり、股裂きの状態でキブアップを奪う古典的な技だった。テリー・ファンクはデビュー以来、若手の頃はスピニング・トー・ホールド、テキサス・スープレックス、シュミット式バックブリーカーを得意技にしていたが、兄ドリー・ファンク・ジュニアがNWA世界王座に長期君臨している時に、ローリング・クレイドル・ホールドを完成させた。テリーはオクラホマ・ヘイライドの体勢からローリングを何度も繰り返し行う事に成功し、相手の三半規管を狂わせ、股裂きをガッチリと決める技、すなわち、オクラホマ・ヘイライドから何度もローリングしてピンフォールを奪う技がローリング・クレイドルなのである。

オクラホマ・ヘイライドとローリング・クレイドルを同じ技だと思っている人が多いようたが、何度も回転を繰り返すローリング・クレイドルの方が難易度が高く、これはテリーのオリジナルの技なのである。日本でテリーがこの技を初公開したのは、鶴田友美が凱旋帰国した蔵前でのインタータッグ戦で、翌年74年蔵前でテリーが馬場のPWF王座に挑戦した時は、馬場の巨体をローリング・クレイドルで転がし、見事にピン・フォールを奪っている。この頃から、この技がテリーの必殺技として認知されるようになった。そして、テリーのレスラーとしての実力のピークは75〜77年のNWA世界王者時代であったのだが、テリーはローリング・クレイドルで何度も防衛戦を果たした。あのビル・ロビンソンやジャック・ブリスコ、ハーリー・レイスでさえ、ローリング・クレイドル・ホールドでピンフォールを取られ、日本ではジャンボ鶴田を相手に世界戦を行い、見事にローリング・クレイドル・ホールドで鶴田から1本取っている。

特に、相手がコブラツイストを狙ってきた瞬間、切り替えしてバックを取り、ローリング・クレイドル・ホールドへ持っていくのは名人芸だった。テリーはアマリロで修行していた天龍源一郎にこの技をコーチし、天龍は日本デビュー戦をローリング・クレイドル・ホールドで勝利を得ている。(ただ、テリーと天龍のこの技のフォームは全然違うものであった)テリー・ファンクのファンとしては、スタン・ハンセンのラリアットを空振り
させ、バックにまわってローリング・クレイドルを決めるシーンを観たかったものだ。

 

リングせましと回転した後、この体制でフォールを奪う

 

2001年10月、ザ・ファンクスが初めて新日本プロレスに登場し、ボブ・バックランド&藤波組と戦うカードが組まれた。この時、私はテリーに「明日はボブか藤波を相手にローリング・クレイドルをやってよ」とリクエストしたのだが、テリー曰く「あの技は回転のスピードが一番大切なんだ。オレももう歳だし、昔のようなスピードで回転出来るかな?」とニガ笑いしていた。よく、この技をコピーしたレスラーが、ずっと長い間リングで回転を行って見せ場を作っているが、この技は回転を長くする事よりも、回転のスピードの方が大切なのである。テリーの話では、早いスピードで回転し、リングを3周ぐらいするのが一番効果的なのだそうだ。

事実、上述したジャンボ鶴田とのNWA世界戦でのローリング・クレイドルの回転の速さは凄かった。私はテリーに「あの時のローリング・クレイドルは、まるでトルネード(竜巻)のような凄さだったね」と言うと、テリーは笑いながらウインクしてくれた。私のサイトの宣伝にもなってしまうが、私のサイトの「テリー必殺技動画集」のコンテンツで、鶴田戦でのテリーのローリング・クレイドルの動画をUPしてありますので、そのスピードの速さをご覧頂きたい。

テリーがNWA世界王者時代、このローリング・クレイドル・ホールドを喰らってカウント2で返せたレスラーは皆無だった。そういった意味でも、この技も昭和を代表する必殺技として、このコーナーで取り上げて頂き記事を書かせて頂いたミック博士に感謝したい。

解説 セブンさま