アルフォンソ・ダンテスのメキシカン・バックブリーカー

2002.9.18 up date

 

 

この技を使いこなすにはかなりバランス感覚と足腰の強さが必要だ。

 

 昭和時代のマスコミは非常にいいかげんというか、おおらかというか。はじめてみた技の名称は一応レスラーに聞いていたこともあったようだが、そのほとんどは適当に名前を付けていたようだ。このメキシカンバック・ブリーカーもきっと、スペイン語の名称があるに違いない。しかし、「メキシコ人が使っているからメキシカン・バックブリーカーでいいや」という軽い感じで命名されたのだと思う。

 このメキシカンバックブリーカーは原理はアルゼンチン・バックブリーカーと同じ、相手の腰を支点にして首と脚を締め付けてエビゾリにし、背骨をいためる蹴るというものだ。その支点を支えるのがメキシコ式の場合は自分の腰なのである。見た目がアルゼンチン式のほうが豪快だが、実はメキシコ式のほうが難易度が高いのではないだろうか?相手を支える力はもちろん絶妙のバランス感覚が要求される。メキシカンの使う技はロメロ・スペシャルといい、ゴリー・スペシャルといい、バランス感覚が必要な業が非常に多い。写真のアルフォンソ・ダンテスはNWA世界ライトヘビー級王者に君臨した実力者で、おそらくこの技を日本で公開した最後のレスラーだったと思う。全日本プロレスに来日した時には全盛期をすぎていたが、ミル・マスカラスとのシングル・マッチでは粘っこい、「飛ばない」ルチャ・リブレの奥深さを見せてくれた名レスラーであった。

 

 

この技を初公開したルイス・フェルナンデス。

 

ディターも似たような技を使っていた。

 

 この技を日本で初公開したのは昭和42年に来日したルイス・ヘルナンデスであったといわれている。ヘルナンデスはジノ・ヘルナンデスの実父で、ロス・メディコスとしてロスで活躍したことでも知られるテクニシャンであった。42年の初来日は彼の全盛期といっても良く、日本人には目新しい技を多く公開し、ファンはもちろんプロレス記者を驚かせた。ヘルナンデスは昭和47年日本で巡業中に帰らぬ人となる。

 これに似た技を使ったのが、ドイツのアクセル・デイターであった。やはり欧州マットとメキシコマットは50年代から交流があったため、使う技も良く似ている。こういう見た目に奇異な関節技、複合技はメキシコ、ヨーロッパにダントツに多い。