来日全外国人レスラー名鑑 (チ、ツ)

 

チーフ・ビッグ・ハート CHEIF BIG HEART 1回
188センチ、116キロ 1925年米・ニューメキシコ州 :インディアンデスロック
37 10(日)【特】 秋のプロレス国際試合
インディアンのオサゲ族の血を引く。ボクシングを経てプロレス入り。「技などは全く眼中になく、ただひたすらに相手を傷付け、半殺しの目にあわせる事だけを身上にしている狂人。得意技は背骨へのニースタンプの連打を切り札としている。」と当時の名鑑にあるが、実際はテクニックも豊富なオールラウンド・ファイターだったようである。

 

チーフ・ジェイ・ストロンボー CHEIF JAY STRONGBOW (ジョー・スカルパ*) 3回
荒鷲酋長 185センチ、125キロ 1934年米・ニュージャージー州ニューワーク :トマホークチョップ :WWWF世界タッグ
41 1 (日) 新春・S *、43 11 (日) NWAチャンピオン・S*、53 4(新) 第1回MSGシリーズ
元々はイタリア出身のテクニシャン ジョー・スカルパとして活躍したベテランで日本にもスカルパの名で二度来日している。このイタリア人が突然インディアンに変身し、ニューヨークに出現したとたん大人気を獲得。以後インディアン・ギミックで長くWWFの中堅として活躍。WWFタッグも獲得しているが、昭和53年の来日では歳から来る衰えか、アメリカでの名声に傷を付ける結果に終わった。しかしWWF地区での人気は高く、その後も長くメインエベンターとして活躍した。

 

チーフ・ブラック・イーグル CHEIF BLACK EAGLE
黒神酋長 179センチ、105キロ 1948年プエルトリコ
46 7(国) ビッグ・サマー・S
当時インディアン・レスラーの大御所であったビッグ・コマンチがパートナーとして連れてきた若手のインディアン・レスラーだが、良く写真を見て頂ければお分かりのように正体はプエルトリコの帝王 カルロス・コロンの若き日の姿である。スキンヘッドの特異な風貌で思い切ったラフ・ファイトで暴れたようだ。

カルロス・コロンの項も見よ。

 

チーフ・ブラック・イーグル CHEIF BLACK EAGLE 1回
黒鷲酋長 183センチ、115キロ メキシコ・チワワ
54 1(国) 新春パイオニア・S
こちらは2代目のブラック・イーグル。メキシコのチワワ出身のインディアンと称していたが、実際はイタリア系白人の変身だったようで、インディアン特有の激情的なファイトを見せるには至らなかった。主戦場はテネシー、バージニア地区で、インディアン・トラップマッチを得意としていたようだ。

 

チーフ・ホワイト・ウルフ CHEIF WHITE WOLF (シーク・オブ・シークス・バグダッド*)4回
白狼酋長 186センチ、109キロ 1936年イラク・バグダッド :インディアンデスロック :WWWF世界タッグ
39 4(日) 第6回ワールドリーグ戦、39 5(日) ワールド選抜戦S(残留)、42 8(日) 第二次サマー・S、44 1(国) ビッグ・ウィンター・S、49 8(新) 闘魂S*
この男もホワイト・ウルフ、シーク・オブ・シークス・バグダッド、シーク・アドナン・アル・ケイシー・・・などとリングネームを良く変えたレスラーである。イラクのバグダッド出身でデビューもベイルート。ヨーロッパ経由でアメリカに渡りインディアンギミックのチーフ・ホワイト・ウルフで活躍した。当時はかなりの実力派として鳴らした。一時シーク・オブ・シークス・バグダッドに変身、更にニューヨーク地区でウルフに戻り、AWAに移籍して本名のアドナン・アル・ケイシーを名乗る。クラッシャー・ブラックウェルやサージェント・スローターなどのマネージャーとして知られるようになった。

 

チーフ・ホワイト・フェザー CHEIF WHITE FEATHER 1回 
白羽酋長 180センチ、102キロ メキシコ : セントラルアメリカン・ジュニア・ヘビー
55 1(国) 新春パイオニア・S
メキシコ系のインディアンでインディアンらしくチョップを武器としていたが、体が小さかったため日本勢に連敗を喫した。インディアン・レスラーとしては来日した中でも最弱の部類に入る。来日時にはベルトを持参していたが、あれがセントラルアメリカン・ジュニア・ヘビーのベルトだったのだろうか? カナダ、イギリスではボビー・ボルト・イーグル(2代目)を名乗っていた。

 

チコ・ガルシア CHICO GALSIA 1回
豆タンク 164センチ、104キロ 1917年メキシコ
45 7(日) 第二次ゴールデン・S
「豆タンク」のニックネームからも解るように小型の選手で、地味なラフファイターだった様だ。来日当時はセミ・リタイア状態だったにもかかわらず、開幕戦でジャイアント馬場とのシングル・マッチの相手にも抜擢されたが、坂口征二との試合で膝を負傷し途中帰国の憂き目に遭った。

 

チック・ドノバン CHICK DONOVAN 1回
黄金銃 181センチ、101キロ 1947年米・ジョージア州オーガスタ :AWA南部ヘビー(テネシー地区)、ICWジュニアヘビー
58 3(全) 【特】グランド・チャンピオン・カーニバルT
1979年ごろに、ロスにゴールデン・ボーイのリングネームで登場し、改名後はジョージアを主戦場としたレスラーで、AWA南部ヘビー級戦主権者にもなっている。デビューが32歳と遅くそれほどの活躍は出来なかった。来日時はリック・フレアーのファイトスタイルを完全にコピーしたスタイルが、一部のファンには受けていた。大仁田のインター・ジュニアヘビー級にも挑戦するが、王座奪取はならず。帰国後はペイントレスラーに変身している。

 

チト・サンタナ TITO SANTANA (ディック・ブラッド*) 2回
流れ星 187センチ、110キロ 1953年メキシコ・パチューカ(フロリダ州タンパ説もあり) :フライング・フォーアームス :WWF世界タッグ、インターコンチネンタル・タッグ
53 10 (全) ジャイアント・S*、55 4(新) 第3回MSG・シリーズ
WWF、AWA地区で活躍したメキシコ系アメリカ人。日本へはディック・ブラッドの名で1978年に初来日、サンタナに改名後WWFでイワン・プトスキーとWWFタッグを獲得し、新日本の第3回MSGシリーズに参加。スピードが身上のテクニシャンで、WWFではインターコンチネンタル・タイトル、リック・マーテルとのコンビで再びWWF世界タッグも獲得。エル・マタドールとも名乗り欠かせないスターの一人となったが、日本では残念ながら評価を得られなかった。

 

チャーリー・ファルトン CHARLIE FULTON (ザ・USSR*) 3回
185センチ、108キロ 1948年米・デトロイト州ミシガン :ギロチンドロップ
48 2(日) ダイナミック・S、 51 5(新) ゴールデン・ファイト・S、 55 9 (国) ダイナマイト・S *
主に地元のデトロイトやカナダで活躍したテクニシャンで、ザ・シークに目をかけられていたレスラー。素顔では売れず覆面のザ・USSRに変身してからはカナダではちょっとした売れっ子となった時期があった。本名はゲーリー・リー・ファルトン。1984年7月23日にMSGでアントニオ猪木と対戦している。

 

チャールズ・ベレッツ CHARLES VERHUIST
182センチ、110キロ 1934年ベルギー・ブリュッセル
47 1(国) 新春パイオニア・S、 54 4(国) ビッグ・チャレンジ・S
新日本プロレスに何度となく来日したジョニー・ロンドスは国際プロレスではこのリングネームで登場した。後のゴッチのお墨付きで新日本プロレスにエース格として来日するが、国際プロレスへの初来日ではなんとミスター珍にシングルで敗れており、3流レスラーの烙印を押されていた。

ジョニー・ロンドスの項も参照の事。

 

チャック・カルボ CHUCK KARBO 1回
殺人狂 184センチ、110キロ : 北米ヘビー(オクラホマ版)、USタッグ(アマリロ版)
46 7(国) ビッグ・サマー・S
来日当時はAWA地区で活躍した中堅レスラーで、金網デスマッチが得意と言う触れ込みで登場。シリーズ中に杉山、木村と金網で対戦したが、いずれも敗退している。人数あわせのために呼ばれた典型的な3流レスラーだが、なぜかストロング小林の帰国第1戦でIWA世界選手権に挑戦したが、豪快なバックドロップでKOされている。日本では全く無名と言ってもよいが、オクラホマ版北米ヘビー級選手権の初代王者だったり、アマリロ地区ではシャチ横内とのコンビで、USタッグを保持していたこともあるようで、アメリカではそれなりのステータスのあったレスラーのようである。

 

チャック・リチャード CHUCK RICHARD 1回
180センチ、112キロ 米・テキサス州コーパクリスティ
47 1(日) 新春チャンピオン・S
高校時代からフットボールをはじめ、卒業後にダラス・テキサンズに所属。1965年にプロレス転向、デビュー戦で猿人ブル・カリーと対戦し大流血戦を展開したと言われている。ファイト・スタイルはラフ・ファイト一辺倒で、中堅レスラーにも歯が立たなかった。

 

チャボ・ゲレロ CHAVO GUERRERO 16回
ロスの太陽 181センチ、103キロ 1951年米・テキサス州エルパソ :サンセットフリップ、原爆固め :アメリカス・ヘビー、アメリカス・タッグ、NWA世界ライト・ヘビー、同インター・ジュニア・ヘビー
50 7(全) サマー・アクション・S、53 6(新) サマー・ファイト・S、 5310(新) 闘魂S、 54 4(新) 第2回MSG・シリーズ、55 4(新) 第3回MSG・シリーズ、55 9(新) 9・31ファン感謝スーパーファイト、 5510(新) 闘魂S、56 8(全) スーパー・アイドル・S、57 7(全) サマー・アクション・S、5710(全) ジャイアント・S、58 5(全)グランド・チャンピオン・力ーニバルU、58 8(全)【特】 スーパー・パワー・S、59 2(全) エキサイト・S、59 8(全) スーパー・パワー・S、 60 2(全) 85激闘!エキサイティング・ウォーズ、60 10(全) ワールド・チャンピオン・カーニバル
ロスで活躍したゲレロ3兄弟の長兄で、NWA世界タイトルの2階級制覇に成功した実力者。1977年には当時の世界王者レイスを破ったが、ルールに阻まれ3階級制覇のチャンスを逃した。初来日は全日本プロレスだがロスで活躍するようになり、新日本プロレスに移籍。藤波との名勝負でファンを沸かせた。ロスのマットが低迷してからはサンアントニオに転戦、これをきっかけに日本でも全日本プロレスに移籍している。筆者には新日本プロレスの常連としての印象が強いが、新日本プロレスで活躍したのはわずかに3年間で、全日本プロレスに参加した期間の方が長い。個人的な印象としては新日本時代が彼の全盛期であった。必殺技はヒップアタックからのサンセットフリップ。さらに詳しく  サイン

 

チン・リー CHIN LEE (ザ・スコーピオンズ1号*、レッド・デビルス1号**)4回
謎の中国怪人 178センチ、110キロ
51 4 (国) ダイナマイト・S *、52 4(国) ダイナマイト・S、53 9 (国) ダイナマイト・S **、54 9(国) ダイナマイト・S
カナダのモントリオール地区を主戦場とした謎の東洋人。日系とも中国系とも言われているが正体は不明。4度の来日で3つのリングネームを使い分けているが、いずれもきわものキャラで、実力の方も想像のとおり大した事はなかった。ゴング誌の「二度と呼んでほしくない外人レスラー・ランキング」の常連。

 

ツイン・デビルス 1号&2号 TWIN DEVILS #1&2 1回
双子の悪魔 180センチ、105キロ 1943年メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ : アメリカス・タッグ、アメリカス・ヘビー(1号)、カリフォルニアTVヘビー(2号)、世界タッグ(ロス版)
56 2(全) エキサイト・S
元々はメキシコでマスクをつけヘメロス・ディアブロ(写真右)と名乗っていた双子コンビで、1978年にロスに出現しアメリカスのシングル、タッグすべてのタイトルを総なめにして話題となった。昭和56年に全日本に来日し、極道コンビの保持するアジア・タッグに挑戦し熱戦を繰り広げたが、来日した翌年に引退したという。そっくりな外見を巧みに利用したすり変わり作戦で対戦相手やレフェリーをかく乱した。このチームも国際プロレスに登場していれば真価を発揮していたように思う。サイン