来日全外国人レスラー名鑑 タ(2)

 

タニー・アルフォード TONY ALFORD 3回
31 4(日) プロレス国際試合、32 12(日) プロレス国際試合、38 1(日) 春の国際大試合
駐日軍人。昭和22年より日本に滞在していたらしい。37年から38年にかけ、日本プロレスの前座のレフェリーを勤めますが、試合にも出場している。それは38年119日のことで、神奈川平塚にて何と桂浜(田中米太郎)に破れている。弱いことで有名な桂浜に負けたのだから、史上最弱の外人といえるかもしれない。(解説:JOE HOOKER SR氏)

 

ダニー・ウェルソン DANNY WILLSON 1回
3012(旧全) 日米対抗厚生大臣賞争奪試合
ハワイからきたがパンチ・キックだけでレスラーといえる代物ではなかった。3戦目に木村政彦の猫手チョップで気絶している。(昭和45年別冊ゴング6月号来日外人レスラー名鑑より:情報提供 管様)

 

ダニー・クロファット DANNY KROFFAT (フィル・ラファイアー*) 2回
●弾丸児 ●186センチ、110キロ
●1961年9月16日 カナダ・ケベック州モントリオール出身 ●ドロップキック
●インターナショナル・タッグ(モントリオール版)、カリビアン・タッグ、WWC世界タッグ、アジア・タッグ
59 10 (旧U) ストロング・ウイークス*、63 10(全) 88 ジャイアント・S
本名はフィル・ラフォン。フランス系カナダ人でダイナマイト・キッドのコーチを受けてデビュー。旧UWFにフィル・ラファイアーの名で初来日。帰国後はプエルトリコを主戦場にボビー・ジャガーストのカウボーイ・コンビでカリビアン・タッグを獲得している。ダグ・ファーナスとのカンナムエキス・プレスで活躍した。ファーナスとのコンビで長く全日本プロレスの常連外人として活躍した。一時期はWWFのリングにも上がったが、これといった活躍は出来ずに終わっている。一説には新日本プロレスに登場したストロング・マシーン3号の正体とも言われている。

 

ダニー・スパイビー DANNY SPIVEY 4回
●金髪の鷲 ●203センチ、127キロ
●1952年10月14日 米・フロリダ州タンパ出身 ●DDT
●世界タッグ(全日本プロレス版)、PWFヘビー(フロリダ版)、UWFアメリカス・ヘビー
63 5(全) 88 スーパー・パワー・S、6310(全) 88 ジャイアント・S、6311(全) 88 世界最強タッグ決定リーグ戦、64 1(全) 89 新春ジャイアント・S
本名はダニエル・ユージン・スパイビー。大学時代はアメリカン・フットボールで鍛え、少年時代からエディ・グラハムのファンであった事から卒業後にプロレス入りを決意。ノースカロライナ地区でデビュー。中西部に転戦してイーグルのリングネームでコヨーテ(スコット・ホール)とのアメリカンスターシップで売り出す。1985年にチーム解散し、ノースカロライナ地区の戻るが、すぐにWWFに移籍。ゴールデンボーイなるキャッチフレーズで売り出すが、芽が出ず全日本に主戦場を移した。その後ハンセンのパートナーとして活躍したのは皆さんのご存知の通りである。ザ・デストロイヤーの娘婿でもある。(追加情報:TMKID氏)

 

ダニー・デュボア DANNY DUBOIS 1回
●170センチ、90キロ ●フランス出身?
46 3(国)第3回IWAワールドS
第3回IWAワールドシリーズの後半戦に突然登場したフランス人レスラー。どうやらジャック・クレインボーンの紹介での参加だったようだが、詳細は不明。情報募集中。

 

ダニー・バビッチ DANNY BAVICH
●荒法師 ●183センチ、115キロ
●ユーゴスラビア出身
●インターナショナル・タッグ(カルガリー版)
53 9(国) ダイナマイト・S
昭和49年6月にも国際プロレスに来日しているイワン・ボルコフの変身。

イワン・ボルコフの項参照。

 

ダニー・プレッチェス DANNY PLECHES 3回
ブルドッグ殺し 185センチ、120キロ
1925年 米・ネブラスカ州オマハ出身
ネブラスカ・ヘビー、テキサス・タッグ
31 7(日)プロレス国際大試合、32 8(日) 秋の国際試合、32 10(日)世界選手権・S(残留)、34 3(日) プロレス春の国際試合、34 5(日) 第1回ワールドリーグ戦(残留)、34 10(日) 世界選手権・S(残留)

プロボクシングからプロレスに転向した悪党レスラー。ジョン・ペセックにコーチを受けてレスラーとしてデビュー。持ち前の荒々しい気性を生かし悪役として活躍した。主戦場はロッキー・マウンテン地区で世界王者当時のルー・テーズに何度も挑戦している。普段の試合振りは荒いが、NWA公認のレフェリーでもあり、レフェリーになったときにはがらりと変わり公平なレフェリングを行う。日本でもワールド・リーグ戦の決勝戦やテーズと力道山の世界戦を裁いている。全日本プロレスの昭和48年「新春ジャイアント・シリーズ」にはレフェリーとして参加している。

 

ダニー・ホッジ DANNY HODGE 8回(*はレフェリーとしての来日)
●鳥人 188センチ、98キロ
1932年3月13日 米・オクラホマ州ノーブルカウンティ出身 オクラホマ・ヘイライド、コブラツイスト
NWA世界ジュニアヘビー、TWWA世界ヘビー、インターナショナル・タッグ(日本プロレス)、USタッグ(トライステート版)
42 1(国) パイオニア・S、43 1(T) オープニング・ワールド・S、43 1(T) ワールド・タッグ・S(残留)、44 1(日) 新春チャンピオン・S、4411(日) NWAシリーズ、46 5(日) ゴールデン・S、47 9(日) 第3回NWAタッグリーグ戦、49 7(全) サマー・アクション・S第1弾、60 5 (新)【特】IWGP&WWFチャンピオンS*

本名はダニエル・アレン・ホッジ。NWA世界ジュニアヘビー級を長期間保持した文字通りジュニアヘビー級最強のレスラー。アマレス時代はヘルシンキ、メルボルンの五輪でそれぞれ銀メダルを獲得。その後ボクシングに身を投じ、ゴールデングラブ・ヘビー級でチャンピオンとなっている。1958年にプロレス入り。4年後にジュニアの世界王者となる。188センチ、98キロという体で、ヘビー級のレスラーとも互角に渡り合い、国際プロレスのマットではルー・テーズを破りTWWA世界王者にもなっている、テーズも一目をおくシューターである。リングでの功績は素晴らしかったが、ボクシング時代の後遺症か、サーキット中の車中で自慰にふける(上田馬之助の証言)など私生活では奇行が多かったという。昭和60年にはレフェリーとして新日本プロレスに参加している。サイン

 

ダニー・リトルベア DANNY LITTLEBEAR 1回
赤熊酋長 185センチ、121キロ
1926年 米・ジョージア州ジョーンズボロ出身 1991年5月12日没 ●インディアンデスロック
ルイジアナ・ヘビー、テネシー・ヘビー、セントラルステート・ヘビー、セントラルステート・タッグ、北米ヘビー(カルガリー版)
44 6(国) ダイナマイト・S

アパッチ族の酋長という触れ込みで来日したインディアン・レスラーで、本国では正統派として活躍していたようだが、日本では来日記者会見の席で国際プロレスの名物レフェリーだった阿部脩に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えて血だるまにするというデモンストレーションを行ない、しばらく雑誌の不人気投票のトップに名を連ねることとなった。アメリカではカンサスを主戦場にしたが、テネシー地区ではボブ・エリスとの抗争で知られている。レスラーの傍ら多くの映画に出演したことでも知られている。父親のチーフ・グッド・フォックスもレスラーだった。

 

ダニー・リンチ DANNY LYNCH 3回
英国の流血王 185センチ、126キロ
1930年 イギリス・ヨークシャー出身 2007年5月29日没 ●スタンディング・クラッチ
中近東ヘビー、IWAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)、北米ヘビー(カルガリー版)
44 2(国) 国際ゴールデン・S、4610(国) ビッグ・チャレンジ・S、50 1(国) 新春パイオニア・S
昭和40年代の国際プロレスの常連エース外人だった「英国の流血王」。イギリス出身のレスラーには似合わず、終始悪どい反則で試合を進めた。元々は金髪を伸ばしており「ブロンド・ボンバー」などといわれていたが、来日中に髪をそり、蒙古スタイルに変身した。昭和46年の「ビッグ・チャレンジ・シリーズ」で実現したバロン・フォン・ラシクとのコンビは即席ながらも味のあるコンビであった。ヨーロッパだけでなく、カナダや中近東にも遠征した記録が残っている。1978年にローラン・ボックに足を折られて入院。その後カムバックするが、引退後はレスリング学校を経営していた。サイン

 

ダビッド・ショルツ DAVID SHULZ
●雷神 ●197センチ、128キロ
●1950年 米・テネシー州マディソンカントリー出身 ●デビルズハング
●ミッドアメリカ・タッグ、北米ヘビー(マリタイム版、カルガリー版)、I
WAインターナショナル・ヘビー(モントリオール版)
53 9(国) ダイナマイト・S
テネシーでジェリー・ローラー軍団の一員として売り出していた若手で後にWWFで活躍したデビット・シュルツの前身(読み方を変えただけだが)。国際プロレス来日時はカナダで活躍していた。大きな身体を生かしたダイナミックなファイトでエースのリップ・タイラーを抑え、オックス・ベイカーとのコンビで暴れまくった。当時の必殺はデビルズ・ハング。

デビッド・シュルツの項も見よ。

 

ダビッド・テイラー DAVID TAYLOR
●英国の狼 ●190センチ、100キロ
●1957年5月1日 イギリス・ヨークシャー州ブラッドフォード出身 ●スープレックス
●英国ヘビー、CWA世界タッグ、大英帝国ミドル
52 1(新) 新春黄金・S
ヨーロッパには珍しい大型選手として注目を集めたが、負傷のため途中帰国した。後にデイブ・テイラーの名で新日本プロレスに再び参加している。

詳細はデイブ・テイラーの項参照。

 

ダビッド・フォン・エリック DAVID VON ERICK 3回
テキサスの黄色いバラ 199センチ、110キロ
1958年7月22日 米・テキサス州ダラス出身 アイアンクロー、ドロップキック
テキサス・ヘビー、アジア・タッグ(全日本プロレス)、アメリカン・ヘビー、南部ヘビー(フロリダ版)、ミズーリ・ヘビー、UNヘビー
54 5(全) スーパー・パワー・S、56 5(全) スーパー・パワー・S、59 2(全) エキサイト・S

本名はダビッド・アドキッセン。鉄の爪ことフリッツ・フォン・エリックの三男坊。兄のケビンに続いてプロレス入り。父譲りの長身を生かし早くから才能を開花させ、ミズーリ州ヘビー級などを獲得し、世界王者候補に名を連ねた。1984年にマイケル・ヘイズから念願のUNヘビー級王座を獲得。天龍の挑戦を受けるべく来日したが、試合には出ぬままホテルで急死。死因は内臓疾患であったという。兄弟の中でも最も素質があっただけに残念。来日時のインタビューで「デビッドではなく、ダビッドだ」と明言していたので、この名鑑ではダビッド・フォン・エリックと表記した。サイン 

 

タプー・サモア TAPOO SAMOA
180センチ、115キロ サモア諸島出身
59 10(旧U)ストロング・ウイークス
サモア出身で国際プロレスにザ・モンゴリアンズ1号として来日した男。来日当時はカナダで活躍していた。ゴングの選手名鑑ではスティーブン・ピットパスの解説に彼の写真が使われているが、これは間違い。

ザ・モンゴリアンズ1号の項も見よ。

 

タム・ライス TOM RICE 1回
●赤さそり ●188センチ、107キロ
1924年 米・ネバダ州 逆エビ固め
太平洋岸ヘビー
31 7(日) プロレス国際大試合
太平洋岸ヘビー級王者として来日したブル・ファイターで、試合中からだが真っ赤になることから「赤さそり」と呼ばれた。アメリカ武者修業中の力道山に土を付けたという因縁を引っさげて来日し、連日力道山との熱戦を展開したが、本番の太平洋岸選手権では痛めていた膝を負傷し、試合放棄という屈辱を味わった。漫画の「空手バカ一代」では大山倍達にKOされているが、このような事実はなかったというのが、現在では有力。

 

ダラ・シン(オリジナル) DARA SINGH 1
●インドの英雄 ●188センチ、113キロ
●1928年11月29日 インド・パンジャブ州アムリツァー出身 ●
ボディシザース、ロメロスペシャル、インディアンデスロック
インド・ヘビー、カナダ・オープン・タッグ(トロント版)
30 11(日) アジア選手権大会
本名はSHRI DARA SINGH。1955年にインド選手権者となり、イギリスやアメリカにも遠征し名声を高めたテクニシャン。ニューデリーでキングコングの保持する「パトラ」なるタイトルに挑戦し見事に獲得した事もある。ラフファイターばかりが来日していた当時、反則と使わない外人シンの来日は日本のファンにプロレスの奥の深さをしらしめた。ロンドンで対戦して引き分けたルー・テーズはこのダラ・シンのことをChotaと呼んでいたという。引退後は映画に出演、政界に進出した。

 

ダラ・シン(二代目) DARA SINGH
●インドの英雄 ●187センチ、113キロ
●インド出身 ●インディアン・デスロック
、ロメロスペシャル
インド・ヘビー
42 6(日) 【特】ゴールデン・S
昭和30年に来日したダラ・シンとは別人だといわれているが、その表情もそっくりで、雑誌で久しぶりの日本の印象を語ったりしており、同一人物説もあった。しかし研究室の調査の結果、どうやら別人であることが濃厚。この二代目も映画に出演していたようである。

別人説の検証については、昭和プロレスファイル No.54No.55を参照のこと

 

ダリル・ピーターソン DARILL PETERSON 1回(留学生時代は除く)
●195センチ、172キロ
●1962年10月3日 米・ユタ州ブロボ出身
62 10(新) 闘魂S
元新日本プロレスの練習生で、クリス・ベノイとは同期生。アマレス時代はジョン・テンタ、スティーブ・ウイリアムス、リック・スタイナー、ゲーリー・オブライトらとライバル関係にあった。アメリカではマンマウンテン・ロックとか、マックス・ペインなどと名乗って活躍したが、同じ練習生のベノイやブライアン・アダムスほどの活躍は出来なかった。(解説:黒い一羽鷹、TMKIDの両氏)

 

タルバー・シン DALIBAR SINGH 3回
●インドの白虎 ●184センチ、105キロ
●1953年 インド・パンジャブ州チャデンカル出身
●英国ヘビー、インド世界ヘビー
52 6(新) アジア・チャンピオン・S、58 3(新) ビッグ・ファイト・S第1弾、 60 4(旧U)フロンティア・ロード
日本ではタルバーと表記されることが多かったが、正確には「ダ」ルバーらしい(但し綴りはDalibar、Dalbinの2とおりがある)。インド・パンジャブ州出身で、アマレスで英国ライトヘビー級選手権を制し1971年にプロ転向。英国を始め、欧州や中東などで活躍、旧UWF来日時には初代マッハ・隼人の引退試合の相手を務め、白星を献上した。1986年には、英ジョイント・プロでレイ・スティールを破り、英国ヘビー級王座を奪っている。(解説:黒い一羽鷹氏)

 

タワーリング・インフェルノ TOWERING INFERNO
超破壊仮面 195センチ、128キロ
●1942年7月21日 カナダ・ケベック州出身 カナディアン・バックブリーカー
●アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ
51 4(新) 第3回ワールド・リーグ戦
ご存知ザ・ハングマンのネイル・グアイが正体の大型マスクマンで、前年にはスーパー・デストロイヤーで「第2回ワールド・リーグ戦」に参加しているから、グアイは正体を変えて二年連続でリーグ戦に参加した事になるが、前年のような活躍は出来ず、負傷でリーグ戦を途中放棄している。タリーリング・インフェルノはカルガリーで活動していた時ののギミックのようである。

ザ・ハングマン、スーパー・デストロイヤーの項も見よ。

 

ダン・ジョンストン DAN JOHNSTON 1回
194センチ、125キロ
●1954年1月6日 カナダ・オンタリオ州ハミルトン出身 2003年7月20日没
55 4(国) ビッグ・チャレンジ・S
本名はダン・ジョンソン。カナダのオンタリオ出身のレスラーでキラー・カール・クラップの弟子という触れ込みで来日。日本では大きいだけでおとなしい印象しか残らなかった。ブルホイップ・ジョンソン、バトルシップ・ジョンソンなどのリングネームを使っていたようである。

 

ダン・ミラー DAN MILLER ( ブルー・シャーク*) 6回
弾丸男 181センチ、111キロ
1934年 米・オハイオ州フレモント出身 スープレックス
●アジア・タッグ(日本プロレス)、カナディアン・タッグ(バンクーバー版)、インターナショナル・タッグ(カルガリー版)、WWWF・USタッグ、NWA世界タッグ(デトロイト版、テキサス版)、テキサス・ヘビー、イースタンステーツ・ヘビー、北米ヘビー(トライステーツ版)
35 4(日) 第2回ワールドリーグ戦、35 5(日) プロレス選抜戦(残留)、42 4(日) 第9回ワールドリーグ戦、 44 8(日) 第二次サマー・S、47 1(国) 新春パイオニア・S、48 8(全) ワールド・チャンピオン・S、51 2 (全) エキサイト・S *

ビル、エド、ダンのミラー3兄弟の末弟。兄よりは一回り小柄だったが、実力は兄に迫るものを持っていた。ハンサムなマスクで「美獣」のニックネームで人気を博したが、昭和44年の来日ではなぜかザ・レモラとおそろいの覆面を着用して来日した。昭和51年にはマスクを被ってブルー・シャークなるリングネームでデストロイヤーの覆面10番勝負の相手を勤めたが、空港でマスクを手渡されてブルー・シャークとしてファイトするように依頼され面食らったという。彼の場合アマレス時代のキャリアが原因で素顔では思い切った反則をできないので、マスクを被ったという。(右写真撮影:花園えびす様)

 

タンク・パットン TANK PATTON (ブラック・テラー *)4回
殺人戦車 194センチ、127キロ
1946年3月23日 米・テキサス州コパクリスティー出身(バージニア州出身説、1949年カンサス州出身説もあり) 1998年12月31日没 タックル
セントラルツテーツ・ヘビー、北米ヘビー(トライステーツ版)
51 8(全) ブラックパワー・S、 52 8(全) 第2弾サマー・アクション・S、53 3 (全) 第6回チャンピオン・力−ニバル 3*、55 5 (全) スーパー・パワーS *
本名はダグラス・グッドウィン・マクマイケン。194センチ、127キロという巨漢レスラーで、セントラル・ステーツ地区で活躍。同地区のチャンピオンにもなっている。昭和51年の来日では新人ながらボボ・ブラジルのパートナーとしてインターナショナル・タッグに挑戦するチャンスをつかんだが、善戦虚しく敗退。その後はブラックテラーなるマスクマンに転身して2度来日しており初来日の初戦ではアブドーラ・ザ・ブッチャーからリングアウト勝ちを収めている。

 

タンク・モーガン TANK MORGAN 2回
人間戦車 188センチ、134キロ
1933年4月18日 米・ジョージア州クルツリトネック(アリゾナ州フェニックス出身説もあり) 1991年8月15日没 ●ボディプレス
北米ヘビー
42 7(日) 第一次サマー・S、44 3(国) ワールド選抜・S

本名はポール・マクナマス。MSGの常連だった悪役レスラー。1966年にMSGでサンマルチノに挑戦して引き分けてから脚光を浴びた。人間戦車と呼ばれたように巨体から繰り出す反則技は日本勢を苦しめた。得意技は殺人タックル、フライング・ベディ・プレスなど、巨体と活かしたものが多かった。初来日では同じタイプのジェス・オルテガとのコンビで暴れまる。国際プロレスへの来日時は豊登とのヘアー・ベンド・マッチで破れ、薄くなった頭髪を坊主にされた。