マリオ・ミラノのジャンピング・パイルドライバー

2002.10.1 update

 

 
     
ロッキー羽田の芽を摘んだまさに殺し技!   バラクーダに変身してもこの技を使った。

 

 

 昭和プロレスの名物(?)といえば、若手の長期海外遠征、そして凱旋帰国である。凱旋帰国第1戦というのはレスラーにとっては非常に重要なものである。筆者に印象に残る凱旋帰国を果たしたのは藤波辰巳と前田明だった。両者ともに豪快な必殺技で相手をKOした。しかし一方で、上田馬之助の凱旋帰国戦はジョー・ルダックと全くかみ合わないまま両者リングアウトになり、ファンを失望させたという。しかし中には惨敗してしまうレスラーもいた。52年のNWAチャンピオン・シリーズに凱旋帰国した羽田光男がそうだ。

 羽田はスタローンには全く似ていないにもかかわらず当時ヒットしていた映画にあやかってロッキーを名乗り話題を呼んだ。その羽田の帰国第一戦はイタリア系のベテラン、マリオ・ミラノ。ミラノはプロモーターでもある馬場のお気に入りの大型レスラーだった。このミラノを破れば羽田のメインエベンターの座は約束されていたはずだ。しかしミラノは羽田を得意のジャンピング・パイルドラーバーで無残にもKOしてしまったのである。羽田は破れ、同じく凱旋帰国の天龍はメヒコ・グランデに勝った。その後の両者の活躍を見ると、この日の勝ち負けの重みを感じざるをえない。

 ミラノのジャンピング・パイルドラーバーはドリル・ア・ホールやツームストンのように相手の脳天をマットにのめりこませるのではなく、顔面をマットに叩きつける、フェイスバスターと呼んでもいいような技であった。このスタイルのパイルドライバーはカリプス・ハリケーンが使っていたといわれるが、ほかに使い手はいない。しかもミラノの場合、マスクを被ってバラクーダを名乗って来日した時にも、開幕戦でこの技をフィニッシュとして使うという頑固一徹ぶり。バラクーダの正体が一発でばれてしまったことはいうまでもない。