クリス・アダムスのスーパーキック

2025.4.21 upload

 

クリス・アダムスの切れ味鋭いスーパーキック

 

 アメリカでは大ブレイクしたが日本ではイマイチブレイクできなかったレスラーは多いが、イギリス出身のクリス・アダムスもそんな一人であった。

 もう少し早く新日本プロレスに登場していれば、ジュニア・ヘビー級時代の藤波の好敵手になっていたはず。アダムスは1980年末(昭和55年)にイギリスからアメリカに進出。ロサンゼルスを本拠地に人気を獲得。1981(昭和56年)年2月にビクター・リベラからアメリカス・ヘビー級王座を獲得。同時期にトム・ぷリチャードとのコンビでアメリカス・タッグも獲得し、ロス地区のトップの座を獲得した。初来日はこの年の4月の「第4回MSGシリーズ」。キャリア不足と軽量(事実上はジュニア・ヘビー級)のため白星配給係となったが、いきのいい試合は高く評価された。この後、メキシコのUWAに登場し、ペーロ・アグアヨからWWFジュニア・ヘビー級タイトルを奪取した。

 1982年(昭和57年)、1983(昭和58年)年に来日したが、このころ藤波はヘビー級に転向。ジュニア・ヘビー級の王者はタイガーマスクに代わっていた。タイガーマスクとの試合でも好勝負を繰り広げたが、この頃はアダムスの体重が増えてヘビー級になっており、タイガーマスクのジュニア・ヘビー級タイトルには挑戦できずに終わった。

 この後、ロスが衰退しテキサス州ダラスに転戦。ここでジェントルマン・クリス・アダムスと名乗り、ジノ・ヘルナンデスとのダイナミック・デュオで大ブレイク。エリック兄弟と構想を繰り広げた。1986年(昭和61年)2月「ニュー・ウェーブ・ダッシュ」にジノ・ヘルナンデスとのコンビで来日が決定、藤波&木村健吾組が保持していたWWFインターナショナル・タッグに挑戦も決定し、ファンの期待を集めたが、来日直前にヘルナンデスが急死。アダムスは単身で来日し、ザ・ジャッカルとのコンビでWWFインターナショナル・タッグに挑戦したが消化不良に終わった。

 この後、アメリカでは多忙を極め、WCCW世界ヘビー級タイトルを獲得。来日することもできないほどの売れっ子になったが、2001年に射殺されこの世を去った・・・。とにかく日本のリングでは消化不良のまま終わった男であった。

 そんなアダムスの得意技がスーパー・キック(ソバット)である。タイガーマスクとの試合で見せた一発は強烈で、タイガーマスクは脳震盪を起こし、唇から血を流していた。この技の切れ味は絶品であった。ダラスでトップにのしあがったのは、この技のおかげであった。

 

 
カール・ゴッチの強烈なソバット!    サンダー杉山も得意とした。どこかコミカルである。

 

カブキのソバットはトラースキックと呼ばれた。

 

 クリス・アダムスのスーパーキックはソバットの一種だが、相手をロープに飛ばし帰ってきたところで、相手のアゴをめがけて蹴り上げるスタイルであった。後にザ・グレート・カブキが使ったトラースキックに似ているが、アダムスは軽くジャンプしながら、身体をひねって足を伸ばし着地すると同時に相手のアゴを蹴り上げるスタイルであった。前述のようにタイガーマスクのアゴにもろに入ったときは、さすがのタイガーマスクも意識がもうろうとしてダウンしてしまった一発は強烈であった。

 ソバットは元々は回転しながら相手の腹部あたりを蹴る技であった。カール・ゴッチが昭和42年に日本プロレスの「サマー・シリーズ」に参加した際に駆使していた。ゴッチの弟子でもあるサンダー杉山もゴッチ譲りのソバットを得意としていた。メキシコの孤狼仮面エル・ソリタリオもソバットを得意としていた。

 このソバットの究極系はタイガーマスク(佐山聡)のローリング・ソバットなのだが、これはまた別途項目を設けて紹介したいと思う。